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スキタイの帯飾り(紀元前5-3世紀)
虎とヤクをとらえるハゲタカ
エルミタージュ美術館蔵

 



       独り、神に向って

 風に引き摺られそうになりながら、
 私は独り立つ、愛されず見棄てられ、
 敵意にみちた夜のなか。
 あなたのことを思う時、
 私は気が重く、苦
(にが)みでいっぱいだ、
 盲目の神、いつも理解できないことを
 する残忍なあなた。
 あなたには力があるのに、なぜ放っておくのか、
 犬ども牝
(めす)豚どもをなぜ放っておく
 かれらは満足しきって決して気高くはならない
 幸せに酔いしれているというのに?
 あなたを私は愛しているのに、なぜ私を鞭打つのか、
 夜どおし私を追い立てるのか、
 みすぼらしい者には誰にでも恵みを与え
 私からは奪い去るのか?
 あなたに私が嘆くことは稀れで
 まして不満をぶちまけたりはしなかった、
 敬虔な僧侶として長年のあいだ
 あなたのために生きた、あなたを神とも主ともよんだ、
 あなたに私の存在の栄冠と意味とを見いだしていた;
 つねに私は、たとえしばしば闇にとざされようとも
 手さぐりで善きものを求めて歩んだ、つねに愛と
 善意と純粋が私の高い目標であった。
 それなのにあなたは、私の敵をおだてあげながら、
 私にはただひとつの夢も、
 たったひとつの願いさえ叶えてはくださらない!
 私が闘いと労働に埋めつくされていたときに、
 そらの上の楽しき人々の家では
 竪琴に踊り、優しい歌声が鳴り響いていたのだ。
 おお拷問者よ、なんとあなたは、
 私が盲目の希望を抱いて
 たおやかな愛に信頼しきった私の心を捧げたのをよいことにして、
 なんたる嘲
(あざけ)りと蔑(さげす)みを私に注いだことか、
 そうして私は女たちの嘲笑に追われ、憤怒にかられて逃げ出したのだ!
 いま私はたったひとり幸福の望みを絶たれ、
 夜は眠れず昼は懐疑に心奪われて
 この俗世間を神もなく辿
(たど)る、
 それは私には苦痛、あなたには悲しき不面目であるはず。
 それでも、それでも、おお神よ、あなたの指が
 盲目の欲情にかられて私の傷を深くほじくろうとも、
 私が弱気を見せて塵
(ちり)の中に跪(ひざまづ)いたり
 涙を流すのを見ることはないだろう。
 というのも、残忍な神よ、あなたの最も内密な望みは
 打ち勝ちがたく私の心に響いているからだ、
 この生を愛すること、
 この無意味な生を野蛮に意味もなく愛するということ
 それを私は、すべての迫害と
 すべての誘惑にもかかわらず忘れ去ってはいないからだ。
 あなたをも、あなたの気まぐれなやりかたをも
 私の心は、あなたに逆らって罵
(ののし)りながら、愛す。
 そう、私はあなたを愛する、神よ、私はあなたの下手な統治で
 縺
(もつ)れきったこの世を、熱烈に愛す。
 ……聴け!楽しき人々の住まう高みから
 歌とさんざめく笑いが風に乗って来る、
 女の金切り声と盃
(さかづき)の打ちあう銀の響きとが。
 されどそれら満たされきった人々よりも
 さらに深い快楽にさらに甘く酔いしれて
 生きることへの愛が
 幸
(さち)なく飢えた胸にこそ輝くのだ。
 憤然として私は眠れぬ眼
(まなこ)から
 疲労を振り落とし、
 深く息を吸って貪欲に心を澄ませ
 夜と風と星の光と雲の山脈を
 飽くことなき魂に吸いこむのだ。



 


 ↑表題から想像したのとは、ずいぶん違う内容だったのではないでしょうか? まるで、天に向って唾を吐きかけるような‥‥

 この詩が書かれたのは、1914年9月。第1次世界大戦勃発の約1か月後でした。


 そこで、今夜の音楽は、“神を呪う劫罰のしらべ”――ということで行ってみたいと思います。まず、こちら↓


 

モーツァルト『レクイエム 二短調』から
「キリエ」
ルドルフ・ショルツ/指揮
ウィーン楽友協会合唱団
ヘルベルト・フォン・カラヤン/指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

 


「   《キリエ》

 Kyrie  eleison
 Christe eleison
 Kyrie  eleison

 主よ、   あわれみたまえ
 キリストよ、あわれみたまえ
 主よ、   あわれみたまえ



 『レクイエム(鎮魂曲)』は、葬式のミサで歌われる一つづきの聖歌。モーツァルトは、これを作曲しながら、

「まるで、自分のレクイエムを作曲しているような気がする。」

 という言葉を残しています。じっさいに、彼は作曲の途中で亡くなり、未完の楽譜を弟子たちが完成させたものが演奏されています。

 ↓映画『アマデウス』では、『レクイエム』の作曲をモーツァルトに依頼した“謎の黒装束の男”は、宿敵の宮廷楽長サリエリの変装でした。文字通り、モーツァルトを死に至らせるための作曲依頼だったのです。――と、これは、もちろんフィクションです。『レクイエム』をモーツァルトに依頼したのは、サリエリとは無関係の・ある貴族だったことが、最近の研究で判明しています。

 

 『アマデウス』のサリエリは、モーツァルトが『レクイエム』を作曲中、熱病に侵されて床に伏すと、モーツァルトのアパートへ出かけて行って、彼を“励まし”、作曲を“手伝”ってやるのです。モーツァルトは、ライバルだと思っていたサリエリの“友情”に心底感動し、無理をして病床で作曲を再開する。そのあげく、熱病をこじらせたモーツァルトが事切れると、サリエリは、彼の手から楽譜を奪いとり、静かに立ち去って行く―――というストーリーです。

 たしかに、それはフィクションなのですが‥‥、この曲に見られる天才的な閃き(のちほど、Wiki独語版の解説を引用します)は、まるで、2人の対照的な音楽家の感性がぶつかり合い、協力しあって創り上げたかのように思わせるのです。

 ひたすら素朴に敬虔に、神を崇拝する田舎者のサリエリ。彼は、モーツァルトの、どす黒いまでに悪魔的なものと、天上的な清浄さが一瞬ごとに交替しあうような、その複雑な感性に接して、↓はじめは、眼をキョトキョトさせて、うろたえます。ついで、頭を抱えてしまい、‥しかし最後には、モーツァルトの天才的な着想を理解し、顔を輝かせて楽譜に書きとって行きます。「異名同音」(ある調の和音を、別の調性の和音に読み替えてしまうこと)によって、半音下の音階に転調し、階段を下りるように下降してゆく〔説明は、↓独語版ウィキで〕‥、まさに天才的なコード進行の離れわざをご覧ください:


 

映画『アマデウス』から
「コンフターティス(呪われし者どもが)」
(スコア付き)

 


「   続唱7 《コンフターティス》

 Confutatis maledictis
 Flammis acribus addictis
 Voca me cum benedictis

 呪われた者どもが退けられ、
 激しい炎に飲みこまれる時、
 祝福された者たちとともに私をお呼びください。


 Oro supplex et acclinis,
 cor contritum quasi cinis:
 gere curam mei finis.

 私は灰のように砕かれた心で、
 ひざまずき、ひれ伏して懇願します。
 終末の時をおはからいください。

 

 



 



「          《コンフターティス》

 

 モーツァルトは、この楽章を、『レクイエム』全体の調性二短調ではなく、対照的なイ短調で書いた。

 モーツァルトは、16分音符と32分音符の組み合わせによる、バス声部と弦楽部の力強いユニゾンを使用して、《呪われし者ども…》のメッセージ、すなわち地獄の永遠の劫火を表現している。モーツァルトが表出する、この強烈なパンチは、その後に続く天上的なデュエットと、コントラストをなしている。(Youtube 提供者説明文)


 前章につづいて演奏される《コンフターティス》は、鋭くリズミックで躍動的な、低音部と高音部のコントラスト、そして、劇的な調和への転換によって、強い印象を与える。

 まず、“転がる”ような弦楽のバスに、フォルテの男声合唱が重なり、力強い付点音符のリズムが、地獄の映像を描き出す(Confutatis maledictis, flammis acribus addictis =“悪人どもは締め出され、焼き焦がす炎に投げ込まれた”)。‥‥と、低音の伴奏全体が止み、女声合唱が、やさしく小声(ソット・ヴォーチェ)で、かれらを至福の天上へ救い上げよとの願いを歌う(voca me cum benedictis)。

 次の小節で、ついに、――“ひれ伏す贖罪者”の歌詞(Oro supplex et acclinis)に対応して――イ短調(Am)の異名同音による属和音(セブンス・コード:E♭7)への移行、それによって変イ短調(A♭m)への転調;低音部のこの驚くべき降下が、強烈な効果を伴って繰り返され、最後に、短調から長調に変って、Fの主和音(Fメジャー)に至る。そして、A上の属和音(A7)が、『怒りの日[続唱]』の最終章《ラクリモサ》へと、休止なく続いてゆく。(Wiki-Deutsch)


 

モーツァルト『レクイエム 二短調』から
セクエンツィア(続唱)
第5曲「コンフターティス」
ヴィルヘルム・ピッツ/指揮
ニュー・フィルハーモニア合唱団
ラファエル・フリューベック/指揮
ニュー・フィルハーモニア管弦楽団

 



「            プロコフィエフ 《スキタイ組曲》    

 

 1916年にまとめられた。

 

 はじめ、スキタイ人を題材としたバレエ音楽《アラとロリー》として作曲されたが、音楽プロデューサー・ディアギレフは、これは《春の祭典》の二番煎じだ、と言って断わったという。そこで、演奏会用の管弦楽組曲《スキタイ組曲》として書き直された。

 

 楽曲は、以下の4楽章からなる。 

 

1 ヴェレスとアラへの讃仰:スキタイ人の太陽神ヴェレスと、その娘アラへの礼拝。色彩的な音楽で、スキタイ人の太陽信仰を表現する。兇暴な部分は太陽神ヴェレスを、柔和な部分はその娘アラを表している。 

 

2 邪神チュジボーグと魔界の悪鬼の踊り:スキタイ人がアラに生贄を捧げていると、7匹の魔物を従えた邪神チュジボーグが現れて、野卑な踊りを始める。 

 

3 夜:邪神チュジボーグは、夜陰に乗じてアラを襲う。月の女神たちがアラを慰める。

 

4 ロリーの門出と太陽の行進:勇者ロリーがアラを救いに登場する。太陽神ヴェレスがロリーを助けて、邪神チュジボーグを打ち負かす。勇者と太陽神の勝利、日の出を表す音楽が組曲を締めくくる。」⇒:(Wiki)

 

プロコフィエフ『スキタイ組曲』から
第2楽章「邪神チュジボーグと魔界の悪鬼の踊り」
アンタル・ドラティ/指揮
ロンドン交響楽団

 



 

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