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Wilhelm von Gloeden

 



       夜の道

 一歩一歩闇の中で踏み出す私の靴を
 夜がやさしく巨きな夜が私をつつむ、
 しずくで湿った塀のかたわらに立ちどまり
 手と額
(ひたい)とを濡れた苔に圧(お)しつける。

 暗く沈んで風と星に枝を
 伸ばして揺れるアカシアの樹、
 遠くで光るのは稲妻か、
 目の前はなにも見えないのだが。

 愛は魔法の糸をあやつって
 私の心にあらゆる遠方を引いて来ようとする、
 北極星が私を呼ぶ昴
(プレイアデス)
 兄弟、天上においでよと。

 俗世間のもろもろに私は縛られている、
 生のすべてに私は開かれている、
 いま新たな軌道を私は見出だした、
 それは俗界の地図に私を引きとめる。




 百周回は、絶賛ありがとうございました←

 そこで、今夜はあえてマイナーな作曲家をとりあげてみたいと思います。ドメニコ・スカルラッティ(1685-1757)は、ドイツのバッハ、イギリスのヘンデルと同時代に、イタリア~スペインで活躍しました。

 スカルラッティ一家も、バッハ一家と同様に音楽の“天才の血筋”―――父のアレッサンドロ・スカルラッティのほうが有名ですが、ドメニコも、↓このCDで演奏しているスコット・ロス(1951-1989)が取り上げて以来、一躍有名になりました。

 ちなみに、スコット・ロスは、長髪にジーンズという、古典音楽界には異例の格好でデビューし、演奏のしかた(譜面を見ないで弾くなど)でも、バロック音楽のしきたりを破って、物議をかもしました。しかし、その演奏はコンクールの審査員から、「まるで自分で作曲したかのようだ」と高い評価を受けました。エイズで夭折しています。生涯未婚。ゲイだったと言われています。鉱物採集、畑仕事、ユリの栽培などが趣味で、それもなんとなく“ゲイ・テイスト”ですね。


 

ドメニコ・スカルラッティ『ソナタ』K.1,K.2,K.3
K.1 二短調
K.2 ト長調
K.3 イ短調
スコット・ロス/チェンバロ

 


ジュゼッペ・ドメニコ・スカルラッティ(Giuseppe Domenico Scarlatti, 1685年10月26日 - 1757年7月23日)は、イタリアのナポリ出身で、スペインのマドリードで没した作曲家。同じ年に、J.S.バッハ、ヘンデルという、バロック時代の代表的作曲家が生まれている。スカルラッティも、その時代の鍵盤曲に新しい用法を取り入れた重要な作曲家である。

 個性溢れるチェンバリズムが繰り広げられる555曲の単一楽章のソナタ(練習曲)が、そのテーマ性と展開によって親しまれている。

 1685年、ドメニコは有名な作曲家であるアレッサンドロ・スカルラッティの子として、ナポリに生まれた。10人兄弟の6番目の子だった。スカルラッティ家はバッハ家やクープラン家と同様の音楽家の一族だった。1701年にナポリの教会付き作曲家兼オルガン奏者に15歳で就任した。

 スカルラッティは鍵盤作品の作曲者として有名であるが、それらはチェンバリズムを追求する明確な方向性が見出されるため、広く鍵盤楽器一般のためでなく、特別なもの以外はチェンバロで演奏する効果に限定されると言える。鍵盤作品以外に、歌劇や宗教曲なども遺している。」(Wiki)



 最近、スカルラッティの「ソナタ」の中では、なぜか、↓下の K.141 だけが、異常に頻繁に演奏されていて、クラシックのポピュラー・ナンバーに参入しそうな勢いですw 冒頭の「タタタタタタ」という連打音が好まれるのでしょうか?

 

 アルゲリッチのピアノで聴いてみたいと思います。

 

ドメニコ・スカルラッティ『ソナタ』K.141
マルタ・アルゲリッチ/ピアノ

 

 




 

ドメニコ・スカルラッティ『ソナタ』K.218
大藤莞爾/チェンバロ

 


 ↑上で見たウィキペディアの説明にもありましたが‥、スカルラッティの曲は、いちおう広く“鍵盤用”となっていますが、チェンバロに合っているようです。パイプオルガンの演奏もありますが、あまり感心しません。

 しかし、アコーディオンで弾くと‥‥、これがなかなか良いのです。作曲者自身、アコーディオンは予想しなかったにちがいありません。たぶん、ドメニコ特有の、哀愁をふくんだメロディーが、この楽器に合っているんだと思います。

 ↓ちょっと聴いてみてください。。。


 

ドメニコ・スカルラッティ『ソナタ』K.450 ト短調
ビャルケ・モエンセン/アコーディオン


 

ドメニコ・スカルラッティ『ソナタ』K.98 ホ短調
ステパン・アルマサル/アコーディオン

 


 今夜は、鍵盤一本のソナタばかり聴いたので、最後は、古楽編成のバロック・オーケストラによる、コンチェルト・グロッソで締めとしましょう。残念ながら、楽団は不明。

 

ドメニコ・スカルラッティ『合奏協奏曲 第5番』ニ短調
 




      そうは言っても

 そうは言っても若気の日々の
 あらゆる時間をぼくは楽しんでいた。
 手塩にかけた花盛りが傷と苦さと
 悲しみしかもたらさなかったと嘆くべきなのか?

 もしも若き日々がもういちどやってきて
 かっての美しい特徴をそのまま備えていたと
 したら、――それがかつてとはべつの結果をもたらすのを見て
 ぼくは満足するだろうか?



 

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