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サハリン、ポヤソク地峡


 





 「北方領土」、つまり、日本の領土だという理屈は、国際法上の一つの主張にすぎません。諸条約の一つの解釈にすぎないのです。そして、現状の国際法とは、結局のところ“力の論理”にすぎません(断言して悪いなら、力の論理が半分以上と言いましょう)。ヨーロッパ人が、船に乗ってアフリカやアメリカに行った時、「この土地は俺が発見したから俺のものだ。」と言った。それが、領土に関する国際法です。その土地に、何万年も前から住んでいる住民がいても、「発見した」と言うのです。なぜなら、ヨーロッパ人には「航海日誌」という“証拠”がある、アフリカ人にはそれがないからです。

 韓国が「独島はわが領土だ」と言い、日本が「竹島はわが領土だ」と言うのも、この“発見の論理”の変奏にすぎません。李朝時代の正史と国土地図に載っているぶん[世宗實錄地理志 1434年,八道総圖 1530年]、韓国の主張には信頼性があり、日本の主張は最初から敗北している[18世紀以後の地図のみ]にしても。。。

 

  サハリンと千島も同じです。間宮林蔵の探検旅行記には、樺太には日本人は住んでいない、夏の間だけ交易場に滞在して、冬は蝦夷地(北海道南部)に戻ると書かれています。もちろん、ロシア人もいません。まして千島は推して知るべし。 

 

 『千島樺太交換条約』がうんぬんと、日本の政府は言いますが、他人が住んでる他人の土地を“交換”したからといって、自分らのものになるわけはありませんwww
 




 ↑こちらのコメント欄でアンナ・マグダレナさんが正当に述べておられるように、「北方領土」は、「遠い将来、国境など意味をなさなくなるまで、そのまま」でしょう。

 それが、どうして悪いことでしょうか? ―――「北方領土」の住民
(近代以後の膨張国家の波に乗って入り込んできたロシア人・日本人を除く、正統な住民)の声を聴いてみましょう。

 オーストラリアの日本史学者モーリス=スズキは、サハリンの非血統ロシア・非日本住民たちが、つぎのような現代日本観を語っていたと記しています。



「年配の女性とその娘、そして20歳ぐらいの青年とその母親からなるこのグループは、サハリンの先住民であるニヴフウイルタの人たちだった。このうちの比較的若い3人はロシア語だけを話すのだが、年配の女性はロシア語のみならず、日本の植民地時代にオタス〔サハリン中部にある、樺太庁が住民を強制移住させて造った町〕で教育を受け、上手な日本語を話し、それだけではなく、ウイルタ語も朝鮮語もナーナイ語も話せる、とわたしに言った。

 わたしがフェリーで会った先住民の4人組は、北海道に住む、その生き残って日本に『帰還』させられた親族
〔敗戦時に日本軍・当局は、樺太生まれで日本には行ったこともない先住民たちを強制的に北海道に「引き揚げ」させた。移住先の食物の違いと、感冒等の免疫がないために、大部分が死亡した〕を訪問しての帰り旅だったのである。

 年配の女性は、これが4度目の訪日だ、と言った。

 『日本はどうでしたか?』とわたしが訊くと、彼女は大きな笑みを浮かべ、

 『Nichevo
〔どうでもよい〕』―――まあたいしたことはない。

 と、ロシア語と日本語で、しっかりと答えた。」
テッサ・モーリス=鈴木・著,大川正彦・訳『辺境から眺める――アイヌが経験する近代』,p.248.



 私が南サハリンで会った朝鮮人(強制連行され、敗戦時に置き去りにされた人とその子孫)も、日本には関心がない、韓国には行ってみたいが、自分たちの故郷があるからで、韓国がリッチになったからではない、と言っていました。

 「北方領土」の住民は、日本がどんなに繁栄しようとも、そんな国に関心はないのです。「経済協力」にも関心はありません。金儲けをしたい日本人が、やりたがっているだけです。



 

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サハリン、オホーツク海岸