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       わたしの愛

 わたしの愛は黙して悲しみに
 耽り、遥かな死者たちを想う。
 わたしはそれを多くの人に捧げたが
 誰も受けとろうとはしなかった。

 わたしは路地という路地を売り歩いたのに、
 見向きもされなかった――それは笑わないから!
 わたしの愛をわたしはどうしたらいいだろう?
 それをわたしは死者たちの手にゆだねようと思う。





 こんばんは。

 前回の最後に予告しましたように、今夜は、シベリウスが叙事詩『カレヴァラ』の一部を交響詩+カンタータに仕上げた『クレルヴォ交響曲』を特集したいと思います。

 『カレヴァラ』の編著者エリアス・レンロート(1802-1884)は、フィンランドの医師でしたが、故国がロシアとスウェーデンに分割されて支配される中で、自分の母語であるフィンランド語の復興に強い関心を持っていました。1831年には『フィンランド文学協会』の設立に参加し、フィンランド西部のカヤーニ、北部のラップランド、東部のカレリアなどで開業しながら、各地の伝説歌謡を収集して公表しました。そればかりでなく、それらの神話・伝説を自分でつなぎあわせて、一大「民族叙事詩」を作り上げてしまったんですね。

 この『カレヴァラ』を、レンロートは、説話の細部に手を加えてつなぎあわせただけでなく、そこには、彼がオリジナルで書いた部分も含まれているそうです。しかし、いずれの部分も古来の伝説そのままではなく、編者の近代的意識による解釈が加えられていて、その意味では、近代人のロマンチックな感性に訴えるものが大きいんですね。『カレヴァラ』が独立運動を大きく盛り上げる力になったのは、おそらくそのためでしょう。伝説民謡のままだったら、そうはならなかったと思うのです。

 レンロートは、現在はフィンランドの、ウーシマーという地方で生まれたんですが、ここは当時はスウェーデン領でした。Lönnrot という彼の苗字も、現代フィンランド語として読めば「レンンロト」ですが、ふつうはスウェーデン語風に「レョンルート」と発音されるようです。カタカナの書き方も、人によってまちまちな現状ですから、この記事では「レンロート」に統一しておきます。

 『カレヴァラ』のあらすじ←こちらをざっと見てもらうとわかるように、『カレヴァラ』は、民話や昔話のようなものとはかなり違います。むしろ、神話と伝説の中間くらいの内容なんですね。主要な登場人物はみな、人間というより妖精のようだったり、神人のようだったり、魔力、怪力といった超人的な能力を持っています。なかでも、「歌い変える」というんですが‥、歌を歌うことによって、凶暴なオオカミを、おとなしい牛の姿に変えたり、人間を鳥に変えてしまったり、相手の人間を土の中に埋めてしまったりすることができるんです。まさに、“言霊(ことだま)の力”なんですね。

 『クレルヴォ物語』(⇒:あらすじや、その前後になると、北欧の《サーガ》と共通するような、家族と家族、種族と種族のあいだの復讐譚、凄惨な流血の争いが前面に出てきます。そのなかで、「クレルヴォ」のような特異な主人公の性格にスポットが当たるのは、やはり編者レンロートの加えた近代ロマン派的な色どりなのでしょう。

 ちなみに、「クレルヴォ Kullervo」も、正確な発音は「クッレルヴォ」ですが、めんどうなので「クレルヴォ」で行きますw



「   《あらすじ》

 世界のはじめ、人類は3人の兄弟とそれぞれの一族からなっていた。3人のうち、カレルヴォウンタモのあいだで争いになり、両一族は殺し合って全滅してしまった顛末が、この物語である。残った3人目の兄弟の子孫から、フィンランド人が生まれた。

 クレルヴォは、ウンタモに滅ぼされたカレルヴォ一族の女が産み落とした男子。恐ろしい怪力の持ち主で、魔力をもっているが、人間としてまともな仕事をすることができない。

 クレルヴォは奴隷として売り飛ばされ、苦労した末、死んだと思っていた一族両親とめぐりあう。しかし、ある日出会った少女と交わったあとで、彼女が行方不明になっていた妹であることを知る。妹は身を投げて死に、クレルヴォは、ウンタモ一族に復讐を遂げるべく出征する。

 ところが、彼の復讐行が進めば進むほど、いったん生き返った彼の一族は次々に死んでゆき、彼が復讐を遂げた時に、死に絶えてしまう。そして、ただひとり生き残ったクレルヴォも、自害して果てる。」



 ざっと全体のスジを頭に入れたところで、↓“序曲”を聴いてみます。クレルヴォの限りない力と不安な前途を思わせるメロディー‥‥

 

 音源の音が小さいですから、はじめはボリュームを上げたほうがよいかもしれません。6:30 からは音が大きくなります。 

 

シベリウス『交響曲 クレルヴォ』から
第1楽章「イントロ」 アレグロ・モデラート
オスモ・ヴァンスカ/指揮
ラハティ交響楽団

 

 




 


「   《あらすじ》

 第2楽章(カレヴァラ 第31~33章)

 3人の兄弟が世界のあちこちに住みついた。ウンタモはカレリアに行き、カレルヴォはもとの場所にとどまった。ウンタモカレルヴォは、土地と漁場をめぐって争いになり、ウンタモカレルヴォの一族を皆殺しにして、一人の女をつれ去った。

 ところが、その女は孕んでいて、クレルヴォを産み落とした。クレルヴォは異常に速く成長し、3か月後には少年になって、父と一族の仇を討つと誓った。ウンタモは彼を殺そうとしたが、彼は魔力が強くて、水に沈めても焼いても首を吊っても死ななかった。そこで、仕事をさせると、何をやっても失敗した。子守をさせれば子供を殺し、樹を伐らせれば森も土地も荒廃させ、柵を造らせれば、天に届くほどの誰も越えられない柵をこしらえた。ウンタモクレルヴォを、鍛冶神イルマリネンに奴隷として売り飛ばした。イルマリネンは、カレヴァラの天地創造神の一人で、“天の覆い”を鍛造した鍛冶屋であった。

 イルマリネンのところで、クレルヴォは牧童をすることになった。ところが、イルマリネンの妻は、昼食のパンのなかに石を入れて彼を送り出した。そのため、クレルヴォはパンを切ろうとして、父の形見の小刀を折ってしまう。彼は怒り、牛の群れを熊と狼に食わせて殺し、牛に歌い変えた熊と狼を連れて戻った。イルマリネンの妻は牛の乳を搾ろうとして、熊と狼に襲われて死んでしまう。」


 

シベリウス『交響曲 クレルヴォ』から
第2楽章「クレルヴォの少年時代」 グラーヴェ
パーヴォ・ベリルンド/指揮
ボーンマス交響楽団

 


 悲劇にふさわしい寒々とした、また不安と驚きにみちた少年時代。

 音が小さくてつまらないと思ったら、11:00 あたりから先を聴いてみてください。

 「クレルヴォ」って、日本の神話で言ったら、スサノオのミコトに似ていませんかね? 乱暴狼藉のために、高天原から追い出されてしまったスサノオは、地上で八岐のオロチを退治して、生け贄えの娘を救出し、彼女と結ばれてメデタシ、メデタシ。しかし、「クレルヴォ」のほうは、悲劇のヒーローとなって、最期には、彼もろとも敵も味方も全滅してしまいます。

 《カレヴァラ》は、戦闘と復讐劇に彩られたギリシャ、ゲルマンの神話・叙事詩の影響を、色濃く受けているわけです。しかし、どこか違う感じもします。また、近代的なロマンチシズムの色合いも感じられます。


「   《あらすじ》

 第3楽章(カレヴァラ 第34~35章)

 クレルヴォは、イルマリネンの家から逃げ出し、森をさまよった。森の精の少女が現れ、じつは彼の一族は生きていて、ラップランドとの“さかい”で暮らしていると告げる。

 こうして、彼は両親のもとに戻った。両親は、これで一族全員の無事がわかったと言って喜んだ。しかし、クレルヴォの妹だけは、まだ行方が知れないのだと言う。彼は両親の家で働いたが、やはり仕事ができず、舟をこげば櫂受けも舟も破壊し、網打ちをすれば網ごと粉砕した。そこで、旅には慣れているだろうと、税金を納めに行くことになった。その帰りに出会った娘を、彼は橇に誘い、一夜を共にした。

 翌朝、互いの名乗りをしてみると、彼女は行方不明になった妹だった。彼女は川に身を投げて死ぬ。クレルヴォは悲しみ、家に帰って、自刹しようとするが、母に止められた。彼は考え直し、彼を売り飛ばし、妹を離散させたウンタモ一族を滅ぼす決意をして出かける。」


 この、クレルヴォと妹の出会いと近親相姦の場面では、それぞれに扮したバリトン、ソプラノと、語り手の役割をする男声合唱団が登場します。
 

 

シベリウス『交響曲 クレルヴォ』から
第3楽章「クレルヴォとその妹」 アレグロ・ヴィヴァーチェ(前半)
ヘレナ・ユントゥネン/ソプラノ
ヨルマ・ヒュンニネン/バリトン
ユッカ・ペッカ・サラステ/指揮
ラハティ交響楽団
ラハティ男声合唱団,オタニエメン・カイク合唱団

 


「   《あらすじ》

 第4,5楽章(カレヴァラ 第36章)

 母に出征を止められたクレルヴォは、自分が戦いで死んだら誰か泣いてくれるかと家族に尋ねた。しかし、泣くと言う者はいなかった。それならば、戦いで死んでしまったほうがよいと言って、彼は出発する。途中、何度も使いの者がやって来て、彼の家に不幸があったことを告げるが、クレルヴォは意に介さず、旅をつづける。彼は、ウンタモ一族の村に到着し、住民を皆殺しにし、すべての建物を破壊した。

 彼が家に戻ると、家族は死に絶えて、廃墟となっており、母の飼っていた犬が一匹いるだけだった。クレルヴォは、森に入って行き、気がつくと、そこは妹の死んだ場所だった。彼は刀で胸を突いて自刹する。」


 敵を滅ぼしに出かけてゆくと、その行程で、自分の家族も次々に亡くなってゆくというスジ書きが特徴的です。ちょっと、どこの国の伝説にもないような、因果応報にも似た巨大な運命の力を感じさせないでしょうか?

 そして、主人公の死に対して、誰も泣いてくれる者はいない。そもそも、彼は自らの行為の結果として、最後に生き残った、たった一人の人間として死ぬのです。救いようのない結末―――これが、人間というものの課せられた運命なのだ。。。


 

シベリウス『交響曲 クレルヴォ』から
第5楽章「クレルヴォの死」 アンダンテ
オスモ・ヴァンスカ/指揮
ラハティ交響楽団

 

 


      祝 祭

 暗い繁みが重苦しく匂う、
 風がプラタナスに掛けられた
 色彩の灯をゆらゆらと揺らす、
 屋根の上で赤い旗がさわがしい。

 万歳
(ユッヘ)! いますべての欲情が

 ぎらぎらした焔となって燃えあがる。
 いまおまえの美しい胸で
 愛の城が焼け落ちる。

 万歳
(ユッヘ)! いまぼくが
 おまえの熱い傍らにいるのもこれが最後、
 ぼくは煌々たる広間を抜けて
 おまえに笑いかけつつ先導する。

 そして朝、騒々しい焔はしぼんで消え
 ワルツは鳴りやんだ、
 ぼくたちの美しい愛は死んだ
 ぼくたちの御伽話
(メルヘン)は沈没した。




 

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