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スロヴァキアの古城

 



       日記帖の一頁

 家の裏手の斜面でわたしは今日
 樹根の絡み合ったごろたの土に穴を掘った
 根を伐り石をほじって奥深く、
 そして穴から石をすべて除
(の)
 さらさらした瘠せた土を掘り出して捨てた。
 それから小一時間わたしは
 年を経た森のあちこちで跪き
 腐った栗の切り株から土鏝
(つちごて)と手のひらで
 温かい蕈
(きのこ)の匂いのするあの柔らかい黒土を
 バケツにたっぷり二杯集め、
 その重い土を運び上げ
 掘った裏庭の穴に樹
(き)を植え込むと、
 その周りに腐泥の土をていねいに詰め、
 日なたで暖まった水をゆっくりと注ぎ
 根が泳ぐくらい柔らかく浸してやった。

 小さく若く、樹は立っている、ずっと立ちつづけるだろう、
 私たちがどこかにいなくなり、私たちの日々の
 巨いなる喧騒、きりのない辛苦、
 その不安な迷いが忘れられてしまっても。
 樹は疾風
(フェーン)に腰を曲げ、風雨に揺さぶられ、
 陽は彼に笑いかけ、湿った雪が圧
(の)しかかる、
 鶸
(ひわ)や五十雀(ごじゅうから)が棲みつくだろう、
 静かな針鼠が彼の根もとを掘り返すだろう。
 そして彼が経験し、味わい、堪え忍んだすべてが、
 歳月のながれ、交替してゆく動物たちの世代、
 抑圧と快復、風と日の恵み、
 すべてが日ごとにそのさやめく葉叢
(はむら)の唄となって
 あふれだし、やさしく揺れるその梢
(こずえ)
 情深いしぐさとなり、樹脂
(やに)をふくんだ樹液の
 やわらかな甘い香りとなって;
 樹液は、固く閉ざされて眠る彼の冬芽をひたし
 光と影が織りなすその永劫の戯れを
 彼は自足しつつ営みつづけるのだ。




 樹を植える、というテーマの詩もめずらしいですが、それにふさわしい音楽となると、ほんとうに首をかしげてしまいます。

 樹の音楽なら、有名なのがたくさんありますよ。シューベルトの『菩提樹』とか、「モ~ミの木、モ~ミの木ぃぃ、…」とか、有名すぎて気が退けてしまうw

 そこで、ちょっと範囲を広げて、「森」ということで拾ってみました。ドイツの森‥‥といえば、鬱蒼と暗いイメージですよね? その暗いなかでも、最たる真ッ暗は、↓このへんかな?


「          歌劇『魔弾の射手』 

 

 「魔弾の射手」とは、ドイツの民間伝説に登場する、意のままに命中する弾(魔弾)を所持する射撃手である。この伝説では7発中6発は射手の望むところに必ず命中するが、残りの1発は悪魔の望む箇所へ命中するとされる。  舞台は、30年戦争末期、1650年頃のボヘミアに設定されている。(Wikipedia)」

 「ボヘミア」は、現在のチェコ。第1次大戦後に独立するまでは神聖ローマ帝国領でした。神聖「ローマ」というくらいですから、たてまえ上は諸民族の帝国なんですが、事実上はドイツ人が支配しています。

 だからチェコ人のボヘミアに、ドイツが侵略してきたのかというと、そんな簡単な話じゃないw 歴史的には、ドイツ人の祖先のゲルマン人のほうが先にやってきたらしいんです。そのゲルマン人が、さらに西のほうへ「大移動」したあとで、スラヴ人が、ドナウ河下流から、遡って移住してきた。ところが、そのあとで、中央アジアから遊牧民のマジャール人(ハンガリー人)がやって来て、ドナウ中流域に居座ってしまったので、チェコとスロヴァキアにいたスラヴ人は、南スラヴ人の本隊(セルビア,ブルガリア,‥)と切り離されてしまった。そして、徐々にドイツから植民者が移住して来るようになった。こうして、現在の民族配置ができた‥‥ということなんです。

 しかも、プラハは、もともとドイツでもチェコでもなく、ユダヤ人が建設した交易都市だったのです。

 ボヘミア王を兼任した 14世紀の神聖ローマ皇帝カール4世などは、ドイツ系なんですが、文化振興に力を入れたので、当時プラハはヨーロッパ文化の中心地となったほどでした。現在のチェコでも、このカレル皇帝は、歴史上の偉人として尊敬されているんですね。プラハの中心、ヴルタヴァ(モルダウ)川に、「カレル橋」という古い橋が、かかってますよね。



 さて、『魔弾の射手』のあらすじですが、日本語版ウィキの荒スジは不正確なので(CDについてる解説と違うから、変だと思った‥w)、↓独語・英語版から要約しました。



「          《あらすじ》 

 

第1幕 狩人のマックスは、村の射撃競べで、ことごとく的をはずしたので、許婚(いいなづけ)アガーテの父である森林官に、明日の御前試合で負けたら、結婚は許さないと言われてしまう。そこへ狩人仲間のカスパーがやってきて、俺は意のままに命中する『魔弾』の造り方を知っているから、おまえに造ってやろう。今夜 12時に、森の奥の『狼谷』に来い、と誘う。

 じつは、カスパーは、森林官の地位を目当てに、先にアガーテに求婚して断わられていたので、後から婚約したマックスを恨んでいた。しかも、カスパーは、悪魔ザミエルとの契約で、魔弾と引き換えに自分の魂を売り渡しており、今夜までに代りの生け贄を差し出さなければ、魂を取られてしまう。カスパーは、マックスを自分の代りに供して、自分は助かろうと目論んでいた。マックスの弾が当たらないのも、じつは、ザミエルが呪いをかけているせいだった。

第2幕 夜半ちかく、先に『狼谷』に来たカスパーは、悪魔ザミエルと取引していた。カスパーは、マックスだけで足りなければ、アガーテとその父も生け贄にしようと言う。ザミエルは、「地獄の門の前で!明日、そいつか、おまえかだ!」と叫び、マックスの魂を取るのに失敗したときのために、アガーテにも呪いをかける。

 マックスが到着し、カスパーが魔弾の鋳造を始めると、薄気味悪い怪物や野獣、夜の妖怪などが現れ、稲妻と疾風が吹きすさぶ。カスパーが7箇目の魔弾を鋳おわると、ザミエルが現れてマックスに手をかけようとするが、その時午前1時の鐘が鳴って、魔性の時間は終る。 

 

第3幕 領主の前で、森林官の跡継ぎを決めるための御前試合が行なわれる。マックスの6発の魔弾は、みごとに的に命中した。ところが、7発目(悪魔に委ねられている)の魔弾は、そこへ走って来たアガーテに向かってしまう。しかし、アガーテは、あらかじめ森の隠者が施しておいた魔除けの花冠のおかげで助かり、魔弾はカスパーに命中し、カスパーは天を呪詛しつつ絶命する。」


 なんとも薄気味悪い「ボヘミアの森」ですが、ほんとにそんなに気味の悪い森なのかというと‥‥、それは、のちほどチェコの作曲家で確かめることにします。ともかく、まずはドイツ人の「魔弾」伝説。

 マックスとカスパーが、森の奥で「魔弾」を鋳る場面。「魔弾」の鋳造が始まるのは 5:00- からです。英語の字幕がついてるので、何発目を造ってるのか、くらいは分かるはず:


 

ヴェーバー:オペラ『魔弾の射手』から
第2幕第2場「恐怖の狼谷」後半

 

 



 



 さて、「ボヘミアの森」を、スメタナの『わが祖国』から聞いてみるとしましょう:

 

スメタナ『わが祖国』から
「ボヘミアの森と草原から」
ラファエル・クベリーク/指揮
チェコ・フィルハーモニー管弦楽団

 


 『魔弾の射手』とは、ずいぶんイメージが違いますね。じっさいのチェコの森は、こちらのほうに近いと思います。じっさい、そんなに深い森ではありません。ヴェーバーの音楽は、伝説上の「ボヘミア森」と言うべきですね。

 ↓つぎは、ドヴォルザーク描くボヘミアの森(⇒:ウィキ)。チェロと弦楽器のアンサンブルもさることながら、チェコの森の映像が良いので、この音源にしました。


 

ドヴォルザーク『森の静けさ(クリト)』
ネボイサ・ブガルスキ/チェロ
アンサンブル・フィコルダ

 


 とにかく明るいですね、いやいや‥私たちが、ヨーロッパの森など比べ物にならない深い深い森の国にいるせいかも‥‥。そこで、もっと奥地へ、ロシアの森へ行ってみませう。『くるみ割り人形』から、「樅の森の踊り」↓

 “ハツカネズミとの戦争”のあと、王子に姿を変えた「くるみ割り人形」がクララと、お菓子の国へ旅立つ場面。


 

チャイコフスキー『くるみ割り人形』から
第1幕「樅の森の踊り」
ヴァレリー・ゲルギエフ/指揮
マリインスキー劇場

 


 ロシアの森は、いよいよ明るいです。雪が積もると、森の奥まで光が満ちてくるんですね。さいごは、ピアノ曲集『四季』から↓

 

チャイコフスキー『四季』から
「12月、クリスマスと年始」
ヴラディーミル・アシュケナージ/ピアノ

 



      四月の夜に記す

 おお、色というものがある…:
 青、黄色、白、赤、緑!

 おお、音色というものがある…:
 ソプラノ、バス、ホルン、オーボエ!

 おお、ことばというものがある…:
 語、詩句、脚韻、
 共鳴の絶妙な細やかさ、
 統辞法
(シンタクス)のマーチとダンス!

 ことばの遊戯をあそぶ者、
 ことばの魔術を嗜
(たしな)む者に、
 世界は花ひらく、
 世界は彼に笑いかけ、己
(おの)
 心と意味とを明かすのだ。

 きみが愛し、きみが追いもとめたもの、
 きみが夢見、きみがそれを生きたもの、
 どれが幸せで、どれが苦しみであったか
 きみには確実に分かるだろうか?
 ソ#とラ♭、ミ♭かレ#か‐
 きみの耳は聴き分けられるかね?



 

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