ふたつの谷から
はるかな谷底から
ひびく鐘の声
ひびいて告げるのは
埋めたての墓場。
べつの谷からは
まさにその時に
吹きよせて来る
楽しげな琴(リュート)の音(ね)。
風は私に告げている:
放縦の唄と死のひびき
さすらい人にとってそれらは
ぴったり合ったひとつの調べ。
誰か私のほかにもうひとり
両方をいちどに聴き取る者がいるのか?
こんばんは(^^)o
先日の連休は、関東地方は珍しい大雪になるときいて、喜び勇んでお山へ出かけたんですが、まぁたいしたことはなかったです。寒さだけはハンパでなくて、おまけに帰りの電車が遅れて吹きっさらしのプラットホームで1時間待たされるし、身体の芯まで冷えこんでしまいますた。。。
いちど雪の積もった時に撮ってやろうと思ってた石仏があって、すでにアップしましたように、さみだれ雪でも、まぁ写真としては良いものが撮れました。
さて、雪の音楽と言えば、これ↓。レオポルト・モーツァルトは、御存知あのアマデウス・モーツァルトのお父さんですが、さすが天真爛漫の“音楽の寵児”はこの父から生まれたか! ‥‥と思うか、それとも、モーツァルトの親父にしちゃダセー! と思うかは聴いて人それぞれでしょうねw
レオポルト・モーツァルト「音楽の橇滑り」ヘ長調
アンサンブル・エドゥアルト・メルクス
↓きょうの記事下の詩に出てきますが、シャクシギ(杓鴫)類は、極地と亜熱帯の間を行き来している渡り鳥で、日本には、春などに旅の途中で立ち寄るだけです。ヨーロッパ・アルプスでも同じなのでしょう。スイスに住んでいたヘッセは、長旅をする渡り鳥として、シャクシギには関心を寄せていたようですね。
さて、モーツァルトのお父さんには、こんどはアルプ・ホルンの曲を披露していただきます。
アルプ・ホルンは、アルプスのホルンという意味。ホルンの管が巻いてなくて、何メートルもある長~いホルンです。チョコレートのCMでご存知でしょう。ピストンも穴もありませんから、息の吹き込み方だけで音程を変えます。なので、どんな曲でも吹けるわけではない。作曲するほうも、そのへんを考えて作らないと、演奏できる曲にならないんです‥
レオポルト・モーツァルト「田園交響曲」から
第3楽章 プレスト
ファビアン・ユート/アルプホルン
ヨナス・エールラー/指揮
チューリヒ芸術大学
レオポルト・モーツァルトといえば、「おもちゃの交響曲」の作曲者として有名‥‥有名でした、と言うべきか...
「おもちゃの交響曲」は、誰が作曲したのやら、昔からいろんな説が唱えられている曲でして、現在でも決着がついていません。かつては、ハイドンの曲だと言われて、昔の音楽の教科書にはそう書いてあったそうです。
1951年に、ミュンヘンの図書館でレオポルト・モーツァルトの楽譜が発見されてからは、ハイドンではなく、レオポルト・モーツァルトの作曲にまちがえないということで、決着がついたかに見えました。
ところが、1992年にチロル地方の修道院で、もっと古い「おもちゃの交響曲」の楽譜が発見され、それには、今では全く忘れ去られた作曲家エトムント・アンゲラーが、1770年ころに作曲したと記されていたのです。そういうわけで、日本語版ウィキペディアでは、この“アンゲラー説”を最新の見解として紹介しています。この日本語版の執筆者が参照したのは、こちら⇒:ザルツブルク・ウィキの記事らしいんです。
ギトンの記憶では、数年前には、独語版ウィキペディアでも“アンゲラー説”を詳しく紹介していたような気がします。ところが今見てみると、独語版でも英語版でも、“アンゲラー説”はうんと簡単に触れているだけなんですね。それというのも、実は1992年の古写譜発見の2年後には、早くも異説が発表されていました。ロバート・イリングというオーストリアの音楽史家によると、発見されたもの以外に、アンゲラー自筆の「おもちゃの交響曲」の楽譜があって、それを見ると、自作ではなく、他人の楽譜から写譜したものらしいと言うんです(⇒:独語版ウィキ)。つまり、アンゲラーも実は作曲者ではなくて、もっと前に別の人が作曲したのだと‥
そういうわけで、これはもう、ほんとうの作曲者は、永久に分からないんじゃないか。英語版には、そんな意見が書かれていました。なにしろ、著作権なんて無い時代のことです。他人の曲を自分の曲集に入れて発表することが、ごくふつうに行なわれていた時代なのですから‥‥
レオポルト・モーツァルトの楽譜は、7楽章で構成され、「喜遊曲」という題名がついています。そのうち第4,5,7の3つの楽章が、こんにち「おもちゃの交響曲」として知られているものです。↓下の音源では、3:51 からあとの2つの楽章が、「おもちゃの交響曲」です。
レオポルト・モーツァルト「喜遊曲 ト長調」
トン・コープマン/指揮
アムステルダム・バロック・オーケストラ
早 春
嵐(フェーン)が毎晩叫んでいる
その湿った翼が重苦しく羽ばたく
杓鴫(シャクシギ)がよろけるように飛ぶ
もう眠っているものはない
いまやこの地すべてが目を覚ました
春が呼んでいるのだ。
はやるな、はやるな、わたしの心!
おまえの血の中で窮屈に抑えられた
熱情がふるえ、古い道すじに
みちびいてゆこうとも――
おまえの道はもう若いほうへ
向ってゆくことはないのだから。
よかったらギトンのブログへ⇒:
ギトンのあ~いえばこーゆー記
こちらは自撮り写真帖⇒:
ギトンの Galerie de Tableau