はじめの花々
せせらぎの傍ら
紅い草原の広がるかなたへ
この季節の日々
あふれるような黄の花々が
その黄金(きん)の眼を見ひらいた。
無垢の楽園からはとっくに堕ちてしまったわたしだが
生の初めのあの黄金の時間の記憶が
胸の奥底に蘇って、わたしを
その輝かしい花の瞳で見つめている。
この朝あざやかな花の一束を折りに出かけ
草一本折ることもなく
老いて恥じらい家へと向かうわたしであった。
早春の草原は「紅い」のです。見わたすかぎり真っ赤に枯れた草紅葉のじゅうたん。赤く枯れる草の種類は、めずらしくはないんです。
つらつら考えて見ると、赤い枯草のじゅうたんを見た場所は、みな山奥の湿原だったような。。。 そういえば、ヘッセはスイスの高地に住んでいたのでしたっけ。ヘッセの身のまわりでは、冬の草原と言えば、赤いじゅうたんなのかもしれません。
そして、黄色い花。
春の花と言えば、ピンクや白、真紅の花に目を奪われがちで、黄色い花は、どちらかというと地味な印象がありますが‥ それは、日本の春のような、緑色の背景の中でのこと。背景が“真っ赤なじゅうたん”だったら、目立つ花の色もちがってくるはず...
さて、音楽も今夜は、ぬくぬくとふやかされた温帯の季節とはひとあじ違う春を。
こういう春もあるんだ、ということで、極北の情趣をぞんぶんに味わっていただきたい。。。
シベリウス「春の歌」作品16.
ネーメ・イェルヴィ/指揮
イェテボリ交響楽団
シベリウスなど聞いたことがない‥という方もいらっしゃるかもしれないので、↑あえてポピュラーなヴァージョンのポピュラーな演奏を選びました。ほんとうにシベリウスの好きな方には、もの足りなかったでしょうねえw
「春の歌」には、1894年版、1895年版、そして↑この1903年初演の最終版、という3つのヴァージョンがあって、前の2つのヴァージョンを聴いたら、‥もうその渋さと言ったらこたえられないです。まだ寒風の吹きすさぶ中で、白樺の芽が少しずつ伸び出してゆくのを、森の中で、樹の幹に顔を押しつけて聞いているような... そちらを聴きたい向きは、youtube で「sibelius spring song」探してみてください。Osmo Vänskä の指揮したのが、すぐ見つかるはずです。
そして、シベリウス・ファン向きには、↓シベリウス本人の指揮した音源を。
ジャン・シベリウス「アンダンテ・フェスティヴォ」
ジャン・シベリウス/指揮
フィンランド放送交響楽団, 1939年ライヴ
やや?‥‥本人の指揮した“シベリウス”は、フィンランド国内の管弦楽団と指揮者たちの演奏に似てませんか? いやいや、彼ら以上にドメスティックで内向的。静かで綺麗‥
とすると、あの壮大なスケール、交響楽的な“シベリウス”は‥、あれは、外国の指揮者たちが抽き出していた音楽だったんだろうか?
二月の夕べ
丘から湖へと青じろく黄昏(たそが)れてゆく
やわ雪の融解が、にぶい輝きを放つ;
霧のなかで形を喪い、蒼い幻のように泳ぐ
細い枝の樹冠たち、死に絶えた樹々。
しかし村では眠たそうな路地のすみずみにまで
なまぬるい夜風が泰然と歩きまわっている、
生垣に立ち止まり、家々の暗い庭と若者の
夢のなかに、春を持ちこんでゆくのだ。
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