オルガン演奏
すすり泣くように、伽藍の天井に反響して
オルガンの音が渡ってゆく。敬虔な信者らの耳に
憧れと悲しみと天使の歓喜を響かせながら
何重ものコーラスを呑みこんで
精神の境域となって立ち上がるその音楽
至福の夢のなかに消えつつ揺れ
音の星辰が張る天の穹窿
星々の金球は互いに廻(めぐ)り求愛し
近寄ってはまた離れ
揺れながら陽の高みに舞い上がる
まるで宇宙を隈なく照らそうとするかのように:
それは結晶、その透きとおった網には
もっとも純な定律が何百となく架かり
まばゆい神の霊が自らを創造する。
音符で占められた紙片の集積から
こんなに大きく揺すれ、精神の光にみちた
宇宙と星々のコーラスが湧き上がるのは
聖堂のパイプの束がそれらを包みこんで響かせるのは
較べるものなき奇蹟ではないか?
鍵盤を前にした奏者がそれを
ひとりの人間の力で編み上げているのは?
満場の聴衆がそれを理解し
ともに揺れ、共振し、光を放ち
鳴動する宇宙に向って舞い上がってゆくのは?
それは永い年月の仕事でありその稔りであった
十の世代が引き継いで築き上げ
百人の名匠が一心不乱に工夫を重ね
数千の弟子たちが傍らで働いたのだ。
いまオルガニストが奏すれば
天井の穹窿で誠実な巨匠らの魂が
聴き耳をたてる、かれらが建造に参与した
堂宇の石組みのあいだから。
なぜならかれらのフーガやトッカータに息づく
あの精神が、かつて大聖堂の結構を精密に測定し
聖像を石から彫り上げた人びとの心を占めていた:
石工(いしく)と建築の作業がはじまるまえに
精霊の降臨を迎えられるよう人びとと伽藍を調(ととの)えるべく
多くの実直な魂が生き、考え、苦しみもした。
数世紀にわたる意志が、フーガと続唱(セクエンツィア)の結構の中に
その澄んだ音の奔流のざわめきに結晶している:
そこでは創造の精神が
為すことと苦しむこととの境界を
肉体と魂の移ろう域を司っている。
精神に統御された拍子(タクト)の歩みのなか
幾千の人の夢が自らを謳い上げそして終る
夢たちの目標は神となることだったから
そのどれひとつとして地上で叶えられはしない
けれど、音の歩みのうちに強力に統一されて
それらはひとつの段をなす:いま人間存在は
必需と粗野を脱して神性に近づき復活しようとする。
音符にみちびかれた魔法の道すじ
その鍵と印(しるし)の集積を辿(たど)り
オルガニストの手足を禦する鍵盤机(アップライト)の上で
あらゆる至高の営みが、光束が、
かつて経験された苦しみのすべてが
音となって、神へ精神へと逃れゆく。
緻密に計算されたヴィブラートのなかで
衝動は解き放たれ、伸びてゆく天の梯子(きざはし)
人間性は必要を破り、精神となり、晴れやかになる。
なぜなら地のすべては太陽をめざし
闇は光にならんと、いつも夢見ているのだから。
こんばんは(^^)
「詩文集」は、2週間ぶりですね? やっとのことで、ここまでアップできました!! ハァ、ハァ、。。。
それにしても長い詩なんですよ。↑これでまだ、最初の3分の1くらいですw ヘッセは、ほんとにパイプオルガンが好きなんですねえ...
ゴシックの巨大な教会堂が建てられた時代と、複雑重厚なオルガン曲の数々が作曲された時代、‥‥じっさいには、すこしズレてるんですが、ヘッセにとっては同じ時代、同じ時代精神が充溢していた時代なんですね。
その“時代精神”‥‥ヘッセのこの詩から、ギトンの独断でカンタンに言うと、要するに近代のドイツ人らしいドイツそのものですw ベートヴェンが散歩に行く姿を見て、町の人は時計の狂いを直したっていう‥あれです。綺麗に磨き上げられてシミひとつないキッチン、一秒の狂いもなく走る電車、列を作って並ぶ(ドイツ語で、蛇のように立つ〔シュランゲ・シュテーン〕って言います)人びと、……
空港のエスカレーターや自動ベルトには、「左側は立つ人、右側は歩く人」(左右逆だったかな?w)と掲示してあります。日本では、危ないから歩くなって放送してますが、それでも歩く人は歩く‥そこが大きな違いですね。どっちがいいってことはないんですが、ギトンは、日本のような混乱したシステムのほうが、なんか、安心できるんですよねw
ヨーロッパでも、ドイツのまわりの国に行くと、チェコとか、スイスとか‥、機械設備はドイツと同じで、人間は違いますから、いろいろ混乱してます。いや‥、そのほうがホッとするんですよw
はじめてドイツへ行った時に、あのキチッとしたシステムには、どうしても入って行けなくて、列車の中で知り合ったフランスの兄ぃちゃんと、ドイツ人の悪口ばっか言い合ってました。ちなみに、彼は、ドイツも嫌いだがパリも嫌いだ、パリはフランスじゃないって言ってましたから、ドイツとパリが大好きな日本の紳士淑女の皆さんとは、われわれは一線を画してるんですw←
‥なんか、ずいぶん脱線しちゃいましたけど、ヘッセという人も、ドイツとの関係はいろいろ複雑で、大人になったとたんにスイスに帰化してしまったくらいです。それでも、ドイツの良いところは評価し尊敬する…という感じで、↑上の詩も、そういう系列だと思います。もちろん、パイプオルガンは、スイスやフランスの古い教会堂にもあるんですが、ヘッセの考えでは、石造のゴシック式建築も、オルガン曲も、その粋はドイツなんでしょう。
詩のなかに「続唱(セクエンツィア)」という言葉が出てきました。「セクエンツィア」は、教会のミサで歌われる聖歌の種類で、やかましく言うといろいろあるみたいですが、とにかく実物を聴いてしまうのが早いでしょう。わかりやすいところで、モーツァルトの『レクイエム』から聴いてみます↓
再生のしかたですが、「この動画は You Tube でご覧ください」がリンクになってますから、そこからユーチューブへ飛んでください。下のほうに出る画像はクリック(タップ)しないように‥
モーツァルト『レクイエム』から
続唱「ディエス・イラエ(怒りの日)」
ユーゼフ・ラドヴァン/指揮
クラクフ・コンサート合唱団
新ポーランド・フィルハーモニー管弦楽団
『レクイエム』の「続唱」は6曲からなるんですが、そのうち最初の「怒りの日」を聴いていただきました。
“音”が最高というわけでもない・この音源を選んだのは、絵を見てもらいたいからです。キリスト教の峻厳な面を感じていただけたらと思います。「怒りの日」が表しているのは“最後の審判”なんですが、審判によって悪い人間は滅ぼされて、敬虔な魂だけが“神の住まい”に迎えられると理解されているようです。当時の正統信仰は“滅ぼす”ほうに力点があって、カトリックは、プロテスタントの輩が滅ぼされると理解し、プロテスタントのほうでは逆に理解していたわけです。
ちなみに、われわれ同性愛者も、つい数年前までは、確実に“滅ぼされる”ほうだと理解されてましたw ローマ法王が、そんなこと私らにはわかりませんよ、と宣言したので、ゲイも天国に行けると思う人が増えたんですが、‥でも、法王は、わからないよと言っただけです。今でも、韓国やアメリカ南部のプロテスタント教会の大部分では、ゲイは“滅ぼされる”一味だと説教してるんですね。
『銀河鉄道』のカムパネルラも、天国に行く駅では降りなくて、そのあとの「石炭袋」――暗黒の穴に消えてしまいますよね。グスコー・ブドリも、やっぱり天国にも極楽にも行ってないと思います。かれらはみんなゲイですから。。。 でも、“永遠の命”なんか無くったって、べつにどおってことはないんですよね? そういう前提で生きればいいんですから。むしろ、死後の世界とか、余計なこと考えなくて済むだけ、すっきりしていいと思いませんか? たぶんモーツァルトも、天国には行かないで滅びると思ってたでしょうね。↑「ディエス・イラエ」のあの迫力は、どうしてもそう思えます。。。
というわけで、きょうはパイプオルガンを聴いてみたいんですが、最初からいきなり真髄に触れるのもなんですし…、まだあと2回、↑上の詩のつづきをやらないとならないわけですから、ごく軽い曲から入ってみたいと思います。手始めに↓こんなのはどうでしょう?
きょうは難しい曲は避けてw、オルガンの音を楽しんでいただきたいと思います。
スコット・ジョプリン「ザ・エンターテイナー」
ヘルト・ファン・フーフ/オルガン
ヘルト・ファン・フーフは、まえにご紹介ずみですが、去年音楽院を卒業したばかりのオランダのオルガニスト。ジーパン、夏はTシャツでコンサートに現れます。ちなみに、もうヨーロッパでは、バロックの演奏会やコンクールに、ジーパンは珍しくないらしいです。
バロックでも、ヘンデルは聞きやすいでしょう。有名な『水上の音楽』から1曲:
ヘンデル『水上の音楽』から
「アラ・ホーンパイプ」
ヘルト・ファン・フーフ/オルガン
ハルリンゲン、デ・ハーフェン教会
つぎはバッハですが、このメロディーは、きっとご存知でしょう:
バッハ『カンタータ BWV 29』から
「シンフォニア」
ヘルト・ファン・フーフ/オルガン
ユトレヒト司教座教会
さいごに、ちょっと本格的にフーガを1曲。これもメロディーは有名。フーガは“追いかけっこ”でしたよね? 同じモチーフが、あちこちの声部に跳んで、繰り返し出てきます。
オルガニストも、今度は巨匠コープマンに登場ねがいます:
バッハ『フーガ ト短調』BWV 578
トン・コープマン/オルガン
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