ヴァイオリン弾き
Ⅰ
ストラディヴァリ
おおすばらしき名匠の音色
まるで愛らしくなよやかな許婚(いいなづけ)のように
なんとおまえは恥じらいおののいて
ぼくの欲望に身をゆだねることか!
ほっそりとしたヴァイオリンの女王よ!
おお、息もつかせぬ最高の快楽
おまえの弦(いと)のしらべがせり上がってゆくときに
胸と胸を密着させておまえを抱きとめているのは。
これほどに甘く、温かく、最奥の胸の深みから
これほどにも至福にみちた愛の声は
どんな女の口から溢れたこともなく
ぼくの心に沁み入ったこともない。
Ⅱ
Con Sordino
ぼくの楽器の弦(いと)がふるえ
もうずっと昔にあなたのために
昔あるときあなたのために
運命の気まぐれから織り出した
あの旋律を奏ではじめる。
ぼくは用心ぶかく音を抑え
緊張して弓をうごかす
あの遥かかなたの夜
あなたの窓の下で
弾いたときのように。
また別の時のさまざまのうたが
ぼくの胸を締めつける――
あなたの愛がやがてもたらした
ぼくの悲しみと苦痛のおおきさは
それを知る者とていないのだ。
【Con sordino(コン・ソルディーノ)】: 弱音器を付けて。弱音ペダルを踏んで。
特定の曲にちなんだヘッセの詩は、もう品切れでして、これからしばらく楽器についての詩がつづきます。↑このヴァイオリンについての詩はまた長くて、「Ⅵ」章まであるので、今回と次回の2回にわたります。
「ストラディヴァリウス」は、17-18世紀イタリアの楽器職人ストラディヴァリ父子3代が製作したヴァイオリンで、歴史的名器の評判が高く、現在でもオークションで史上最高値を更新しつづけています。
他の人が作ったヴァイオリンと比べて、そんなに音がいいのかというと、‥たしかに、名器にはちがいない。そこらの楽器店で入門用、小中学校の音楽室用に売っている数万円以下のヴァイオリンより音がいいのは明らかですが、現代のハイテクの粋を集めた尖端製品と比べてどうかと言うと、かならずしも「ストラディヴァリ」が最高というわけではなさそうです。
「ストラディヴァリ」に限らず、歴史的名器と云われる楽器に対しては、さまざまな科学的検証が行われていて、その成果のすべてが現代の楽器製造に生かされているのですから、「ストラディヴァリ」を超える製品が作られないほうがおかしいと言ってよいと思います。
興味のあるかたは、Wikipedia の「ストラディヴァリ」をご覧になると、いろいろおもしろいことが書いてあります。現代の最先端のヴァイオリニストたちに“目隠し”で弾き比べをして点数をつけてもらったところ、2回とも、「ストラディヴァリ」よりも現代製品のほうに軍配が上がったとか‥ じっさい、「ストラディヴァリ」だけがそんなに良いのだとしたら、最先端の演奏家はみな「ストラディヴァリ」を使ってもよさそうなものですが、そうはなってません。著名なヴァイオリニストのなかで、大部分の人は「ストラディヴァリ」を演奏に使ってはいません。所有の「ストラディヴァリ」を有償・無償で貸し出す会社・団体は、いくらもあるのにです。
けっきょく、現在では、「ストラディヴァリ」は名器ではあっても、(値段以外は)“最高の名器”ではない。「ストラディヴァリ」が良いかどうかは、多分に好みの問題になりつつあるのでしょう。
それでも、「ストラディヴァリ」にとくべつな愛着をもつ人は、著名な演奏家のなかにもいるんですね。日本では五嶋みどり・龍の姉弟がそうですし、アメリカでは、ジョシュア・ベルが有名です。
ジョシュア・ベルの場合は、ほんとうに“愛用してる”って感じで、自有の「ストラディヴァリ」をひっさげて、↓こんな街頭演奏まで催しています。値段が、ん~億円だからといって、偉そうにしないところは、さすがジョシュア……、よいしょっと、もちあげたくなります...
バッハ「シャコンヌ」
ジョシュア・ベル/ヴァイオリン
ストラディヴァリウス使用
「弱音器」は、オーケストラのほとんどすべての楽器に、それ用のものがあります。トランペットなど金管楽器は、朝顔の先に「弱音器」を付けていると目だつので、よく知られています。ジャズ演奏では、付けるのがふつうなくらいですね。
ピアノの「弱音ペダル」(ウナ・コルダ)は、ハンマーを横にずらして、叩く弦の数を減らすのが本来なのだそうです。「ウナ・コルダ」とは、1本の弦という意味。しかし、家庭用のアップライト・ピアノでは、もっと簡略な機構でしているので、音だけ小さくなって音色は変りません。「弱音」の意味がないと言えます。どこのご邸宅でも、応接間のピアノは、右のペダルは使いこまれてピッカピカ、左のペダル(弱音ペダル)は埃をかぶってるんじゃないですか?w
ヴァイオリンの「弱音器」はたいへん小さいもので、付けていても舞台の下からではよく見えません。しかし、やはり単に音を小さくするだけではなくて、音色を変えることに、付ける目的があります。↓こちらで音を聞き比べてほしいのですが、「弱音器」を付けると、音色はどう変わるでしょうか?
柔らかい、滑らかな音になっているようにも聞こえますが、弾き方によっては、より透きとおった、鋭い音にもなるようですね。全体として、表情が豊かになっているように聞こえます。
ヴァイオリンの「弱音器」は、コマの振動を抑えるのだそうです。ということは、よけいな倍音を減らす効果があるのではないでしょうか?楽器の音(人間の声も同じですが)は、その音程の音波だけでなく、さまざまな周波数の倍音の波を含んでいます。倍音を含まない純粋な音は、音叉の振動です。「弱音器」をつけると、倍音が減って、少し音叉の波に近づくんではないかと思うのですが...
「バイオリン上達.com バイオリンミュートの付け方!」
↑2種類の「ミュート」を試演していますが、1つめの「Bech(ベック,ブタ鼻)」のほうが「弱音器」です。
ともかく、こういう音の違いならば、「弱音器」を付けなくても、弾く技術によって同じ効果を出すこともできそうな気がします。もちろん、プロ級の演奏者の場合でしょうけれども。
逆に、シロウトの場合は、楽譜に「コン・ソルディーノ」の指示がないのに、やたら弱音器を付けて引きたがるのはやめなさいと、↑こちらの先生はおっしゃっていました。弱音器に頼るようになると、技術の修練がおろそかになる…ということなのでしょうね。ピアノの上手でない人が、やたらに右ペダルを踏んで、わんわん鳴らして弾くのと同じですねw
楽譜に「コン・ソルディーノ」の指示があるヴァイオリンの曲を探してみたのですが、‥前回聴いていただいた「ツィゴイナーヴァイゼン」の中間楽章が、いちばん有名な「コン・ソルディーノ」なのだそうです。あの有名なメロディーをゆるやかに弾くところですね。
独奏ヴァイオリンの「コン・ソルディーノ」で、もうひとつ有名なのは、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲第2楽章です。ジョシュア・ベルの演奏で聴いてみたいと思います。
チャイコフスキー「ヴァイオリン協奏曲」第2楽章
ジョシュア・ベル/ヴァイオリン
アンドルー・デイヴィス/指揮
ヴェルビエ祝祭管弦楽団
つぎは、合奏の「コン・ソルディーノ」を聴いてみましょう。
交響詩「モルダウ(ヴルタヴァ)」にも「コン・ソルディーノ」がある―――と言えば、「モルダウ」の好きな人は、ああ、あそこの部分か‥‥ とすぐにわかってしまうでしょうねw 農民の婚礼と、「ヨハネの急流」のあいだ、夜の城砦の廃墟の下をヴルタヴァ川がゆるやかに流れてゆくところです。
5:30-8:20 ストリングス(弦5部)に「コン・ソルディーノ」の指示があります。 :
スメタナ『わが祖国』より「ヴルタヴァ」
イジー・ビェロフラーヴェク/指揮
プラハ音楽院交響楽団
2011年「プラハの春」より。
ところで、さきほどヴァイオリンの先生の試演を聴いたときに、「弱音器」を付けると、音が鋭く聞こえることもあると感じました。その“鋭さ”を追求した「コン・ソルディーノ」が、↓こちらのバルトークではないかと思います。
弦楽四重奏曲第4番第2楽章全体に、「プレスティッシモ コン・ソルディーノ(非常に急速に 弱音器を付けて)」の指示があります。
バルトークはなかなか聞きごたえがありますw アパートのステレオでヤナーチェクやバルトークを鳴らすと、かならず隣りから苦情が来たものです。こういう現代音楽調は、演奏によって解釈の幅が大きいようで、同じ曲でも指揮者や楽団によってまるで違う曲に聞こえたりします。
鋭く響く音色を追求した演奏を、あえて選んでみました。ピッチカートとグリッサンドをまじえた音の饗宴を楽しんでいただきたいと思います。
ベラ・バルトーク「弦楽四重奏曲」第4番,第2楽章
マルトン・ボーニツ/ヴァイオリン
エヴァ・ルカーチ/ヴァイオリン
マリーネ・カタオケ/ヴィオラ
ヴィクトル・ユハス/チェロ
ハンガリー、ジェール交響楽団員
ここでやっと、ヘッセの詩の話にもどります。最初の「Ⅰ・Ⅱ」章では、ヴァイオリンの隠喩の対象、またヴァイオリンを聴かせる作者の相手は、女性だったのですが、けっきょく彼女は、ヘッセの細心の努力にもかかわらず、苦痛以外もたらしはしなかった。
「Ⅰ」章にしても、女の身体よりヴァイオリンのほうがええわい、と言っているように聞こえますw
そして、「Ⅲ」ではもう女はうっちゃって、「大好きな親友(ein Lieblingsfreund)」―――「男の恋人」と訳しました↓―――について語られます。‥ヘテロの女性には申し訳ないですが、読んでいて、たいへん納得できました! もっとも、不定冠詞が付いてますから、ホモの相手を特定のひとりに決めるところまでは行っていないのでしょう……この詩を書いた時点(1899年,22歳)では。。。
Ⅲ
ぼくのヴァイオリンに
褐色の木の器(うつわ)、
ぼくはおまえの板に用心ぶかく手をおく
ぼくのまだ知らない秘密をさぐるように
糸巻き、指板、コマを調べる。
ときどきおまえが壁からじっと光って
ぼくを見ているとき、ぼくのついぞ引き出さなかった音が
そこにやすらっているような気がする
かつて人の手にとらえられたことのない音が。
しばしばおまえはぼくの握る手のなかで
ひそかに優しく熱をおびはじめる
まるで一種風変りな友だちが
男の恋人が、ぼくの腕に抱かれているように。
さあ、おいで!もういちど何時(いつ)かの
あの重苦しい衝動に身をゆだねてくれ
一晩じゅう、燃えあがる若さを鎮めあい
ぼくを元気にしてくれたあの夜のように!
そこにぼくの不確かな遥かな目標はあった:
こうしていまヴァイオリンを弾けるのと
おなじように、あのけがれなき青春の奏鳴を
自分のものにできたなら!
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