サラサーテ
はるかに翼をひろげ、音が飛び立つ
そしてつぎの――最後の音がそのあとへ
流れだし、顫(ふる)え、もう消えうせている――
おお、ぼくは泣き叫んではいけないか
玩具(おもちゃ)を取り上げられた子供のように!
けたたましく歓声が沸くなかで、ぼくはじっと座っている
もうろうとした五感は、ここではないもうひとつの
世界の大気に酔いつづけている
子どもの頃すでにぼくの憧れが
熱した腕で抱きしめていたその世界。
もうひとつの世界からの息吹き
夜どおしあかるく燃えつづける情念とともに
ぼくの熱を帯びた眼をとらえてはなさない
故郷なきひとびとの地
芸術の、赤い太陽の国
パブロ・デ・サラサーテ(1844-1908)は、スペイン出身のヴァイオリニスト兼作曲家で、主に演奏家として活躍しました。スペイン出身と言っても、民族はスペインではなくバスク人です。
バスク人は、ヨーロッパ人種(ケルト、ラテン、ゲルマン)が移住して来る前に住んでいた先住民(アルタミラ洞窟壁画を描いた人々)の子孫で、フランスとスペインの境界にまたがるバスク地方に住んでいます。バスク語(エウスカル語)は、ヨーロッパの言語とは全然似ていません。文法構造も、日本語、モンゴル語、トルコ語と同じ膠着語類に属し、助詞(後置詞)を多用します。
サラサーテは、もっぱらヴァイオリニストとして活動したので、作曲した曲は多くありません。その中で突出して有名なのが「ツィゴイナーヴァイゼン」―――日本では「チゴイネルワイゼン」とも呼んでいますが、ドイツ語を(この曲名はドイツ語)カタカナでどう書くかの違いです。
ヘッセの上の詩も、「ツィゴイナーヴァイゼン」の演奏について書いているようです。「ツィゴイナー」はジプシー、「ヴァイゼン」はメロディー(複数)。
ともかくまずは、聴いてみましょうか:
サラサーテ「ツィゴイナーヴァイゼン」
エルッキ・ロウコ/ヴァイオリン
ヨハンネス・ピールト/ピアノ
ドイツ語で「ツィゴイナー」、英語で「ジプシー」、フランス語で「ジタンヌ」と呼ばれる、この人々も、やはり非ヨーロッパ系で、西暦1000年頃か、それ以前に、北インドにいた住民が戦乱を避けて放浪し、複数の経路でヨーロッパに移動して来たと言われています。ヨーロッパに来てから、定住しないで流浪の生活を続けたのは、ヨーロッパ人による差別のせいだったという意見もあります。日本の放送局では、「ジプシー」etc.は差別用語として“禁句”になっているんだそうです。かわりに「シンティ・ロマ」と呼ぶんだとか。
しかし、ヨーロッパ以外の場所で差別的な語感があるかというと、疑問ですねw 知り合いのドイツ人に訊いてみると、「シンティ」とか「ロマ」というのは、彼らの集団の名前で、ジプシーの中にも流派がいろいろあって、「シンティ」「ロマ」は、その有力な2グループなのだそうです。だとしたら、あんまり公平なネーミングではないと思いました。
本家のヨーロッパでは、差別用語だからと言って、フランスでタバコの銘柄「ジタンヌ」を変える話は無いし、サラサーテの「ツィゴイナーヴァイゼン」もそのままです(「ロマヴァイゼン」に変えたら笑えるw)。日本の放送局は、テイサイばかり気にして内実の理解が乏しいようですね。私たちは、あまり気にしなくてよいのではないかと思います。
ジプシーと呼ばれる人たち自身が、実際にどんな生活感情を持っていたかとは別に、近代ヨーロッパの人たちは、定住地も住居も持たない彼らの生活に、流浪の民というロマンチックな情緒を感じたのですね。ジプシーの歌う東洋風のメロディーも、ヨーロッパの民謡とは一風違っていて、もの悲しい情趣を誘ったでしょう。
もっとも、サラサーテの場合は、それだけではなくて、ヨーロッパの中では少数派の非ヨーロッパ系バスク人という自覚から、ジプシーの音楽に深い共感を抱いていたかもしれません。そのへんは、「ツィゴイナーヴァイゼン」を聴きながら判断してほしいと思います。
ちなみに、↑上の演奏はフィンランド人によるもので、フィンランド人もやはり、非ヨーロッパ系の民族なんです。ユーチューブに出ている「ツィゴイナーヴァイゼン」のなかで、いちばん琴線に触れる演奏を選んだら、これになりました。ジプシー―バスク―フィンランド―そして、われわれ日本人と‥‥なにか通じ合う脈があるように思いました。
ところで、ヘッセの詩ですが、サラサーテのリサイタルを聴いたのか? それとも、他のヴァイオリニストの演奏でサラサーテの曲を聞いたのか? いずれにしろ、↓これは曲の終結部のカデンツ(ジャン、ジャ~ン!)でしょう。
「はるかに翼をひろげ、音が飛び立つ
そしてつぎの――最後の音がそのあとへ
流れだし、顫え、もう消えうせている――」
「ツィゴイナーヴァイゼン」の終り方に似ているようにも思えますが、違うような気もしますw ↓つぎの部分などは、故郷なき・さすらい人――ジプシーを思わせるのですが、どうでしょうか。。。
「ぼくの熱を帯びた眼をとらえてはなさない
故郷なきひとびとの地」
「ツィゴイナーヴァイゼン」と断定するには、証拠不足かもしれませんね。ヘッセが聴いたのは「ツィゴイナーヴァイゼン」ではないかもしれない、サラサーテの演奏で他の人の曲を聴いたのかもしれませんが、ともかく、サラサーテの曲をいくつか聞いてみましょう。幸い、サラサーテ自身の演奏も、蝋管録音のレコードが残っていて聴くことができますから、それも最後に聞いてみましょう。
そこで、つぎにお送りするのは日本人の演奏ですが‥‥、「ツィゴイナーヴァイゼン」を、ヴァイオリンではなくハンド・フルート――指笛で演奏しています。
サラサーテ「ツィゴイナーヴァイゼン」
森 光弘/ハンドフルート
臼田圭介/ピアノ
自分の手だけで、ここまで演奏できるのは、すごいですよね。昔から指笛のできる人はときどき居て、テレビに出たりしてましたが、荒城の月、クワイ川マーチあたりが限界だったと思いますね。これだけ正確な音程で、しかも超絶技巧……とにかく将来が楽しみです。⇒:【公式HP】ハンドフルートとピアノ CHILDHOOD
サラサーテの曲を、もっと聞いてみたいと思います。「ツィゴイナーヴァイゼン」以外は、ぐっと知名度が下がるのですが、聴いてみると良い曲が多いです。
↓このヴァイオリンは、ボンゴのパーカッションを入れた大道芸人風ですが、サラサーテのにぎやかな曲は、こういう演奏も聴きごたえがあって良いと思いました。
サラサーテ「サパテアード」作品23
アラ・マリキアン/ヴァイオリン
やはり、サラサーテはスペインの音楽家だけあって、ラテン系の曲が多いです。民謡調がお得意のようです。
↓つぎは、叙情的なバスク民謡。「ソルスィコ」は、バスクの民族舞曲で、5拍子(!)のリズムを持っています。東洋的というか‥、日本の古いナツメロを聴いているような気分ですね。サラサーテ自身が演奏した音源で聴いてみたいと思います。
サラサーテ「ソルスィコ・ミラマル」作品42
パブロ・デ・サラサーテ/ヴァイオリン(1904年録音)
村の夕暮れ
羊飼いが羊の群れをつれ
しんと静まった路地に入ってゆく
もう家々は眠りこもうとしている
立ったままうつらうつらとしている。
これらの壁に囲まれて今この時に
私はただひとりのよそ者
悲しみとともに私のこころは
郷愁の杯を底まで飲みほすのだ。
路が私を連れてゆくところ
どこにでも団欒の火が燃えていた
ただ私は故郷(ふるさと)のにおいも祖国の感触も
けっして見いだすことがなかった。
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