子供時代
おまえは魔法をかけられ沈められた、
わたしの遥かな谷間よ。
虐げられた苦しみにわたしがあるとき
しばしばおまえは地底の影の国から合図を送ってきた
おまえのメルヘンの瞳をひらいた
わたしはしばしの幻想に夢中になって
われを失ないおまえのなかに還っていった。
おお暗い扉
おお暗い死の刻(とき)よ
ここに来よ。わたしが健やかに
この生の空虚を離れ
わたしの夢幻に帰って行けるように。
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旋 回
世界がわたしにむかって花ひらくことはもうない
風と鳥のさえずりがわたしに呼びかけることもない。
わたしの路は狭く、わたしは知らずに通りすぎる
友だちに伴われることもない。
わたしの少年時代に馴染みだった
なつかしい陽気な谷間は
眼を向けることさえ危険になった
それはにがい責め苦となった。
わたしは郷愁のうれいを鎮めようとして
もういちどそこへ下りて行ったとしても
そこには、ほかのどこでもと同じように
行く手に死がたたずんでいる。
音楽は、1回お休みさせていただきますw
最初に挙げた「子供時代」は 1912年、次の「旋回」は 1911年の作です。ヘッセの“旋回”は第1次大戦(1914~)が契機になったと言われていますが、詩では大戦以前からすでに新しい方向が見えていたのがわかります。
人は、外的な事件が原因で、世界観、人生観、“生き方”が変るということは、じっさいには無いんじゃないか。人の中に内的に芽生えていたものが、外的な条件の変化によって、行動や意見となって他人からも見えるようになる―――そういうことではないかと思います。
「戦争を通じて自己の内面への道の確固たる自覚を持つに至ったヘッセは、いよいよ文学の道にその生活を賭けるのである。それはじつは戦争前にすでに用意されていた道だった。ヘッセにとっては、戦争は一層深く彼にこのことを自覚せしめ、ヘッセ自身にとって一つの覚醒となったのである。〔…〕
ヘッセはこの現実の、戦いの世界、努力の世界と、そういう個々の戦いや努力の世界と関係なく進行して行くいわば永遠の世界と、この二つをいつも胸に持っている。そしてそういう現実の個々の世界を永遠の世界に橋渡しするものとして、この戦争の時に、殊に死が全面に押し出されてくる。いや、戦争という現実の中で〔…〕この死とどう対処するか、〔…〕 惨めに死んでゆく敵味方の兵士達、その兵士達の死に抱かれた魂の平和だけがいまは死人の望みなのだ。〔…〕永遠の母は死であるとともに生誕であった。そこに残忍な現実からの救いがあった。未来への希望があったのだ。」
井手賁夫『ヘッセ』,1990,清水書院,pp.96-97.
「わたしの少年時代に馴染みだった
なつかしい陽気な谷間」
「魔法をかけられ沈められた
わたしの遥かな谷間」
「子供時代」「少年時代」の「陽気」な世界とは、その視線をもっと延長して望めば、この世に生を受けるまえに所属した世界とも言えます。そしてそれは、死後の世界でもあるのです。
↑上の清水書院版の解説では、「自己の内面への道」を通じて観ることのできる「永遠の世界」、「死であるとともに生誕であ」る「永遠の母」と表現していましたが、そのような世界を、個々ばらばらな現実のさまざまな世界以上に確実に、確固として存在する世界として見通せる確信を、ヘッセは得たのだと思います。
それは、現実の個々の世界のようにばらばらで、何がどっちを向いているのかもわからないような迷宮ではないけれども、キリスト教の教える“神の国”のように全く動かない世界ではない。言葉にはしにくいけれども、夜の空のように澄みわたった世界、――そこではすべてが誰の眼にも明らかに見通されうるのです。
もちろんヘッセは、
「こうした観念の世界に救いを求めても、現実の戦争に対する怒りと強い平和への希求がそのために弱められはしなかった。」
ドイツのマスメディアと思想界の全体から“裏切者”の烙印を押しつけられても屈することなく、戦争を批判し続けたのです。
しかし、その一方で、自分が力の限りしているこの努力が、すでに戦争の渦中で倒れてしまった敵味方の友人たちに対しては、まったく無力であることをも自覚していました。そこに、「永遠の世界」「死であるとともに生誕である」世界を見透すことの意味―――現実の世界での努力に拮抗するほどの重要な意味がそこにあることを、見いだしていたのだと思います。
むこうがわに
山々のむこうがわで
蒼白い月が彼れの光をふりまいている
そこに、その永遠の月夜に
わたしの死んだ少年時代が棲む。
山々のむこうがわ
女王の墓の傍らを
悲しみにやつれた幽霊のように
わたしの死んだ愛が進んでゆく。
山々のむこうがわにある
冷えきった神殿の数々
わたしの死んだ神々の前で
踏み迷った祈りの声が風に啜(すす)り泣く
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