階 段
どんな花も萎(しぼ)み、どんな青春も
老年に席を譲る、人生の各段階に
華があり、それぞれの智慧があり徳があり
それぞれの時に花開き、永遠(とわ)につづくことはない
ひとの心はどの段にも別れと再出発を
覚悟せねばならぬ、
恐れずに、悲しむことなく
新たな繋がりへと進みゆくために.
すべてのはじめには魔力がひそむ
わたしたちを守護し助けて生きさせる魔力が.
空間から空間へと朗らかに渡ってゆこう
どの空間にも故郷のように凭(もた)れることなく
世界精神は束縛も締めつけもしない、段から段へと、
わたしたちを高め、おし広げようとする
ひとたびどれかの生の領域にやすんじ、そこに
安住するやいなや、衰えがわたしたちを襲う
いつでも旅に出る用意ある者だけが
麻痺した無気力から逃れることができるのだ.
わたしたちを新たな空間に若々しく向かわせてくれるものは
死の時をおいてほかにないかもしれぬ
わたしたちを呼ぶ生の呼び声は絶えることがない...
されば、いざ、心よ、いまこそ別れの時、すこやかであれ!
「階段」と言うと、低いところから高いところへ昇ってゆくイメージがあるのですが、ヘッセは、人生の階段を登って行くほど高い価値に達するというような考えは、あまり持っていないように見えます。
途中に、「世界精神」がうんぬん、「段から段へと、/わたしたちを高め、おし広げようとする」とありますが、それを全篇に及ぼすかどうかは、読者の読み方しだいでしょう。ギトンは、そうは読みません。うしろから、ヘーゲルやら何やらに追い立てられるかもしれないが、その一方で、私たちをやすらかに再生させてくれるもの――ひとはそれを死と呼ぶ――もある‥‥ と、そんな軽やかな読み方もあると思うのです。
そうは言っても、「階段」の、上昇する語感を避けようとして、「段階」「階層」などと訳してみても、けっきょくは同じことです。それらのなかでは、価値の思い入れが比較的少ない語を選んで、「階段」としました。
天上へ昇ってゆく階段ではなく、薄暗い地下へと勇気凛々降りてゆく下り階段をイメージしてもらえたらと思います。
この詩は、原詩で読むとたいへんわかりやすいのです。そのせいか、ユーチューブに朗読テープがたくさん出てますし、この詩に節をつけた歌も、ひとつやふたつではないようです。ここでは、クラシックとポップスから各1曲とりあげてみました。
この詩のように、誕生から死まで、人生の各“段階”を見わたした歌は、ヨーロッパでは好まれる詩のテーマらしく、パーティーの席などで、シロウトのオバさんが自作を朗読して喝采されたり、また、駅頭でシロウトのシンガー・ソングライターが唄っていたりするのを、耳にしたことがあります。まぁ、誰にとっても懐かしい、なじみのテーマなわけです。
ヘルマン・ヘッセ「階段」(アンセルム・ケーニヒ,ベアト・リッゲンバハ)
こういう歌い方、ギトンは好きですね。ジャズ風のアレンジが詩の内容によく合っているように思いますが、どうでしょうか?‥
原詩のドイツ語のまま、最後まで歌ったあとで、何語かで1節歌っていますが、ギトンには分からない言葉です。詩の一部の翻訳でしょうか?(最後にまたドイツ語に戻って、第1連の最後の2行「すべてのはじめには魔力がひそむ…」を繰り返してエンディングになっています。)
この言語、もし聞いてわかる方がいらっしゃいましたら、お教えいただけるとたいへん助かります。
ちなみにこの動画、作曲のアンセルム・ケーニヒがコメントで謝意を述べていますから、著作権違反ではない公式のものです。
↓つぎは、オーケストラにソプラノのクラシックですが、8分47秒と、若干長めです。クラシックにすると、長い間奏が入ったり、キモの1節は何度も繰り返して絶唱したりとかで、どうしても長くなってしまうんですね。
なので、適当に切り送りして、サワリを聴いていただきたいと思います。忠実に全部流して聴かないとイケナイなどとは思わないことです。ここは、燕尾服を着たコンサート会場ではないんですからw
ハンス・レーンダース指揮、「ヨハン・ウィレム・フリゾ」王立軍楽隊、2009年1月28日ライブ(オランダ)。なるほど、弦抜きの吹奏楽団です。歌手の名前が、ちょっとわかりません。
ヘルマン・ヘッセ「階段」(作曲:ヤコブ・ド・ハーン)
夕べ
夕べに恋人たちは
ゆったりと野原を歩き
女たちは髪をおろす
商人は帳場のカネを数え
町びとは気が滅入ったように
夕刊の記事を読む
子供たちは手を握りしめたまま
みちたりて深く眠りこむ.
皆がみなただひとつの真実を行ない
崇高な義務を追う
乳飲み子、町びと、恋人たち――
わたしだけがちがうのか?
そんなことはない!わたしが奴隷のように
くりかえす夕べのつまらぬ行ないだって
世界精神には無くてはならぬ
それなり意味のあるものさ
あっちこっちへうろつきまわり
頭の中では踊るよう
うなるは戯(ざ)れた流行りうた
神と己れを讃(たた)えつつ
ワインを飲んで、暴君(パシャ)になった
夢を見る
癪(しゃく)のたねを思いつき
苦笑して、もっと飲み
自分の心に語りかけ
(それは朝にはできぬこと)、
むかしの嫌(いや)なことなど思い出し
戯(たわむ)れ気分で詩に紡ぐ
月と星々のまわるを眺め
かれらの気持をおしはかり
かれらと旅をする気分、もう
ゆくさきなんかどうでもよい!
さて、聴いていただく“音楽化”は、前回も取り上げたフォーク調のルカス&ロベルト・ベッカー。前回と同じCD『耳をすませば――言葉と音のなかのヘッセ』から。
前回の曲づけには、いやはやビックラこいたんでしたが、今度の唄は、かれらのルンブラ調もお手やわらかだしw、なによりも詩の内容とよく合っているので、これはオススメです!!
ヘルマン・ヘッセ「夕べ」(ルカス&ロベルト・ベッカー)
う~ん、だんだんわかってきたんですが、ヘッセの詩と言えば、どれもこれも堅くてお行儀良いわけじゃないんです。いや‥、大部分は気楽なウタで、酔ったひょうしに戯れに書きつけたようなのが多いんですよw この詩の中で、かれ自身、「むかしのイヤなことなど思い出し/戯れ気分で詩に紡ぐ」と言ってるとおりです。
「神」とか「精神」とかいう語が出てくると、ぼくたちは思わず畏こまって読んでしまうかもしれないが、ヘッセ本人はそんなつもりは、ちっともない。そのへんに誤解があるんじゃないだろうか……と、現代ヨーロッパの人たちのヘッセ理解が、すこし解りかけてきました。。。
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