アルプスの向こうには
それはひとつの山の旅:
アルプスの稜線の雪がつめたく
光るとき、もうイタリアの青い海が
視界のはてを限っている!
高みの風と渋い顥気が
ほのかな菫の香り、陽に
みたされた南の海の
甘い予感をはこんでくる。
そして眼にははるかフィレンツェの
あかるい伽藍がうかび
たたなづく丘のむこうには幻のように
ローマの街がかがやいてみえるのだ。
くちびるはもう無意識に美しい
異国の言葉のひびきを口ずさむ
はれやかな快楽の海、その青いしぶきが
きみを温かく迎えようとしている。
イタリアといえば、ギトンはどうしても忘れられない1枚のフレスコ壁画があるのです。‥と言っても、じっさいに見たわけではありません。映画の中に出て来た‥‥いや、‥出て来た気がするのです。たしか、『フェリーニのローマ』という短い映画の中だったと思うのですが、それももう、たしかなことではありません。
最初に見たのは、パリの場末館で見た『サテュリコン』の中でした。いや‥これも、記憶違いではないと断言できる自信すらありません。
同性愛の青少年たちが、局部を惜しげもなく見せびらかして縺れ合うノーカットのフィルムは、日本からやってきた“1日10ドル旅行”の未成年者には新鮮でした。そんな濃厚な場面をさんざん見せられたあとで、海岸に停泊しているゴンドラのような舳先の黒い船に乗りこもうと、青年たちが集まって来る清らかに晴れ上がったシーンがありました。エンコルピウスとギトン少年が、おおらかな衣の裾をなびかせて、並んで歩いています。これがこの映画のフィナーレで、それまでに繰り返されたどの縺れ合いシーンよりも強く、印象に残りました。
『Satyricon Ⅰ』というタイトルで上映していましたから、フェリーニのもとのフィルムの前半分だけを上映していたのでしょう。『サテュリコン』の原作テクストを見ると、たしかに第1部の最後で、2人は船に乗ってナポリから逃げ出すことになっています。
記憶では、『Satyricon Ⅰ』のラストは、エンコルピウスとギトンが、船に向かって歩いてゆくところ、その画面のストップモーションが、そのまま静止したフレスコ壁画になって終るのです。
“永遠の愛”などと言ったら、いかにもわざとらしくて、そんな言葉はどこかに消えてしまえ!‥と言うくらい、はるかに超越した憧れを、この場面から深く、深く感じとってしまったのが、いま思えば、“この道”のはじめなのでした。
その同じ場面を静止させたフレスコ壁画が、『フェリーニのローマ』では、現代ローマの地下鉄工事の現場で発見されるのです。
頭にヘルメットを着けた工事の人たちが発見したとたん、壁画は外気に触れたせいなのか、見る見る剥げて崩落してしまうのです。エンコルピウスもギトンも、その晴れやかな表情を静止させたまま、ぽろぽろ崩れて無くなってしまいます。それが、このフレスコ画を2回目に見た『フェリーニのローマ』でした。
外気に触れて剥げ落ちる地下のフレスコ画
映画『フェリーニのローマ』より。
いま、Youtube を探って、ようやく↑これだけ見つけ出しました。
しかし、エンコルピウスとギトンの“壁画”は、どうしても見つかりません。
『サテュリコン』のラストシ-ンに、↑これがありました。壁画にはちがいないんだけど。。。
けっきょく、ギトンの記憶は、勝手な思いこみだったんでしょーかねー?? それとも、フェリーニの映画ではなかったのか?! フェリーニの『サテュリコン』だったとしたら、音声はイタリア語、字幕はフランス語だったはず。どっちもギトンにはチンプンカンプンで、見ながら頭の中で勝手に物語をこさえていたのかも...
しかし、今も記憶の中にしっかりとある鮮明な画像と人物の動き‥ もうこーなったら、フェリーニとも、ペトロニウスの古典とも違うサテュリコンを、自分で書いてしまおうかしら...w
サント・ステファノ教会の回廊
ヴェネツィア
壁の四角いかどに色あせ黄いろく古びたもの
かつてポルデノーネの手になった
この絵画を時が蝕んだ;きみはわずかに
ここにかすかな輪郭とそこに洗いのこされた
絵具の痕跡を認めうるのみ:一本の腕と脚――
消失した美形のひとの幽霊にも似た会釈を。
楽しげに見上げてほほえむ子供の眼
それは見る者をふしぎな悲しみに誘うのだ。
【ポルデノーネ】(Giovanni Antonio da Pordenone: ca.1484-1539):イタリアの画家。教会のフレスコ画や聖壇画を多く手がけ、ティツィアーノ、ティントレットらに影響を与えた。ヴェネツィアにあった彼の壁画作品の大部分は、剥げたり崩壊してしまっている。〔英語版・独語版 Wiki〕
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