蝶
ある時かなしみにおそわれて
ひとり野はらを歩いていった
ぼくはひとひらの蝶を見た
白と深紅のはねが舞い
そらでは風がふいていた。
おお蝶よ!ぼくがまだ子供だったころ
世界は朝方のように澄んでいた
あおぞらはぼくのすぐ近くにあった
おまえが美しいはねをひろげるのを
最後に見たのはそのころだったか。
天上の園(その)からふきよせられた
色あざやかな柔らかい吐息よ、
ぼくはなんとよそよそしく、恥じ入りながら
おまえの神々しい深いかがやきに
かれはてた瞳(め)を向けているだろう!
白と赤とのそのひとひらは
畑のなかに見えなくなった
そしてさらに歩いていったとき
夢見るような瞼(まぶた)のうらに
天上からの静かなかがやきが残った。
赤と白のチョウチョって、ほんとにいるんでしょうか? 白い羽根に深紅のもようがある蝶なんて、見た覚えがありませんよね?w
「赤」といっても、紫や焦げ茶に近い深い赤なのかもしれません。「赤」と白だけでなく、黒っぽいすじも混じっているのでしょう。そういう蝶なら、ありそうな気がします。
日本では珍しいこの種のハデな色の蝶は、夏の高山に行くと、よく見かけるようになりました。海を越えてフィリピンからやってくる“渡り蝶”だということを、山で会った方に教えていただきました。フィリピンといえば、ジェット機でも数時間はかかります。そんなに遠くから飛んでくる力が、小さなチョウチョにあるのだろうかと、ふしぎになりますが、強力な熱帯気団に吹き上げられて、自然に運ばれてきてしまうのかもしれません。それにしても、下はずっと海で、途中降りて羽を休める処もないのに、よくやって来られるものだと感心します。
ヘッセの住んでいたスイスでは、地中海・アフリカ方面から来る渡り蝶は、珍しくないのかもしれません。
ヘッセはそれを、「天上の園」から舞いおりてきたものと想像します。「天上の園」と訳したのはパラダイス(Paradies)です。死んだ人間が往くところというイメージは、この詩にはありませんが、やはり少なくとも“神の住まう世界”のイメージなのでしょう。
このように昔の人は―――ヨーロッパではヘッセあたりが最後の世代でしょうか?―――、この世とは異なる別の世界が、たしかに存在するという確信のようなものを持っていたのだと思います。ある人は何教徒で、ある人は無神論者だ‥といった個人個人の意識・考えとは別に、ある時代、ある地域の人すべてが無意識に持っている、理論以前の確信的なイメージがあるのです。
現代の、たとえば日本で、“もうひとつの世界”について無意識のイメージを持っている人などは、まずめったにいません。持っていたとしても非常に漠然としたもので、昔の人のような具体的なイメージではないと思います。あるいは、その人が信仰する宗派から習い覚えた表層的な公式的なイメージにすぎないでしょう。
↓下の詩も、よく似た憧憬にみちた世界を謳っていますが、ここでの中心的なモチーフ‥‥塀で囲まれた庭園のイメージは、ヘッセの詩ではおなじみのものです。
“イメージ”という言葉は、夢であれ現実の像であれ、視覚の対象をおもに表す言葉なので、ちょっと意味が狭いように感じます。
たしかに、この時期のヘッセ―――上の詩は 1907年、下の詩は 1910年―――は、絵画的な方向に傾いていたかもしれません。『デーミアン』に、テンペラ画の練習に夢中になっているようすが書かれていました。しかし、ヘッセの描く絵画的な詩の“絵画”は、画面の向こうに、視覚の範囲をはるかにはみだしてしまう広く深い非視覚的“イメージ”の世界を持っています。ちょうど、印象派以後の絵画が、視覚的な描像の向こうに、視覚ではとらえきれないものを描くことに集中していったのと同じように。
たとえば、「老樹の厳(おごそ)かな蒼い影」――「厳かな蒼い」と訳しましたが、原語は“メルヒェン・ブラウ”。グリムのメルヒェン、あるいはハウフの怪談のような、暗い森の奥から湧き上がって来る、怪しい伝説の世界を想像してほしいと思います。歌劇『魔弾の射手』で、悪魔ザミエルを呼び出して魔弾を打ち鍛える、あの真夜中の森の底です。
少年の園(その)
ぼくの少年時代は庭園のくに
銀の泉が草地のあちこちで迸り
老樹の厳かな蒼い影が
ぼくの生意気な夢想の熱を冷ましてくれた。
いまぼくは渇いて焦熱の道を行く
扉を閉ざした少年期の園
塀の上で、紅い薔薇がからかうように
ぼくのさまよいに合図を送る。
とおい遥かかなたで歌う、ぼくの庭園の
清(すが)しい木枝(こえだ)のざわめきを
ぼくは内に籠って深く深く聴きとらねばならない
かつてよりもさらに美しいそのひびきを。
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