嵐のあとの草花
兄弟のように、皆がみな同じほうを向いて
首(こうべ)を垂れ、雫を振るい風のなかに立っている
まだ不安におびえている、雨に濡れた眼は見えない;
力なき者はちぎれ、壊滅して横たわる。
それでもかれらは身体(からだ)を麻痺させたまま、びくびくしながら
愛すべき光に向かい徐々に頭を上げる
兄弟のように、やっとのことで最初の笑みを浮かべる:
俺たちはまだ生きている、敵に呑み込まれはしなかったと。
その光景はわたしに思い出させるのだ:
暗い生の欲動に麻痺しつつ、惨めな闇のなかから
後ろを振り返り、ありがたくも懐かしい光へと
戻るすべを見いだした多くの瞬間を。
きょうの2篇は、『1933年夏の詩篇』から採りました。
1933年といえば、ドイツでナチス党が政権を掌握し、ヒトラーのもとで矢継ぎ早に独裁体制を固めて行った年。年表形式で概観すると、つぎのようになるでしょう:
1933年1月30日 ヒンデンブルク大統領がヒトラーを首相に任命。ナチス政権成立。
2月29日 国会議事堂放火事件。ヒトラーは共産党による組織的犯罪と断定して、基本的人権を停止し、多数の共産党員・社会民主党員を逮捕。(じつはナチス党による自作自演の放火だった。)
3月20日 共産党員などの思想犯を収容するため、ダッハウ強制収容所を設立。クレマトリウム(大量殺戮設備)を備えた最初の絶滅収容所。
3月21日 ワイマール憲法体制を否定し、ドイツ帝国を復活させる「統制化スイッチ」の発動を宣言し、この日を祝日とする。
3月23日 授権法成立。国会の機能を停止し、立法権を行政府に授権。
4月26日 国家秘密警察(ゲシュタポ)を設立。
7月14日 政党禁止法発令。ナチス党の一党独裁となる。
10月21日 国際連盟を脱退。
当時スイスにいたヘッセが↑上の詩を書いたのは 1933年6月で、ナチスによる一連の自由剥奪措置が完成した直後ということになります。上の詩には「麻痺」ということばが2回出てきますが、すべての自由を奪い取る“改革”が進行してゆくなかで、人々は文字通り「麻痺」したように、無感覚になっていたのだと思います。当時、世界で最も進歩的で理想的だと言われていたワイマール憲法体制の国が、一気に最も不自由で統制された社会に転落して行った状況と理由が分かる気がします。
そう考えてみると、憲法の人権が停止され、絶滅収容所とゲシュタポが発足してもなお、「俺たちはまだ生きている、敵に呑み込まれはしなかった」などと言ってホッとしているヘッセは、甘すぎやしないかと思うかもしれません。この最初の段階では、共産党などの過激な思想を持った人々が弾圧されたので、ヘッセのような穏健な人は、まもなく自分たちに刃が向いて来ることまで予想しなかったんじゃないかと。
しかし、私たちがそう思うのは、すべてが終わった後で、後ろ向きに歴史を見ているからです。じっさいの歴史の渦中に身を置けば、いったいどんな過程が進行しているのか、はっきり見通すことは難しいと思います。
ヘッセが、「暗い生の欲動に麻痺しつつ、惨めな闇のなかから/後ろを振り返」った体験を想起しているように、ナチス党による独裁への“改革”は、人々の潜在意識の欲動に深く根ざしていたために、国民の支持を得たのです。失業・貧困などの困難を、例外的な少数者のせいにして“解決”したい衝動や、異民族に対する憎しみの感情が助長され、利用されました。
上の詩の最初の行で、「皆がみな同じほうを向いて」と訳した“グライヒ・リヒトゥング”は、通常は「整流、検波」と訳される電気工学の用語です。つまり、交流を直流に直すことです。交流電流の中で、横を向いたり後ろを向いたりしている波を削り取って、同じ方向を向いた波だけにすること。これは、ナチスが宣言した「統制化スイッチ」の発動(グライヒ・シャルトゥング)をもじって言っているのでしょう。
国民の誰もが同じ感情を抱くような事件が利用されて、皆がみな同じ方向を向くようになった時は、たいへん危険な時です。わが国でも、ごく最近まで、その危険な時が続いていたのではないでしょうか? いまは一時的に進行が止まっているかに見えますが、それは、アメリカにはアメリカの思惑があるからです。安心するのはまだ早い。いつまた動き出すか分かりません‥‥
ヘッセに戻って言えば、一連の思想統制と弾圧の動きの後で、あたかも嵐が去ったかのような印象を抱いた点は、たしかに甘かったかもしれません。これも、後知恵によって、そう言えるのですが。
上の詩を書いた1か月後には、はやくもヘッセは状況認識の“甘さ”を自覚して、新たに、もっと大きな嵐が迫っていることを知ります。↓下の詩は 7月28日に書かれたものです。その間に何があったかといえば、政党禁止法が発令されて――すでに 3月の授権法で、ナチス政権は国会の議決を経ずに勝手に法律を作れるようになっていました――ナチス以外の政党は無くなってしまったのです。もはや共産主義も自由主義もありません。
こうしてみると、いちばん恐ろしいことは、激しい弾圧や攻撃などではない。最も恐ろしいのは、眠り込まされ、麻痺させられること、つまり“子守歌”が自由の息の根を止める――ということがわかるのです。
焦熱の真昼
干からびた草地に蟋蟀(こおろぎ)の唱がさわがしい
乾ききった畦(あぜ)のあいだから飛蝗(ばった)が跳ねてとぶ
熟れたそらは白い羅(うすぎぬ)をひろげ
はるかの青ざめた山々を徐(おもむろ)に織りこんでゆく。
なにやら騒々しく、乾ききった葉擦れの音がひろがる
森の奥では、羊歯や苔までも干からびているのだ;
がらんとしたそらには熱を帯びた薄いもや
七月の太陽がぼんやりと白くひかる。
眠りこませるように生ぬるい真昼のかぜが忍び寄ってくる
瞼(まぶた)は疲れて閉じ、耳は夢のなかで
まるで慈悲深い幸せを待ちこがれるかのように
近づく嵐のとどろきに聴き入っているのだ。
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