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ハーバート・サトラー「メムノンの巨像」(1846年)wikimedia-comons.


 




      東方への旅

 世界のはてに迷いこみ、十字軍から落ち零
(こぼ)
 時と数の荒れ野をさまよう兄弟の群れ:
 怖れから、戦いと贖罪の気高い目標を見失い
 沙場
(さじょう)の炎暑に灼かれつつも彼らの眼には
 夢の国、椰子の岸辺が絶えることなく微笑んでいる。

 彼ら迷子の兵士らを、町と市場の
 愚民どもは冷ややかに嘲笑う
 されど、かのメムノンの巨人のごとく朝の光が
 ひとすじ当たるたび、死したかに見えた像はふしぎな歌をかもし出す:
 彼、ドン・キホーテはかなたにそびえる魔の城を仰ぎ
 彼の妖精たち、美しきものらに微笑みを送る。

 そして愚民の嘲りと血の殉教のただなかに
 ひとりまたひとり、魅せられたかのように
 ドン・キホーテを仰ぎ見つめる少年の視線がある:
 ひざまづいて、神の前に誓いを立てた少年は
 聖なる墓場へと続くその巡礼に加わるのだ。





 「メムノン(メムノーン μεμνων)」は、ここでは、エジプト・テーベの「王家の谷」にほど近いアメンホテプ3世葬祭殿の前に立っている2体の石造坐像のことです。

 「メムノーン」は、トロヤ戦争でトロヤ側(反ギリシャ側)に参加したとされる伝説上のエチオピア王の名前なのですが、↑上記の石像を見たギリシャ人が、これをメムノーンの像だと勘違いしたことから、「メムノーン」と呼ばれるようになりました。実は、エジプト王アメンホテプ3世の像です。

 世界史をよく知っている方のために付け加えますと、アメンホテプ3世は、中王国第18王朝の第9代。宗教改革を断行し“アマルナ時代”を現出させたことで知られるアメンホテプ4世――別名イクナトン(アク・ン・アテン)――の父です。4世と違って3世は、伝統的なアメン神の熱心な信者で、今に残るルクソール神殿を建てたのも、3世王でした。

 しかし、アメンホテプ3世自身の葬祭殿は、新王国時代に破壊されてしまい、ヘレニズムのプトレマイオス王朝時代には、入口に立っていたこれら2体の巨大座像が、何もない荒野に立っている状態でした。それが古いエジプト王の像であることは、もはや知る者もなかったのです。

 この石像が有名になったのは、紀元前27年の地震で、北側の像に大きな亀裂が入ってからです。この亀裂を風が通り抜ける音なのか、別の原因なのか、よく解らないのですが、ともかくこの頃から、石像は毎朝の日の出とともにヒューヒューという不思議な音を出すと言われるようになりました。

 ギリシャ神話によると、「メムノーン」は、朝焼けの女神エオスの息子で、トロヤ王プリアモスの甥。トロヤ戦役10年目に、一大船団を率いて参戦し、ギリシャのアキレウスと戦って戦死。母エオスが彼の戦死を悼んで流す涙が、今も朝露となって落ち続けていると言います。そして、死んだ「メムノーン」も、母の涙に呼応して、毎朝、最初の太陽光線が当たると嘆きの声を発するとされました。

 この伝説と、テーベの“音を出す石像”が結びついて、これは嘆きの声を発する「メムノーン」その人だということになりました。

 一説によると、石像に朝日が当たって、亀裂の中の空気が暖められて膨張し、狭い空洞を通り抜けるために笛のような音が鳴るのだと説明されますが、真相はどうだか解りません。この現象を見に来た地理学者ストラボンは、ほんとうに像が鳴っているのか、そばの誰かが音を出しているのか、判らないと言っていますw。

 ともかく、ローマ時代には、この「メムノンの石像」はたいへん有名になって、おおぜいの人が見に来るようになりました。有名なローマの歴史家タキトゥス、旅行好きの皇帝ハドリアヌスも来ています。

 しかし、紀元後199年にセプティミウス・セウェルス帝が像の修理をさせたので、それ以来、音が出なくなったと言われています。

 ⇒:Wikipedia 日本語版 ⇒:独語版 (部分的には日本語版のほうが正確!!)

 

 

 





 

 「メムノンの石像」はともかく、↑ヘッセの詩のテーマは、ドン・キホーテのほうにあります。もっとも、このドン・キホーテは、かなりヘッセ流に読み替えられていますねw。

 セルバンテスの原作ドン・キホーテは、古い騎士道の精神を頑なに守り抜こうとして、新しい機械文明を象徴する風車を“悪魔”と見なして、成敗せんと突進して行きます。他方、ヘッセのドン・キホーテは、むしろそうした伝統的なキリスト教の価値観から外れてゆく人々です。テクノロジーの進歩をひたすらに追及する世の中の主流に対しても、彼らは背を向けていて、そのため世間の人びとからは嘲られ指弾されるのです。それでも、近代の進歩のはてに行き詰まった“文明の袋小路”“世界戦争と殺戮の時代”から脱出する叡智は、そうした例外的な“さまよい人”によってしか開かれないだろう――とヘッセは言いたいのだと思います。

 20世紀のドン・キホーテたちが、ことごとく矢尽き刀折れて倒れようとも、次々に若い世代から新たなドン・キホーテ志願者が立ち上がって、後に続いてゆく、‥‥たとえ、その巡礼の行進は墓場をめざして、ひたすらに突き進むのだとしても、彼らは決して恐れないだろう。。。 と。



 西欧の伝統的な“十字軍”のあとに付いて行っても、もはや救済は望めない――とヘッセは考えていたようです。↓下の詩でも、そうしたキリスト教的な価値に対する批判が読みとれます。

 しかし、キリスト教の約束する救済が、「実体のない夢のような贈り物」にすぎないのだとしたら、東洋の諸宗教――仏教、儒教、usw.――には、実体のある現実的な救済が、はたしてあるのだろうか?‥‥ それもやはり、ヘッセが思うほどには期待できないのではないかと思えるのですが。。。。。





      私たちは生き続け……

 私たちは形と外見を持って生き続ける;
 永遠に変らない実在を、おぼろげにでも
 知るのは、苦しみに躓
(つまづ)いた日々、
 暗い悪夢に告げられた時に限るのだ。

 騙
(かた)りの泡沫を浴びて有頂天のわたしたちは
 先導者なき盲人の群れに似る:
 おぼつかないこの時間と空間のなかで
 時空なき永遠にしか見いだせぬものを探しまわる。

 わたしたちが遥かに希む魂の救済は
 実体のない夢のような贈り物――
 かつて、わたしたちは神々として
 創造の最初の瞬間に加わっていたというのに。



 

 

 

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