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シュヴァルツヴァルトの古い百姓屋敷(1898年撮影)





      シュヴァルツヴァルト(黒森)

 奇妙なほど魅惑的な丘のつらなり
 暗色の山々、明るいのはら
 赭
(あか)い巌(いわお)と褐色の峪(たに)
 いただきは樅の翳(かげ)を纏(まと)う!

 とおくで町の鐘楼から慎ましやかな
 鐘の音
(ね)がひびき、樅を騒がす風の
 おとにまじって来れば
 いつまででも耳を傾けていられる。

 こうしていると、夜な夜な暖炉のそばで読みふけった
 とおい昔の言い伝えのように
 あの日々の記憶がよみがえる
 この地こそわたしの故郷
(ふるさと)だったのだ。

 はるかの地平はもっと気高く、やさしく
 樅の冠を載せた峰は
 さらに浄らかに、豊かに
 わたしの少年の眼には耀いていた。






 シュヴァルツ・ヴァルト(黒い・森)は、西南ドイツにある山地で、西はライン河谷をへだててフランスと、また南はスイスと境を接しています。それだけに古くからフランスや南欧の文化の影響が強く、ドイツにしては特異な風俗習慣を保ってきました。有名な大学町ハイデルベルクは、シュヴァルツヴァルトの北の端にあります。

 ヘルマン・ヘッセは、シュヴァルツ・ヴァルトの田舎町カルフ(Calw)で少年時代を過ごしています。Calw という綴り字も、ドイツ語としては異例です。(しかも、地元では「カルプ」と発音する)

 ヘッセの詩には、自分は故郷を喪失したという独白、また、“喪われた故郷”への渇望の想いを述べた詩句がよく現れるのですが、それがどんな“故郷”だったのか、イメージを与えてくれる詩は少ないのです。この詩を見ると、ヘッセの言う“故郷”とは、特異な森の自然と伝説に彩られたシュヴァルツヴァルト地方のことではなかったかと思われます。

 シュヴァルツヴァルトの自然と伝説を描いた文芸作品は、ヘッセ以前にも少なくありません。たとえば、ドロステ=ヒュルスホフの伝奇小説『ユダヤ人のブナの木』も、シュヴァルツヴァルトの森で起きた盗伐と殺人の事件を主題にしています。

 しかし、ドイツでもっとも有名なシュヴァルツヴァルトの伝説作品は、ヴィルヘルム・ハウフの『冷たい心臓』(1827年)でしょう。日本語訳は、こちら(絶版)に収録されているようです⇒:読書メーター『盗賊の森の一夜』。ドイツではたいへん有名な童話らしく、第2次大戦前から 2016年まで、何度も映画化されています。

 ハウフは伝奇的なメルヘンをたくさん書いた 19世紀の作家ですが、『斬り落とされた手首の話』『幽霊船』など、怪談風のホラー童話が多いのです。『冷たい心臓』もその例に洩れません。




  ヴィルヘルム・ハウフ『冷たい心臓』

【あらすじ】 シュヴァルツヴァルトで炭焼きを営む若者ペーターは、汚らしくて儲からない仕事から抜け出し金持ちになりたいと念願していたが、自分のように真夜中の時間に生まれた者は、森の妖精を呼び出すと3つの願い事を叶えられることを知る。苦労の末に呼び出しの呪文を手に入れ、グラス・メンヒェン(ガラスの小人)を呼び出したペーターは、①宿屋を建てるための資金、そして②「ガラスの小屋」と馬車曳きの2頭馬を所望する。しかし、「ガラスの小人」は、ペーターの願い事が目先のことばかりで、みみっちいのに腹を立て、3つめの願い事を拒否してしまった。

 小人にもらった資金で開業した「ガラスの小屋」の宿屋は、はじめ大いに繁盛するが、ペーターには商売の才覚がなかったので、まもなくすたれて人手に渡ってしまう。困ったペーターに救いの手を差し伸べたのは、こんどは、森にいる悪魔の巨人「オランダのミヒェル」だった。「オランダのミヒェル」は、ペーターの心臓を預かるのと引き換えに、いくらでも欲しいだけ金をやろうと言うのだ。ペーターは同意して心臓を抜き取られ、かわりに「石の心臓」を入れられて町に戻ると、まったく別人のように冷たい心を持った男に変っていた。ペーターは金貸し業をはじめるが、「オランダのミヒェル」が供給する資金と、冷酷な心のおかげで大成功し、地方の名士に成り上がる。

 ペーターは木こりの娘リズベトと結婚するが、家の中ではいつも不機嫌で妻を虐待したあげく、リズベトが夫の留守中に通りがかりの老人にパンと葡萄酒をほどこしたのに腹を立て、妻を鞭で叩いて殺してしまう。「オランダのミヒェル」は、リズベトを叩き殺したペーターの冷酷さを絶賛するが、もとの暖かい心臓を返してほしいというペーターの願いを聞き入れない。

 そこでペーターは「ガラスの小人」を呼び出すが、「ガラスの小人」も、ペーター自身が悪魔と取引した契約を破棄することはできないと言う。しかし、「ガラスの小人」に一計を授けられたペーターは、「ミヒェル」のところへ行き、「おまえが私の心臓を石と交換したなどと言うのは、真赤なウソだ。私の胸に入っているのは石じゃないぞ。石だと言うなら、出して見せてみろ。」と言う。「ミヒェル」は怒って、保管していたペーターの心臓と石の心臓を取り換えて、石の心臓をペーターに見せようとする。ペーターは、もとの心臓に入れ替った瞬間に、「ガラスの小人」にもらった「ガラスの十字架」をかざして、悪魔の「ミヒェル」を退散させてしまう。

 人間の心を取り戻したペーターは、炭焼きの仕事に戻って、母親と、「ガラスの小人」が生き返らせてくれたリズベトとともに、幸せに暮らしたとさ。

Wikipedia: Das kalte Herz から要約)

 


魔法の呪文で“ガラスの小人”を呼び出すペーター(Carl Offterdinger画)





 このハウフのメルヒェンには、シュヴァルツヴァルトの歴史にまつわる背景があります。主人公の願いをかなえる妖精が「ガラス」の精だということ、また、森の悪魔が「オランダのミヒェル」と名乗っていることには意味があるのです。(wiki- Deutscher Wald

 豊かな樹木におおわれていたシュヴァルツヴァルトの森林資源は、古くから伐採され、利用されていました。ことに中世末から近世にかけて、多くの木材がライン川の筏流しで下流のオランダに運び出され、大きな帆船の建造や、石造建物の基礎杭に使われていました。オランダのような地盤の悪い沼沢地に石造建物を建てるには、基礎の杭打ちをしなければ、重い石造建物は傾いてしまいます。現代の日本で鉄筋コンクリートのビルを建てるために、岩盤に届く杭打ちをするのと同じことです。

 基礎杭は石では造れません。岩盤に届く長さの、太く頑丈な木の杭が、どうしても必要になります。現在でも、オランダに残る古い教会や市役所の建物は、シュヴァルツヴァルトから運び出された木材の基礎杭の上に建っているのです。

 近世を通じて、大量の木材が伐採されて運び出され、シュヴァルツヴァルトを豊かに覆っていた自然林は、19世紀半ばにはほとんど枯渇してしまったそうです。19世紀後半には、はげ山ばかりになってしまい、住民は冬になると暖房の燃料さえ手に入らなくなり、家の階段や垣根などを壊して焚き木にしていたという記録があります。現在のシュヴァルツヴァルトの森林の大部分は、その後の植林によって回復されたものなのです。

 ともかく、オランダへの木材の輸出は、取引としては大いに繁盛し、それにかかわった人を億万長者にしました。かわりに森林が荒廃しただけでなく、人心も大いに荒廃したのでした。ハウフのメルヒェンに出て来る森の悪魔が、「オランダのミヒェル」と名乗っているのは、そのためです。

 他方、古くからシュヴァルツヴァルトでは、炭焼き業と、それに関連するガラス製造業が盛んでした。ここで製造されたガラスは“カリ・ガラス”で、緑っぽい色を帯びています。中世以来、森の中の小規模な“ガラス吹きの窯”で造られ、教会のステンドグラスや食器などにさかんに使われました。

 カリ・ガラスの原料は木の灰(ポタッシュ)で、燃料には木炭が用いられました。いずれも、炭焼き小屋で造られます。炭焼きもガラス製造も、森の中の小屋で“ひとり親方”によって細々と営まれる伝統的な生業だったのです。童話に出て来る「ガラスの小人」は、このような伝統的な仕事で暮らしを立てる純朴な人々を象徴しています。(wikipedia: Schwarzwald

 ところで、ヘッセの詩でも、ハウフのメルヒェンでも、シュヴァルツヴァルトの森に出て来る樹種は、樅(モミ)ばかりです。しかし、現在は、シュヴァルツヴァルトでも、ドイツのほかの山でも、森は大部分がトウヒの植林です。これは、どういうことなのでしょうか?




「もともとシュヴァルツヴァルトは、広葉樹とモミからなる混交林だった(「中欧における森の歴史」を見よ)。標高の高い場所にはトウヒの群生地も発達していた。19世紀半ばには、シュヴァルツヴァルトは、過伐採のためにほとんど完全に森林を失ってしまった。その後の植林によって森が復活したが、それは主にトウヒのモノカルチャーとして行われた。」

wikipedia: Schwarzwald



 つまり、もともとの自然林状態では、シュヴァルツヴァルトは針葉樹の純林ではなく、針葉樹・広葉樹の混交林だったのです。広葉樹は、ナラ、ブナなどだったようです。針葉樹はモミが優占していました。

 もっとも、標高の高い場所は、当時からトウヒ林だったと考えられています。モミとトウヒを見くらべると、いちばん目につく違いは枝の角度です。モミの枝は上を向いています。トウヒの枝は、梢の短い枝以外はほとんど水平です。多雪地で重い雪をかぶると、モミは枝が折れてしまいます。トウヒのほうが寒冷・多雪に強いのです。(日本の北海道に多いエゾマツは、トウヒの仲間です。)

 もとの自然林に多かったのはモミでした。だから伝統通念として、ドイツの森の樹といえばモミなのです。ロマン派の詩人たちは、当然のようにドイツの森を“樅の森”として歌い上げます。日本の伝統詩歌で、海岸といえば白砂青松、花といえば桜、鳥といえばウグイスになるのと同じことですw

 

 建材として伐採されたのも、やはり主にモミだったと思われます。モミの幹はまっすぐで、また太く頑丈なので、建材に適しています。

 19世紀以後の植林は、もっぱらトウヒ(ドイツトウヒ)が植えられました。トウヒのほうが寒さ、雪、やせ地に対して強いですし、また、枝ぶりがカッコよくてクリスマスツリーに使われるくらいなので、観光にも良いのかもしれません。(wiki- Geschichte des Waldes in Mitteleuropa

 

 ヘッセの時代には、自然林などはもうほぼ絶滅状態、シュヴァルツヴァルトの大部分はトウヒの植林だったはずですが、ヘッセはそれを知らないのか、じっさいに生えている樹はどうでもよいのか、もっぱらモミの木、モミの木と歌っていますねw まぁ、それはヘッセに限ったことではないので、彼ひとりを責めるのは酷かもしれません。「♪モーミの木、モーミの木~‥‥」というドイツ民謡は日本でもよく知られていますが、「♪トウヒの木、トウヒの木~‥‥」という歌は聞いたことがありませんものねw



 とはいえ、21世紀の現在でも、シュヴァルツヴァルトの一部ではモミが生産されています。いまでは、石造建物の基礎として使われることはありませんが、枝分かれのない長く太い幹が輸出されています。おもな輸出先は……、なんと日本だそうです!(wikipedia: Schwarzwald

 ははぁ、すばらしいお値段で取引されて、日本の寺院や神社に使われるのだな、とピンときました。「平成大改修」だとか、いま日本じゅうどこの寺社でも、寄付金集めが盛んですが、‥‥柱の木材はドイツ製の予定!、と触れ回ったら、寄付が増えるでしょうかね?‥減るんでしょうかね?w

 「日本のミヒェル」が、人心を荒廃させないといいんですがねえ。。。。。




 


冷たい心臓(2013 ドイツ)Trailer


冷たい心臓(1950 東ドイツ)全篇






“ガラスの小人”とペーター(1950 東ドイツ映画『冷たい心臓』)





 ドイツの“黒い森”にまつわる伝説とメルヒェンの話、次回も続けたいと思います。

 

 

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