にしむら・よしあき 

スタジオポノック代表取締役・プロデューサー。
2002年、スタジオジブリ入社。
高畑勲監督「かぐや姫の物語」が初の長縮プロデュース作で企画制作に約8年費やす。
14年末、ジブリ退社。
15年にポノック設立。
聞き手・東京本社文化部 恩田泰子

僕がアニメーションを子供たちのために作ろうとしているのは、自分が「火垂るの墓」で育ったから。

アニメーション映画は、未来の社会を生きる子供に必要なことができる。

そう話せるのは、高畑勲さんと宮崎駿さんがそういう映画を作ってきてくれたからです。

日本のアニメーションをサブカルチャーからカルチャーにしなのは、このお二人だし、それを支えた鈴木敏夫プロデューサー。

なぜカルチャーになったのか。

それは社会的メッセージがあったから。

その根源は高畑さんが、フランスのポール・グリモー監督の「やぶにらみの暴君」 (後に「王と鳥」に改作)を見て、アニメーションは社会的メッセージを伝えうると考え、志したことだと患います。

なぜメッセージを発しなくてはならなかったか。

高畑さんは戦前に生まれ、大人たちの戦中戦後の変わりようを見た。

人間の理性などすぐ崩れると。

だから感情教育ではなく理性教育、思い入れる映画ではなく思いやる映画が必要ということが根幹にありますよね。

直感もすごく大事にするんですが、理屈と理性で納得するかどうかを大切にする人。

「かぐや姫の物語」でも、なぜ作るのか、話しながら考え続ける。

弁証法的に本質を見極め、正解を見つけたら前に進む。

それが全工程にわたり行われるので進むわけがない。

でも」約8年がかりでできたものを見た時「すごいな、この人」って。

クリエイターの力を見抜く目もすごかった。

現場でどんなに楽しそうにしているか、見ているとわかってくるんです。

高畑さんの目的は「傑作」を作り終えないこと。

ずっとこれを続けたいのだと。

「かぐや」の現場をすごく愛して、最後の作業の後「これで終わりですかね」。

「局畑さんがOKしたら終わりです」と答えたら、「はっ、終わりたくない」って。

長年アニメーション化を望んでいらした「平家物語」を短縮で制作する準備をしてい吏した。

提案した時は「えっ、本当ですか!」。

目が輝いていました。

「どこやりたいですか」と尋ねたら、「そんなの『木曽最期』に決まってますよ」。

木曽義仲は「平家」で、高畑さんが一番愛したキャラクター。

その最期を描くのは企画としてはロマンチック。

でも高畑さんは合戦を描きたかった。

どう名乗るか。多勢に無勢で突っ込んで抜け出たところをどう見せるか。

巴がどう戦ったか……。

身ぶり手ぶりをつけて楽しそうに話していました。

「かっこいいでしょう」って。

最後は、ご自分が病気になって難しいと判断されて、やめましょう、となったんですけれど。

音楽、日本語、且本人、世界のこlと、脚本の作り方。

高畑さんからは色々お聞きしました。もういないんだなあ、と恩うんですけれど、ずっといる、とも思います。