- 実録 お寺の怪談/高田 寅彦
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帰ってきた息子
Nからこの話を聞いた私は'好奇心から今夜Nの家に行って、あの人形をもう一度見せろと要求した。
Nは話し方からしてかなりおびえている。
そんなNの様子に'私は蛍がってみせたのだ。
怖いもの見たきというものは誰にでもある。
ひとりでNの家から深夜帰るのも不安な気がしたのでt Kにも一緒に行こうと誘った。
詳しい内容は話さず'いつものように気の合った老同士で酒を飲もうということにした。
寺に酒は事欠かない。
お供え物として檀家さんから寄進されるのだが'とうてい家族だけでは飲みきれず'会合や来客に供せられる。
細授業が終わり'われわれは早速Nの寺に向かった。
途中買物に寄ったためにへ門をくぐるころには辺りは薄暮の状態になっていた。
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Nの父親の住職は'いつものようにロッキングチェアに腰を降ろして新聞を読んでいたが'われわれを見ると温厚な表情で
「やあいらっしゃい」
と挨拶してくれた。
夕食をご馳走になり'食後のコーヒーを飲みながら住職は'今日人形を置いて帰ったご夫婦の家を訪ねて聞いたという経緯について語ってくれた。
記憶を頼りに訪ねた家は'ごく普通の家庭で'ご夫婦と幼稚園児の女の子がいた。
最初は'どのような経緯なのか話し渋っていたが'きちんとお話が聞けないとご供養ができないと言うと'夫婦は顔を見合わせながら語りだした。
それによると'やはりあの人形は'小学校1年生の秋に交通事故で亡くなった息子さんを思って作った人形で'特別に製作を依頼したものであった。
ぞうさく背丈も同じにして'写真をもとに顔の造作もそっくりに作らせた。
眼球の部分にはガラス細ひつぎ工をし'髪の毛も棺に入れる前に刈り取った本人の髪の毛を植えこんだ。
皮膚の部分は特殊な繊維に質感のある樹脂を塗布した。
文字どおり金に糸目をつけずに作らせた人形である。
その人形に'息子が着ていた服を着せへ子供部屋は生前のままにして'半年しか使わなかった学習机に向かわせていた。
母親は毎日息子を着替えさせて'体をふいてやった。
食事の際には亡くなった子供の食器に好物だったハンバーグ、カレーライスなどを作り、人形を食堂の椅子に座らせて'家族全員で食事をしていたという。
母親は'どうしても忘れることができない、どんなことがあっても子供を手元に置いておきたかった。
最愛の息子が死んでしまったことなど信じられないLt信じたくもない。
父親は会社員であったが'妻の嘆きと悲しみを癒すためには'妻の言うことに従うしかなかった。
このことは家族の秘密にして'親戚や友人にも口外しなかった。
またへそんなことをまだ幼い娘は疑問にも思わなかった。
家族の秘密を守るためへ極力外出を避けへ来客も断った。
夫は'妻の言動を見て精神に異常をきたしているのではないかとも考えた。
しかし'最愛の息子を亡くし'妻をも失うことを恐れた。
人形に話しかけ、食事を作るなどする以外はいたって正常であったが'匿名で精神科の医者に相談すると'しばらくそっとして'悲しみがやわらぐのを待つしかないと言われたためへそうすることにしたのだという。
人形が家に届くまで妻は'毎日ほとんどの時間を泣いて過ごしたらしい。
食事もとらず体重は減少し'日に日に顔色も悪くなっていった。
夫は心配した。
それだけに人形が家に届けられ'包装を解いたときの妻の表情が忘れられないという。
妻は眼を輝かせ'人形を抱きしめたのだ。
「お兄ちゃん、帰ってきてくれたのね。
お母さん嬉しいわ。
もうどこにも行かないで'ずっと一緒よ」
娘もお兄ちゃんが帰ってきてくれたとはしゃいだ。
ほお人形を抱きしめた妻の頬を'幾筋もの涙が伝わった。
その日から妻は人形を着せかえ人形のようにして'休むときにはパジャマに着替えさせ'抱きしめて添い寝した。
朝になるとまた普段着に着替えさせて食事を作りへテーブルにつかせた。
妻の顔に生気が戻った。
妻は明るくなりへその日の出来事を家に帰った夫に話した。
だんらんまた昔の家族団輿が戻ってきた.
夫はそう思ったらしい.
しばらくは何事もなく過ぎた。
家族以外から見れば、それは確かに異様な光景であったろう。
そのことは家族も自覚していた。
だからこそ世間とのつき合いは極力避けていたのだが-- 。