しばらく新刊の御紹介がつづいていましたが、紹介中の他文献にフォーカス戻したいと思います。
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文書1 3 イスラエル総領事館あて (一九九八年七月九日)とイスラエル首相あて (二〇〇六年1月六日)
予知内容
・イスラエルの〝民族隔離壁〟建設の開始 (二〇〇四年初頭)
・新潟県中越地震の発生 (二〇〇四年十月)
・二〇〇六年から二〇〇八年に日本で起きるさらに大きな地震
・ヒズボラ紛争の発生 (二〇〇六年七月)
最初の文書 (13-1)は'ブラジルのコパカバーナにある、イスラエル総領事館に送った手紙である。
しかし'その前に電話で予知を伝えようとしたものの、なんら要領を得ないので'改めて、この手紙で大学やマスコミの住所を尋ねているものだ。
「ブエノ・ブランド発信一九九八年七月九日 手紙ナンバー00Ⅰ(二通)
内容一紛争発生の警告と関係連絡先の要請イスラエル総領事館御中先にそちらに電話でご連絡した際、私が言ったことに対し、国家の安全上発表できないし、一切答えることができないと言われましたので'それらを伝えることができる'あなたの国にある大学の研究機関、または教育省とか新聞社などの住所や連絡先をお尋ねしたいと思います。
それでもなお、これから数年後に起きることをお知らせします。
メッセージー
A)二〇〇二年から二〇〇六年にかけてへパレスチナとイスラエル間で'大きな紛争が起きるのを私は見ました。
国中で大きな戦乱が起きへ多-の死者が出ます。
そして二〇〇四年には、イスラエルが民族を分断するためにへベルリンの壁以上の隔離壁を建設するのです。
また、パレスチナによるアリエル・シャロン(イスラエル前首席・当
時は外相)などリーダーたちへの暗殺未遂が'二〇〇四年から二〇〇六年の間に起きるのを見ました。
そしてエジプトのタバにあるヒルトン・ホテルで二〇〇四年十月十日から十二日に爆弾テロが起き'多くの人が亡くなります。
B)さらに私が見たのは、二〇〇四年十月十八日から十九日に、日本の新潟地方で大きな地震が起き、多くの死者が出るということです。
しかし'もっと大きな地震が二〇〇六年から二〇〇八年にあります。
この際、二〇〇一年九月十一日にアメリカで起きるテロ事件と、二〇〇四年三月十一日に'スペインのマドリードで起きる事件の文書を同封させていただきます。
これらが起きないことを願っています」
手紙に述べられているメッセージの内容を検証する前にへ領事館のレターヘッド付きの返書(1 3-2) が来ていることを確認していただきたい。
ジユセリーノ氏が出した手紙に対し、三週間ほど経った七月二十九日にこの返書は出されており'氏の要請に従った内容が記されていて、最初の手紙の文面を確証したものとなっている。
上部に、ジユセリーノ氏自身が'自分の手紙の発送日と相手の住所を記しそのときの切手代を手書きで記入してある。
その下の領事館からの手紙そのものには、ヘブライ語が記されたイスラエル額事館のレターヘッド・マークがあり、日付は7九九八年七月二十九日で'住所はコパカバーナがあるリオデジャネイロから出されていることが分かる。
ジユセリーノ氏の依頼に応え、「あなたの九日付の書簡で要請されている、手紙を送るためのあて先として、教育省と大学の連絡先をお知らせします」とあり、イスラエル国内にある、教育省と二つの大学の'住所、 電話番号、ならびにファクス番号、さらに大学のホームページも記入されている。
最後に、「新聞社などの案内書を同封します」と書かれ、担当者のサインが手書きで入っている。
それでは、ユセリーノ氏がその手紙で予知していることがどのように起きたかをみてみよう。
まずA項だが'イスラエルはパレスチナのガザ地区に、「アパルトヘイト・ウォール」と呼ばれた民族隔離壁を二〇〇三年には一八〇キロメートルにわたって作っていたが'新たに六八七キロを追加建設すると発表した。
この新しい壁は、まさしく予知どおり、ベルリンの壁を上回る高さ八メートルものセメントの壁で、パレスチナ人の農業と日常の経済活動を破壊し、生活そのものを困窮させるものとなった。
この後、両者の対立が激化し、テロや内乱が練-返されたことは言うまでもない。
エジプトのヒルトン・ホテルにおけるテロ事件についてはへ前出の文書2では'日付まで特定されていなかったが'今回の手紙で分かることは、予知より三日ほど早-起きたということである。
二〇〇四年十月七日に、二十三人の死者を出している。
B) 項の新潟県中越地震に関しては、この文書が最も詳細に記述されている。
しかも発生する五年も前に、ここまで予知されていたということを改めて知ることができる。
地震が発生した日付は'予知より五日遅れて'十月二十三日であった。
ちなみに、二〇〇三年に出された'前作「予言集I」 の事件25文書では、期日がば-ぜんとしか書かれていない。
したがって、毎日多-の文書を出すジユセリーノ氏は'初期のデータとなる文書を確認することな-'後年に、うろ覚えで記入しているということがうかがえる。
また、このように無関係の予言が記入されるのは、イスラエルの壁に関する予知が出た日と同じ日に'日本の地震を夢で見たことを意味している。
さらに'国家を揺るがす大事件と思われる'アメリカとイギリスで起きるテロの予知文書を添え、自分の警告書簡を補強した形で手紙を出している。
。
いずれにしても、この文書は'イスラエル総額事館が返信を出していたということで、高評価されるべきであろう。
次も、パレスチナ問題を取り上げた、イスラエルに対する予言書である。
「ポウゾ・アレグレ発信 二〇〇六年一月六日 親愛なるイスラエル首相閣下 現況の好転をめざして1歩を踏み出すたびに、それがさらに破局の道へと向かうことになります。
つまり'ジャンボ旅客機の墜落、住居区の崩壊、大気を汚染する有害物などです。
以下に私のメッセージを伝えます。
私には'夢の中で、イスラエルとパレスチナが'七月の初めに血塗られた戦争を始めるのが見えます。
それによって多-の罪なき民が殺されます。
二〇〇六年八月六日には'ヒズボラによってロケットが放たれ、それがハイファ地区に達します。
それは双方で血塗られた戦争となるでしょう(二〇〇六年一月四日予知)。
私自身は、この世界は実に素晴らしいものだと思っております。
しかし神々の名のもとになされる戦争は'私たちの子供を殺し、人々を恐怖に陥れます。
彼らは自らを縛りつける物質世界に生きており'精神が貧しいのです。
ジユセリ-ノ.・ノープレガ・ダ・ルース(電話番号)」
戦争や紛争はジユセリーノ氏が心を痛める光景である。
出先から手書きで文書 (13-3) を起こしている。
後に「レバノン紛争」といわれるようになった、イスラエルとヒズボラの対立は'パレスチナ武装勢力がイスラエルに対して、捕虜の釈放を要求したことに端を発し、この年の七月四日にその要求を拒否したイスラエル軍が、ガザ北部に戦車で侵入することになった。
そして対立がエスカレートし、八月四日にヒズボラがテルアビブ攻撃を宣言して'予知より1日早く'八月五日に国境を越えてロケット弾の攻撃が始まった。
それから双方に多数の死者を出す・紛争に発展していった。
(写真省略)文書13- 1 パレスチナに民族隔離壁が建設されることと、新潟県中越地震を予知した1998年の手紙
(写真省略)文書13-2イスラエル領事館の返信文。
前文書に応え、教育省と大学の住所を知らせている。