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湖を隔てて存在した墓と居城の跡




いずれにしろ、正確な墳丘の形は別にしても'外見上は前方後円墳に見える。

つまり、マクモニーグルの透視は正しかったことになる。

そして'マクモ二ーグルによると'現在も卑弥呼なきがらの亡骸は、この陵墓の後円部の内部に眠っているのだ。

卑弥呼の眠っていると思われる後門部には'石の階段があり、上部へと続いている。

この石段も非常に古くも作られて1000年はたっているという。
中に立ち入ることができないのが'残念で仕方なかった。
しかし'実際に墳丘をもっ墓が確認できただけでも十分な成果ではある。

ただマクモニーグルは描いた図の中で、卑弥呼の墓の横にもうひとつ円墳のような図形を書き込んでいた。

これに関しては'マクモニーグルもわれわれも'現地で確認することはできなかった。

マクモニーグルによると、現地での透視では卑弥呼の墓以外には'存在を感じないという。

よって墳丘のようなものがあったとしてももそれは墓ではなく自然の地形とのこと。

周辺一帯を詳細に調査したl行は、近くの橋を渡りも冬の居城が
あったとされる方角へ移動した。

そこは'道路を挟んで湖の反対側にあたり、道路から見て小高い丘になっている。

道路のすぐ横は 急な丘の斜面となり、簡単に登ることはできない。

登り口はないか と周囲を捜し回ったが'容易に登れそうな道はどこにも発見できなかった。

マクモニーグルはその丘の方向を指差しながらもかつての村やにゆうねん居城のあった位置を'入念に解説しはじめた。

湖のほうから見ると'上部は比較的平らになっている様子である。

卑弥呼の住んでいた当時は'豊田湖の水位はもっと低く、現在の道路の手前にも'村が広がっていたという。

今は水位が上がりへその部分は湖に沈んでいるらしい。

こはんこうして'われわれは豊田湖畔でも、確実に卑弥呼の墓と冬の居城の痕跡をつかむことに成功したのだった。


偶然に発見された卑弥呼の祭祀場跡!!



豊田湖を後にした一行は'最後ながとに長門へと向かった。

マクモ二グルの最初の透視で、出てきた場所である。

マクモ二-グルがもっとも興味を引かれるとした、マウンド状の地形がある仙崎は、地図を見ていただくとすくにわかるが、対岸には青海島が突きでていて'天然の良港になっている。

卑弥呼の部族が、海へアクセスする港として、この場所を拠点にしたことは、十分理にかなっていいだいたのだ。

偉大なる海の民だったとされる卑弥呼の部族だ。

海に画し


(続く)




卑弥呼画像 021-1


↑マクモニーグルが冬の居城があったと指摘した、上部がフラットな山。

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