予言者の血統と助言者の意志
ブラジルでは労働手帳に登録されることで一人前になる。生活費を工面するため,多くの子どもは学校に行きながら仕事をしている。
最初に就職したのは'ウナンガ市の水道設備や電子部品を扱う会社だった。
アシスタントとして十三歳で入って、翌年正式採用となったが'じきに職を変えへ十五歳から十六歳までオフィス・ボーイとして他の会社で働きへさらに冶金工場に移っている。
そこは鋳造の仕事で'豆ランプや配管の製造などであった。
その間もときどき起こる意識異常で苦労し'病気を疑われて検査したが、何も発見されなかった。
心配した母親がさまざまな薬を無理やり飲ませていたがへその薬が何だったのかジユセリーノ氏はいまだに分からないという。
十九歳になる一九七九年まで冶金工場で働いていたが、その年に高校を卒業し、自分の人生を歩み始めることになる。
両親と暮らしていた家を出たのは、翌一九八〇年であった。
その後'教師となる。
はじめは代用教員として、l九九九年から二〇〇〇年まで北アメリカの文学と英文法を教えていた。
学内の評価は高-'教員栄誉賞を受けている。
担当した学生たちも学力が上が-、彼はそのことを今でも誇りに感じているという。
その後ジユセリーノ氏は、海外旅行に出て'ナイジェリアへジンバブエなど'飢餓に苦しむ民衆の生活を調査したことがある。
それらの国の現状は最悪の貧困状態にありへ民衆が置かれているひどい状況を見て心を痛めたという。
そして同じ貧困地帯がブラジルの東北部にもあることを知って、現在も自分の講演会では'聴講料の代わりに一キロの食物を集める方法をとることがあるのもへ その体験からだという。
一時期ドイツに住んだことがありへそのとき勉強のためにイタリアやフランスにも足を伸ばしている。
そのほかの国にも招待されて行ったことがある。
しかし予知夢のことで海外にはまだ行っていない。
予知夢を見るということは、彼のおじさんがそうであったように'遺伝的な血筋による可能性がある。
そのことはジユセリーノ氏の子どもに兆しが認められるという。「l歳九カ月のルーカスが'私の後継者になるのではないかと考えています。
彼は,私が予知夢を見るようになったときと同じ特徴を持っているのです。
母が、私の小さいころの特徴を述べていたのと同じなのです。
気を失う時期があるという特徴です、健康診断を受けましたが,何も見つかりませんでした。
私は息子が生まれた後へ彼を観察していましたが、母が私のことを話していたのと同じ動きをしています。
このことを'私の助言者にぶつけました。
助言者は、息子が私の仕事を続けると言いました」
はるか時空の彼方から'これらの重大なメッセージを送って-る助言者といわれる主体の真の目的は何なのだろう。
その本心を、予言者としての彼の生きる姿勢の中にうかがわせたような気がする。
ジユセリーノ氏は、憤慨しているわけではないが、ときどきわずかにそれに似た苦痛をあらわにすることがある。
それは目的を達成できずに'自分の無力を感じるときである。
自分が努力しても人々が警告や表明を聞こうとしないからである。
彼は人々の命を守-'救わなければならないと信じている。
地球という生命体を守らなければ'崩壊が近づいて-る。
そのことを知らせるのが自分の使命であると信じているのだ。
彼にしてみると、予知夢とは単に人々が死ぬ夢を見るということではなく、避けることができるかもしれない問題を、前もって見るということにはかならない。
だから、このような夢を彼は「命の夢を見た」と亭っ。
それらの夢は、「死の夢」ではなく、人々がそれぞれに人生を歩み続けることができるように'選択することができる可能性を含んでいる「命の夢」なのだ。
彼は、次のように語っている。
「もしあなたが光に満ちた人生を欲するなら、あなたは光を求める。
しかし陰だらけの人生を欲する人は、暗闇を求める
。
だからそちら側の人々を、私たちはこちらの明るい側へ導きたいのです。
私は選択の余地を与えます。
いや、神様が選択を与えるのです。
選択の余地を与えるのは私ではない。
私はただの経路に過ぎない。
進むか否かはその人々が決めることで、それは自由です」
ブラジルでは労働手帳に登録されることで一人前になる。生活費を工面するため,多くの子どもは学校に行きながら仕事をしている。
最初に就職したのは'ウナンガ市の水道設備や電子部品を扱う会社だった。
アシスタントとして十三歳で入って、翌年正式採用となったが'じきに職を変えへ十五歳から十六歳までオフィス・ボーイとして他の会社で働きへさらに冶金工場に移っている。
そこは鋳造の仕事で'豆ランプや配管の製造などであった。
その間もときどき起こる意識異常で苦労し'病気を疑われて検査したが、何も発見されなかった。
心配した母親がさまざまな薬を無理やり飲ませていたがへその薬が何だったのかジユセリーノ氏はいまだに分からないという。
十九歳になる一九七九年まで冶金工場で働いていたが、その年に高校を卒業し、自分の人生を歩み始めることになる。
両親と暮らしていた家を出たのは、翌一九八〇年であった。
その後'教師となる。
はじめは代用教員として、l九九九年から二〇〇〇年まで北アメリカの文学と英文法を教えていた。
学内の評価は高-'教員栄誉賞を受けている。
担当した学生たちも学力が上が-、彼はそのことを今でも誇りに感じているという。
その後ジユセリーノ氏は、海外旅行に出て'ナイジェリアへジンバブエなど'飢餓に苦しむ民衆の生活を調査したことがある。
それらの国の現状は最悪の貧困状態にありへ民衆が置かれているひどい状況を見て心を痛めたという。
そして同じ貧困地帯がブラジルの東北部にもあることを知って、現在も自分の講演会では'聴講料の代わりに一キロの食物を集める方法をとることがあるのもへ その体験からだという。
一時期ドイツに住んだことがありへそのとき勉強のためにイタリアやフランスにも足を伸ばしている。
そのほかの国にも招待されて行ったことがある。
しかし予知夢のことで海外にはまだ行っていない。
予知夢を見るということは、彼のおじさんがそうであったように'遺伝的な血筋による可能性がある。
そのことはジユセリーノ氏の子どもに兆しが認められるという。「l歳九カ月のルーカスが'私の後継者になるのではないかと考えています。
彼は,私が予知夢を見るようになったときと同じ特徴を持っているのです。
母が、私の小さいころの特徴を述べていたのと同じなのです。
気を失う時期があるという特徴です、健康診断を受けましたが,何も見つかりませんでした。
私は息子が生まれた後へ彼を観察していましたが、母が私のことを話していたのと同じ動きをしています。
このことを'私の助言者にぶつけました。
助言者は、息子が私の仕事を続けると言いました」
はるか時空の彼方から'これらの重大なメッセージを送って-る助言者といわれる主体の真の目的は何なのだろう。
その本心を、予言者としての彼の生きる姿勢の中にうかがわせたような気がする。
ジユセリーノ氏は、憤慨しているわけではないが、ときどきわずかにそれに似た苦痛をあらわにすることがある。
それは目的を達成できずに'自分の無力を感じるときである。
自分が努力しても人々が警告や表明を聞こうとしないからである。
彼は人々の命を守-'救わなければならないと信じている。
地球という生命体を守らなければ'崩壊が近づいて-る。
そのことを知らせるのが自分の使命であると信じているのだ。
彼にしてみると、予知夢とは単に人々が死ぬ夢を見るということではなく、避けることができるかもしれない問題を、前もって見るということにはかならない。
だから、このような夢を彼は「命の夢を見た」と亭っ。
それらの夢は、「死の夢」ではなく、人々がそれぞれに人生を歩み続けることができるように'選択することができる可能性を含んでいる「命の夢」なのだ。
彼は、次のように語っている。
「もしあなたが光に満ちた人生を欲するなら、あなたは光を求める。
しかし陰だらけの人生を欲する人は、暗闇を求める
。
だからそちら側の人々を、私たちはこちらの明るい側へ導きたいのです。
私は選択の余地を与えます。
いや、神様が選択を与えるのです。
選択の余地を与えるのは私ではない。
私はただの経路に過ぎない。
進むか否かはその人々が決めることで、それは自由です」
- マリオ・エンジオ, 山川 栄一
- 未来からの警告
- ジョー・マクモニーグル
- FBI超能力捜査官 ジョー・マクモニーグル
- 並木 伸一郎, 宇佐 和通
- FBI超能力捜査官マクモニーグルと「遠隔透視」部隊の真実―リモート・ビューイングのすべて
- ジョー・マクモニーグル, 中島 理彦
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- ジョー マクモニーグル, Joseph W. McMoneagle, 杉本 広道
- マインドトレック―遠隔透視の全貌