がなんなのかフェスティバルを聞いていてやっとわかった!!
クラシックギターの最大の問はバイオリンやその他の楽器のように オーケストラという様式に組み込むことを考えた構造になっていないことと ドラッカー的に言えばイノベーションなしに歴史を経てしまったことである。
例えば新堀ヒロキ氏の十八番であるアンサンブルであるが、これがその問題点を表象している。 いわゆるオーケストラにおける音域、音量や音要素、表現要素という引き出しがないため 特にオーケストラには組み入れることができない。 だからこそジオン軍のザクのようにギターでバス、アルト、ソプラノ、プライム、チェンバロなどの 亜流の各ギターを発生させるほかなかったのである。
フレーズ・パートの分割のみであるから、意外とパートや人数が多いにもかかわらずまるでマイクオールドフィールドのような 単色の音の重なりに聞こえてしまうのである。 また形式的には芸術的な要素を内包してはいるが、事実上民族楽器の域を脱してはいない。 音も中国の民族楽器のオーケストラによくにている。 まだ中国の民族楽器は独自の発展をとげているためむしろ表現や技術の系譜は違っても深いものを感じる。
クラシックギターがとくに弱いのはダイナミクスとコラボである。 鍵盤、金管、混声合唱、打楽器との音のバランスが全く取れない。 演目ももっぱらバロック期やいわゆる現代音楽というギター専門のものに限られる。 クラシックギターが得意とするジャンルや現在活躍中の演奏家の演目を見ると気がつくことは、民族音楽=キューバ、スペイン、ボサノバ、.....といったものと非常に親和性が高くこれと関係のない領域で発生するいわゆる彼らが現代音楽と称する物は音楽性を欠いている(ものが多い)。国内であれば雅楽などの融合のほうが成功しやすいように思う。
一方において、ギターの利点は完成されたフレットシステムにある。 音を弦で扱うのにこれ以上の整合性や効率性はない。 この機能性を部品的に扱い各フェイズに適応していったのがエレキだと思う。 イノベーションは皮肉にもクラシイクではなくエレキの方へ起こった。アンプラグドな太鼓では音量がでないため出力部分をわけた。JAZZでは音量とFホールの空気感が要求されたためバイオリンやバスのfホールを取り入れた構造になった。また弾弦によって発音することからくるサスティンのなさはコンプレッサー(サスティナー)によってほぼ無限の持続を得ることになる。 フレットシステムをさらに減数を増やしたり、フレット数を増やす(SkyGuitar,7弦など)、右手にはBowを取り入れる(TogamanGuitar),独自の音列で両手を鍵盤のようにたたいて音を出す(Stick)演奏者の要求に合わせるかのように どんどん新しい楽器が生まれている。 なによりレパートリー・表現領域が拡大している。
ごうまんかましてよかですか :*:・( ̄∀ ̄)・:*
「名前はクラッシックだけどぜんぜんくらしっくじゃねーーーんだよーーーー」: