勤務先での実労働時間(2002年5月以降データ蓄積)
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2002年10月から主任で課長事務取扱になりメーカーの保守サービス部品供給部門の責任者となった。
1年半主任の給料で課長の仕事、主任の時の担当範囲だけではなくなった為新しいことも色々覚えるため、進化を感じながらの過剰労働だったので苦痛ではなかった。

2004年4月から給与も課長となり2005年までは過去の負の遺産が何かと火を吹き始め、解決するために必死をこいた時期。でも、悔しいので長い目で見て将来に同じようにならないようにするぞと、何が問題か実務データを蓄積しながら耐えた。
そして、カネを引き出さないと解決できないこともあり、何かと面倒くさいことは拒む経理とまともにやりあえるためには簿記だと思い簿記3級・2級を取得した。
2002年12月にGITANEが活動休止となり、トニートニーチョッパー集めが心のよりどころだった時期。
「おれが医者になるんだ、会社だって治せる医者になるんだ」

2006年4月になって、それまでの蓄積したことからこういう風にしないとだめだとあるべき姿をチャンスがあるごとにアピールしていった。
でも、理解してもらえない、自分の考え方がおかしいのか思い始め行き詰まり感を感じた9月に三島創業塾のポスターを見て反応した。三島創業塾に参加して世界が変わった。参加した刺激的で会社にはあまりいない前向きで活動的な仲間と出会い創業塾修了後もOB会で定期的に会合するようになった。三島創業塾の初日の中小企業診断士の講義を聞き、自分でも講師できるぞと思った。
そして、会社での自分の考え方が正しいのかおかしいのか確かめたいために2007年2月から中小企業診断士の勉強を独学で始めた。会社で根本的な問題を意識して、どうやったら改善できるかを考えて仕事していたのでストレートで二次まで受かってしまった。
この頃大塚愛のコンサートが心のよりどころでした。
 
中小企業診断士試験に受かって、自分の考え方は会社では理解してもらえなくても世の中では間違っていないとに自信を持てた。でも、会社では変わり者、また何かわからないことを言っているポジションニングは変わらなかった。課長職になってからは部長から放任されっぱなしだったが、この頃初めて上長らしい上長ができた。
2008年2月・7月・8月の実務補習も終わり、2008年10月に中小企業診断士登録した。
SCM研究会で需給計画のプレゼンの時間をもらい、その時講師できたゴールドラットコンサルティングの日本代表の岸良裕司氏とディスカッションし、会社で無料セミナー伊豆・東京2か所で行ってもらった。
直感的な自分の考えを論理的に説明する方法はTOCだ!!
それをきっかけにゴールドラット博士と会社としての打合せをセッティングできて、ゴールドラット博士とツーショット写真を撮った。
流通業の本、クリスタルボールが出版される時期だったので日本の流通業にPOSを納めるトップメーカーだったことも幸いした。
しかし、偉い方々は最終的にゴールドラット博士の提案、やり方を学ぶ社員への先行投資を断った。
それどころか会社は2010年以降どんどん短期的、縦割り、部分最適に邁進していき部門間の壁とプロセスに抜けが出てきてしわ寄せが下流プロセスに結果として表れるようになった。
その加速度は私の実労働時間のV字増加を見ればわかる。
2010年以降は会社に恨みが積もるボランティア労働である。
fringe tritoneの活動が活発なのが心のよりどころです。
そしてそれに学生時代に体験し今も成長するディズニーランドでのおもてなし精神と30周年武道館を目指す前向きの象徴 PERSONZ。
私の会社人生もMAX2年半、会社ぶっ壊します。
ダメなら、分捕れるだけ分捕ります。割増退職金と慰謝料。