ここまでされて黙ってる安倍総理

人が良すぎだろう

宣戦布告と同じだろう

どうして誰に遠慮してるんだ。



日本人として悔しい

日本人として悲しい


安倍さん

パチンコ禁止とビザと領事館閉鎖

直ぐにやってくれ










少女像に“土下座の像”設置「許されない」

韓国にある民営の植物園が、慰安婦問題を象徴する少女像にひざまずいて謝罪する安倍総理大臣を模した像を設置していることについて菅官房長官は「国際儀礼上、許されない」などと強い不快感を示しました。

「そのようなことは国際儀礼上、許されないと思います。仮に報道が事実であるとすれば日韓関係に決定的な影響を与えることになる」――菅長官は会見でこのように述べ、強い不快感を示しました。

植物園によりますと、この像は「永遠の贖罪」と題されていて、「日本が作品のように頭を下げて、私たちがもう良いと言うまで謝罪してこそ、許すことができると表現したもの」などと説明しています。

ただ、この像をめぐっては韓国国内でも賛否が割れていて、当初、来月上旬に除幕式を行う予定でしたが園側は日程をキャンセルしたとしています。

2020年7月28日 15:40
https://www.news24.jp/articles/2020/07/28/04689238.html
https://www.news24.jp/images/photo/2020/07/28/20200728-152711-1-0004.jpg

■他ソース
韓国で少女像に謝る安倍首相の像 菅氏「許されない」
https://www.asahi.com/articles/ASN7X3VGRN7XUHBI00H.html
https://www.asahicom.jp/articles/images/c_AS20200728000961_comm.jpg
https://www.asahicom.jp/articles/images/AS20200728000962_comm.jpg













【コリアン(朝鮮民族、韓国人・北朝鮮人)が認めたがらない歴史的事実一覧】

・稲作が九州から朝鮮半島に伝わったこと
・唐辛子が日本から朝鮮に伝わったこと(足袋(たび)に入れて足を温めるものとして朝鮮半島に持ち込まれたのが唐辛子)
・半島南部の先住民が日本人(倭人)であったこと
・新羅の建国時の宰相が日本人(倭人)であり、王家の二つが倭人系統であること、また始祖の朴赫居世についても日本人説(倭人説)があること

・百済、新羅が大和朝廷に対し従属的地位にあったこと
・大和朝廷による任那(伽耶)地域の支配があったこと(半島南部における多数の前方後円墳の存在)
・朝鮮半島における文化的独自性が欠落していること(あらゆる分野での古典の不在)
・属国として歩んできた歴史であること(漢民族・モンゴル民族・満洲民族のどの民族からも朝鮮民族は格下扱いされてきた)

・中国の属国になってから、みずから改名して、中国語の姓名であること
・秀吉の朝鮮出兵が日本と明の戦争であったこと(李氏朝鮮の軍は明の軍の指揮下に入り、和平交渉も日本と明の間で行われた)
・李氏朝鮮王が、中国の地方長官の地位でしかなかったこと
・清から、李氏朝鮮が琉球とベトナムよりも格下に扱われていたこと

・李氏朝鮮の前の高麗では、元の命令で、王妃が代々モンゴル人であり、モンゴル人の母親から生まれた息子しか国王になれなかったこと
・朝鮮半島の国が、歴史上一度も、単独では戦争に勝ったことがないこと(朝鮮民族と組んだ国も戦争に勝てない。高麗と組んだ元の元寇、大韓帝国を併合した大日本帝国の大東亜戦争)
・朝鮮民族が雑多な民族の集まりであること

・ハングルで表記できない発音がいくつもあること
・チマチョゴリが、子を産んだ女性は胸を露出して着る服であったこと
・朝鮮半島に唐辛子が広まったのは、塩の代わりの調味料だったこと
・李氏朝鮮の時代に、木を丸くする技術がなくて、二輪車がなかったこと
・秀吉が朝鮮に出兵した時に、秀吉側について明と戦った朝鮮人がたくさんいたこと

・馬に乗って戦っている倭寇がいて、日本人じゃない倭寇がいたこと
・日本に文明を教えてあげたと主張する王仁博士の出身地に、王仁博士の一族の末裔も王という姓の人もいないこと
・竹島が古代から一貫して日本の領土であったこと
・テーブルで肉を焼く料理法は戦後、日本から韓国に伝わったこと
・文盲だった朝鮮人にハングルを教えることにしてハングルを広めたのは日本人であること
・高麗の時代には、済州島は元の直轄地で、元の領土だったこと



・朝鮮戦争前はむろん、朝鮮戦争後もずっと、韓国人は白米を常食にできなかったこと
・朝鮮半島の国は中国の国に朝貢するにも朝貢する文物がないので女性を献上していたこと
・大韓帝国(李氏朝鮮)の外国からの莫大な借金を、日本が代わりに支払ってやったこと
・大韓帝国(李氏朝鮮)の李王家の帰国を大韓民国(現在の韓国)が拒否していて、大韓帝国と大韓民国は別の国であるので、大韓帝国併合については韓国人(大韓民国人)には言及できないこと

・2000年近い朝鮮半島の歴史の中で、朝鮮半島を統一した独立国家としての歴史は、936年から963年までの高麗の27年間と、1895年から1910年までの李氏朝鮮(1897年から大韓帝国と改称)の15年間しかないこと
・朝鮮という国名にしたのは明だが、他国に自国の国号を決めてもらった世界にただ一つの国であること
・百済と新羅の時代に朝鮮半島に住んでいた日本人が文明人として他の民族から尊敬されていたこと
・百済と新羅から帰化した人からの朝鮮語の伝搬が見られないことから、帰化人とは朝鮮半島に住んでいた日本人であったこと(帰化人を渡来人というのは誤り。文字通り帰ってきた人達。朝鮮半島からの帰化人は引き揚げ者)

・昔から今まで常に日本列島が朝鮮半島よりも文明文化が進んでいたこと
・済州島には朝鮮民族とは別の言語・風習を持っていた、朝鮮とは別の民族が住んでいたにもかかわらず、済州島を併合してしまったこと
・1948年に、済州島の民族を大虐殺したこと
・済州島の民族の言語とアイヌ語に共通な語があって、済州島には日本列島と同じ民族が住んでいたこと
・元寇の兵の大半は高麗人(朝鮮民族)だったこと(韓国では元寇を元の「日本征伐」としていて、高麗人が元寇の主力兵だったことを教えていない)

・民族が到達しやすくても脱出しにくいのが半島だが、そもそも朝鮮半島には日本人が住んでいて、後から別の民族がやってきて、それが朝鮮民族になったと考えられること
・民族は敵性民族がいなければ暖かい所に移動するので、朝鮮半島の朝鮮民族は北のほうから南下してきたと考えられること
・朝鮮民族が南下してきたといっても単一の民族としてではなくて、満洲民族、モンゴル民族、漢民族、北方のツングース民族等が南下して朝鮮民族になったと考えられること

・韓国では中国を親の国、韓国を兄の国、日本を弟の国だと教えているが、それ自体が韓国の属国思想であること(日本は独立国だったので、そういう発想がない)
・宦官制度が新羅の時代から1894年の甲午改革で廃止されるまであって、去勢された男子の宦官がいたこと
・朝鮮民族は漢民族・満洲民族・モンゴル民族に従属していて格下の民族とされていたこと
・清朝の冊封体制の中で李氏朝鮮の地位は低く、朝鮮使臣のみが丸首の衣で歩いて裏門から入ったこと(朝鮮使臣のみが礼服と籠に乗ることと正門から入ることを禁じられていた)



・昔の李氏朝鮮の大極旗には清国属国旗と記されていること
・遣隋使、遣唐使、日明貿易の時代にも朝鮮を通さずに日本は交易していること
・李氏朝鮮の時代も、水田の灌漑施設がなかったこと
・1000年にわたる売春立国であること
・遣隋使、遣唐使、日明貿易はあったが、遣高麗使、遣朝使のような朝鮮半島との貿易はなかったこと

・朝鮮の漬け物の発祥地は中国の重慶であること
・高麗の青磁は中国の殷が起源、李氏朝鮮の白磁は中国の北斉が起源であり、どちらも朝鮮半島の発祥の文物ではないこと
・日本の歴史は事実・真実のままで世界に誇れる立派な歴史であること(歴史を偽造する韓国に配慮して日本の教科書を記述することなどとんでもないことである)
・韓国の教科書には「〇〇を日本に教えてあげた」という記述が山のようにあるが、そのすべてが偽造・ねつ造であること(韓国は、日本発祥のものでさえ教えてあげたと記述する傲岸不遜な国。教えたも問題だが、教えてあげたという表記は無礼千万)

・朝鮮半島発祥の文物で日本に影響を与えたものは一つもないこと(朝鮮民族がいなくても日本の文明文化は発展していた)
・朝鮮半島に存在しないDNAの稲が日本だけにあること(稲作は中国雲南省あたりから海路で九州に伝わったから)
・新羅も百済も日本(倭国)のことを文化大国として敬仰していたこと(朝鮮半島初の統一国家である新羅の基礎づくりを指導したのは日本列島から渡ってきた日本人(倭種)だった。「第四代新羅王の解脱(タレ)は、倭の東北一千里にある多婆那国の生れ」(三国史記新羅本記)、多婆那(タバナ)国は、丹波、あるいは但馬と考えられている)

・日本国は九州北部と朝鮮半島にまたがっていたこと(鉄資源を採取するための拠点が朝鮮半島南部にあり、そこから南が倭国(日本)と認識されていた。「韓は帯方郡(魏の直轄地・現ソウル付近)の南にあり、東西は海、南は倭と接す」「倭に至るには(海岸に沿って水行し韓国を経て、あるいは南し、あるいは東し)その北岸、狗邪韓国に至る。(そこから)はじめて海を渡ること千余里、対馬国に至る・・」(魏志「韓伝」および「倭人伝」)
・日本は朝鮮半島南部の拠点を通じて、1世紀ごろには中国大陸と直接交流していたこと
・戦前の朝鮮史研究では、新羅4代王が日本列島の出身者であることなど常識であったこと

・新羅16代の王のうち半数が日本人であったこと(半島古史研究で基本資料とされる『三国史記4』(東洋文庫)に全文間違いの訳注がある。日本人(倭種)は4代目のみとする訳注を書いたのは韓国人の鄭早苗)
・新羅と百済の同時代の『唐書』に、「新羅も百済も倭国(日本)を大国として敬仰している。それは倭国には優れた品々が多いためで、常に使節が倭国に赴いている」との記述があること
・日本の皇室が世界で一番古い家系であること
・青森県の大平山元遺跡が「世界最古」の遺跡であること

・日本の神道のような信仰は世界中にあったが、今は日本にしか残っていないこと
・日本の前方後円墳は3世紀に出現したが、朝鮮南部の栄山江から発見された前方後円墳は5~6世紀のものであること(日本人が朝鮮半島に住んでいた証拠であると知った韓国人は朝鮮半島の前方後円墳を爆破した)




・百済では1世紀になって初めて稲を作るべしとの王令が出たこと
・日本の農業用語に朝鮮由来の言葉がないこと(朝鮮から伝来していないから)

・日本書紀が書かれたのは8世紀だが、朝鮮の三国遺事が書かれたのは13世紀であり、日本の神話が朝鮮の神話よりも古いこと(日本の神話が朝鮮の神話を真似たというのは嘘。朝鮮神話が5000年前の熊太郎(檀君)神話を実話として教科書で教えているのは荒唐無稽)
・朝鮮が属国だったから、朝鮮からの使節が外交使節でなく朝鮮通信使とされたこと
・現在ソウルの城門のあった場所には「独立門」というものが建てられたが、昔その場所には『迎恩門』という門があり、それは「朝鮮王が9回頭を地面に叩きつけて擦りつけ、ひれ伏して清の使者を迎える」という・屈辱的な隷属の象徴の門だったこと

・朝鮮国王は 中国の王朝の皇帝によって任命されたこと
・朝鮮国内の事件は全て皇帝に報告しなければならなかったこと
・朝鮮国王の地位は、中国の王朝の廷臣よりも下だったこと
・朝鮮政府には、貨幣の鋳造権すら与えられてなかったこと

・朝鮮政府には清国への食糧、兵士提供の要求権もなかったこと 朝鮮は清国に細かく定められた貢品を出す以外に、毎年、牛3000頭、馬3000頭、各地の美女3000人を選り抜いて貢がなければならなかったこと
・新羅が日本の属国であって、新羅の王子が日本に人質にとられていたこと
・白村江の戦いとは、日本の属国から唐の属国になって寝返った新羅をめぐっての、日本と唐の宗主国同士の争いであったこと

・ハングルが日本の阿比留文字の真似であること
・朝鮮通信使が、朝鮮の王から、日本から技術を学んでくるように言われていたこと
・併合前の大韓帝国がアジア最貧国だったこと(1910年のインドよりも、1910年の朝鮮半島は貧しかった)
・李氏朝鮮の王の即位の年には、「朝鮮国、権署国事、臣李某」から始まり、「国事をかりに処理する臣下の李」と、李氏朝鮮の王から清への書状に書かれていたこと

・「朝鮮」とは朝貢物の少ない国という意味であること(鮮は少ないという意味)
・現在の朝鮮民族と古朝鮮とは民族の連続性がないこと(現在確認されている朝鮮古語は180語しかない)
・満州国国歌を韓国国歌にしていること




・李氏朝鮮が男尊女卑の社会であって女は子を産む存在でしかなかったこと

・韓国は東北から北海道の緯度にある寒冷地帯であって、南方の食べ物である稲が育つはずがなくて、1980年代まで韓国人は雑穀を食べていたこと
・朝鮮半島には価値ある文化、富や食、豊かな土地などまったくなかったという理由で、中国の王朝が朝鮮半島を自国領にしなかったこと
・トンスル(人糞酒)があること(犬、猫、鳩の糞の酒もある)

・百済時代には、百済を含めた朝鮮半島の南部から中部まで日本の文化圏だったこと
・遺伝子(DNA)鑑定によれば、現在のコリアンの多くが北方系民族で、日本人の系統とはまったく異なること
・朝鮮半島の歴史上、最も繁栄したのが日韓併合時代であったこと(インフラが整備され、人口は倍増、学校が作られて教育水準も上がった)
・病人のまねをする病身舞があったこと
・戦後、障害児を海外に養子に出して捨てていたこと