まもなく50歳になる
中年から初老へ
体の衰えは目に見えて進み
まもなく死んでしまうんだなと実感する
生きたい
生きる意味を自分は知っている
揺るがない価値観「儲ける」
生まれ持った運命(家業が自営業)と
小さい頃から刷り込まれた絶対的価値観(蓄財)
それは性(たち)ともいわれる生きる意味
全てはお金のために
守銭奴と呼ばれても
仏教ウェブ入門講座 より引用
虚無感(きょむかん)
普段の生活の中で、ふと「虚無感」に襲われることがあります。
そして、居ても立ってもいられない焦りを感じますが、
何をすればいいのかも分かりません。
この虚無感の原因はどんなことで、
どうすれば解消できるのでしょうか?
虚無感とは、今やっていることに意味が感じられず、
自分の存在意義もわからなくなることです。
それは、生きがいがないわけではありません。
生きがいがあっても、それ自体が無意味に思えてしまうのです。
今やっていることが無意味に思えてくると、
「こんなことをしていてもいいのか?」
という焦りや焦燥感も感じられてきます。
このように、今やっていることが無意味に思えて、
虚無感に襲われるのは、どんなときでしょうか?
それは、今やっていることを続けていって、
一体どうなるだろうか、と将来に思いを馳せたときです。
例えば高校時代にサッカー部に入っていたとします。
毎日サッカーの練習をするのは何のためかと考えると、
次の試合に勝つためです。
では、その試合に勝つのは何のためかというと、
その次の試合に勝つためです。
そうやって「それは何のため?」とたどっていくと、
高校3年生の最後の試合に行き着きます。
それが終わると、受験などの次の進路のために
引退することになります。
その後、大学に入ればサッカーをしたいとしても、
遊び程度、社会人になれば、忙しくなって、
サッカーはやりません。
そんなとき、あっという間の高校3年間で、
何のためにサッカーを頑張っているのだろう?
意味があるんだろうか?
という虚無感に襲われます。
今やっている仕事であれば、
毎日一生懸命頑張っています。
それは何のためかというと、毎月のノルマを達成するためです。
今月の目標を達成すると、
来月はまたゼロから目標に向かいます。
それを達成すると、またゼロに戻って
次の目標に向かいます。
それは一体何のためなのでしょうか?
定年まで頑張れば、何か残るでしょうか?
仕事はしなければ生きていけませんが、
その間お金や役職を手に入れても、
特に嬉しいわけではありません。
子育てであれば、色々な大変なことがあって、
めまぐるしく頑張りますが、
20年後、子供は巣立って行きます。
自分の思い通りには育たなかったと
苦しんでいる人もたくさんあります。
人は、そのような仕事や子育てに
人生の大半を使うのですが、
人生には制限時間があることを思い出したとき、
「今やっているような、こんなことをしていていいのだろうか?」
という、居ても立ってもいられない焦燥感に襲われます。
実際に、生きがいに満ちた人生を送り、
色々なものを残したように見える人で、
人生の最後に「何も残らなかった」と
後悔している人がたくさんあります。
虚無感の原因は?
虚無感の原因は、失恋したからでも、やりがいを失ったからでも、
何かに裏切られたからでもありません。
何かのきっかけがあったとしても、根本にある原因は、
「必ず死ぬのになぜ生きるのか」
という生きる意味が分からないからです。
生きる意味といっても、
レオナルド・ダ・ヴィンチや、ミケランジェロ、
松尾芭蕉やモネ、ピカソのような、
生きがいのことではありません。
生まれてから死ぬまでに、これ一つ果たせば、
人間に生まれてよかったと大満足できる、
人生全体の意味です。
世間で虚無感の解消法というと、
寝るとか、旅行に行くとか、読書をするとか、
趣味や生きがいを持つなど、
表面的なことばかりです。
そんなことをしているから、
虚無感がなくならないのです。
虚無感を本当になくすには、
本当の生きる意味を知らなければなりません。
それさえわかれば虚無感は解消し、
二度と虚無感に襲われることはなくなります。
引用ここまで