本格化に秋に。
映画『裸のいとこ』
オーディトリウム渋谷にて
明日16日から、13:30~の回でいよいよ公開します。
明日、明後日、上映後にトークイベントやります。
あの日、福島第一原発で事故が起きたと聞いたとき、最初に思い出したことは、その原発の真裏にある大熊町のことだった。その町は戦前は大野と呼ばれ、私の父、唐十郎が幼少時代の二年半、戦火の東京上野を逃れた疎開先であった。父は周りの農家の子供たちからかなりイジメられたと言う。
さらに父はその地で慕っていた実姉を亡くす。その責任の一端は、疎開先の複雑な事情にあると苦々しく父はよく話してくれた。
言うまでもなく、原発事故後、父の第二の故郷は激しく姿を変える。
福島で『激しい内容の映画』を撮りたいと思い出すのに時間はかからなかった。現在の日本を生きる表現者にとって、震災後の福島を題材にするのは本能的な欲求であり、それを今更に隠す必要はないだろう。
そして2011年の秋から始めた、飯館村と南相馬でのシナリオハンティングの中で、私は南相馬の、20km圏内への巨大ゲートに出会う。不謹慎ながらその光景にSF映画を観ているような気持ちになってしまった。
現実を理解するや、激しい怒りが込み上げてきた。現実離れしたその巨大ゲートは、日本人が入れない新たな日本の誕生を受け入れろと言っているかのようだった。
同時にその現状をテーマにするなら、その未曾有の不幸とそこに蠢く巨大な力に、真っ正面から立ち向かっても絶対に歯が立たないと直感した。
巨大な不幸と力に対抗するために私が選んだ物語は『ちっぽけで愚かな愛』がテーマだった。 その巨大ゲートの町での、悲しいラブストーリーが勝手に産まれた。
『善良な者にも、愚かな者にも、また悪しき者にも、この巨大な不幸は残酷なまでに等しく舞い降りる』
2年近く南相馬に通いながら知った嘘偽りのない現実。しかし同時に、少しづつでも前に向か人々の微笑にも、同じくたくさん出会ったことも事実である。