特殊工作員な日々・・・魔法の国の犬たち | 大鶴義丹 不思議の毎日

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大鶴義丹がつづる、芸能な日々と遊び。

 この二日間は、結構大変でした。68年生まれの私が、68年に起きた、当時、時代を揺るがしていた学生運動の一つである、「日大闘争」に関わった人々と、ストリートからその時代を検証するという超堅いNHKの番組を収録していました。オールロケで、東京中をあちこちへ。

 幸い残暑がたまたま緩かったのがラッキーでしたが、これが結構大変、楽しいのは基本なのですが、当然、こちらも色々と勉強しないと対応できない番組内容なのです。


 明日、月曜日は久々に「遊び」も「勤労」も何も予定を入れていないので、またまた映画に行こうかと考えています。

 候補は「ウィッカーマン」「シッコ」「インランド・エンパイア」「デスプルーフ」あたりです。大体の趣味趣向がバレバレですね・・・シネコンで、2本くらいを連続ハシゴ鑑賞するのも結構好きです。


 最近、近所で私も仲の良かったゴールデンレトリバーが永眠しました。

 私も色々な犬を飼ってきたので、犬との別れというのは何度も経験していますが、愛犬の死というものは、その飼い主の人生観を揺るがすようなこともあります。

 単に「犬」という愛玩動物の生命の停止というよりも、それを愛玩し続けてきた「短い」自分の人生の時間に対する、数々の想いがからみつくからなのでしょうか。

 

 私自身も、以前の結婚生活が始まると同時に飼い始めた二匹の雌のゴールデンレトリバー《義理の姉妹と呼んでいた》がいました。夫婦で協力して一生懸命に育てました。余談ですが40キロ近い体重の生き物、二匹分のウンチの量に辟易した記憶があります。また、二匹で一ヶ月に食べるドックフード量といったら・・・・


 普通のペットショップで買ったのですが、健康でなかなか頭も良く、山中湖では、私と一緒に沖まで泳いでいき、とてもたくましい二匹でした。

 また、娘が生まれると、その彼女を背中に乗せて歩き回ってくれたりもしました。

 一歳くらいの女の子がゴールデンレトリバーの背中に乗り、乗馬のように歩き回る光景は、まるで魔法の国からやってきた犬たちのようでした・・・・・・。

 

 彼女たちがそれぞれ順番に病気で死んでいったとき、ちょうど、私は離婚調停中でした。何か、不思議なものが象徴的にシンクロしているようで・・・必要以上にしんどい思いをしたことがあります。


 だから、それ以来は、私は自分が中心となって動物を飼うことはやめています。

 

 プロフィールの写真にも使っているスコット君は、母親が突然買ってきたの犬なので、私もかなり可愛がったり世話もしているのですが、「最終的な愛情責任」は持たないようにしています。意識的に、どこまでいっても「母親の犬」という意識で接するようにしています。


 「犬欲しい~」などと軽く言っている若い友達などの発言などを聞くと、少し複雑な思いになります。

 犬と過ごす約十年強という時間を想像すると、同時に自分の人生におけるその間の巨大な質量を感じてしまい、クラクラします。飼ったこともないのに、簡単に言うなよ・・・と言葉を荒げたこともあります。


 正直、今はその重荷を背負う気負いはないので、今の私は、不用意に自分の犬を持つことできませ・・・ん。


「家族とともに土地を買って犬を飼う」

 

 それもひとつの幸せの形でしょう。でも、カバン一つで、一時間以内に「高飛び」できるような、濃密だが、決して平穏ではない、特殊工作員のような時間もなかなか楽しいものです。 


 ダニ・グレのヨーロッパ任侠映画「レイヤー・ケーキ」http://sonypictures.jp/homevideo/layercake/

安っぽいダンディス゜ムなロマンに溢れていて、かなりお気に入りです。でも、女性はこの映画、蹴飛ばしたくなるでしょう。