「ダイヤモンドの結末は 宝石屋にも わからない」
の一節で始まるこの曲。
当時流行った「ダイヤモンドは永遠の輝き」
というCMへの皮肉なんであろう。
確かに、言われてみれば、それを誰も確認しようがないのだ。
俺は永遠なんて信じていないし、信じられない。
永遠の愛も信じていないし、もう一度破って破られている(笑
永遠の約束を誓うよりも
「なんやかんやあると思うけど、愛し続けます。その努力を続けるし、そのために工夫をして、色々考えて、行動や実現させて、それを続けることをあきらめません。その自信はあります」
という言葉のほうが、現実的だし、親切だし、説得力もあるんじゃないだろうか(笑 (笑いながら言うなよ疑惑(笑
この曲はブルーハーツがメジャーデビューする前の曲。
例えるならばこれぞまさに「ダイヤモンドの原石」のような曲である。
毎回「永遠なんて要らないよ 僕か欲しいのは今」のところで、グッときてしまう。
ちなみに、この曲から数十年後、ザ・ハイロウズとしてリリースされた「不死身の花」に登場する歌詞は、
「永遠にずっと 変わらないなんて 燃えないゴミと一緒じゃないか」
人も、モノも、自然も、全てのものは変わり続ける。
見えないかもしれないが、全ては変わり続けている。
空を見ればわかりやすいと思うけれど、ひとつとして「同じ空」はない。
俺の気持ちも、あなたの気持ちも、誰かの気持ちもいつか変わってしまうかもしれない。いや、変わり続けていく。それはごく自然なことであって、それは誰にも止める権利はないのだ。
だけども、それは工夫とか、思いやりとか、努力次第でどうにでもなるものだ。
そしたら、何か変化が起こるたびに、一喜一憂する必要もないではないか。
秋になれば自然に涼しい風が吹く。そのことに怒ったり泣いたり、落ち込んだりする必要はまるでないし、そんな人を俺はいまだかつて見たことがない(笑 そんなようなことだ。
けど、答えは自分で見つけること、たぶんそれが、一番大切なんじゃないかなー。
結果だけなら、ジャンケンでいいやんね(笑
さて、台風が来たり、腰が痛うなったり、秋になっておセンチになったり(笑 色々ありますが、もう少しの間、がんばってまいりましょうか。
「生きている間だけ ほんの少しだけ」