「今日くらいはいいや、と思っちゃいけない」(19日日経夕刊15面より)



中村俊輔選手の努力量はハンパない。


練習、試合をまじめにこなすのは勿論のこと、それ以外にも筋トレやFKの自主トレ、自宅では体のメンテナンスも欠かさないという。


あそこまで才能あるにもかかわらず、そこまで努力を要するのか、と感心。

凄く心の強い人だ、と凡人の私には憧れてやまない。



同じ紙面上に、もう1つ。


「裏をかけるようになってこそ、サッカーを楽しめる」


観察する、見抜く、ずる賢く裏を取ることがサッカーの本質。

状況をただ見るだけでは十分ではなく、相手や見方の心理を見抜く。駆け引きができなければ、相手の裏をかけなければプレーヤーとして十分でないとのことです。


自分の心にぐさりときました。

観察して分析するだけでは十分でないのですね。ビジネスでも同じことが言えそう。ただ分析しても「で?」とかに終わっちゃうだけだし、見抜いた後のずる賢く裏を取っていく駆け引きからが面白いのかもしれませんな。


これら記事を読むと、いかに日々自分が妥協して甘えたビジネス生活しているのかと思います。


俊輔選手の「今日くらいはいいや、と思っちゃいけない」を私も言いたい、実行したい。

という思いでしばらく止めてたブログを再開しました。


今日から心の筋トレがんばるぞ!



「結局のところ-----と僕は思う------文章という不完全な容器に盛る事ができるのは不完全な記憶や不完全な想いでしかないのだ」

ノルウェイの森より


想いを掘り下げると、それはあまりにも強く、そして鮮明すぎてうまく書く事が出来ない。


最初の1行さえ出てくれば、あとはなんとかすらすら書けてしまうだろうと思うのだけれど、その1行がどうしても出てこない。


全てががあまりにもくっきりしすぎていて、どこから手をつけていいかわからなくなる。


それはあまりにも克明な地図が、克明過ぎて役に立たないのと同じだ。


そして僕の中で想いが薄らいでいけばいくほど、僕はまたひとつ大人になっていく。



僕らはみんな、いろんな大事なものをうしないつづける得意げ

海辺のカフカより


大事な機会や可能性や、取り返しのつかない感情。それが生きる事のひとつの意味だ目


そして僕らは自分の心の正確なありかを知るために、学び続けなければならない。


恋にドキドキしたり、新しいことに挑戦したり、を繰り返し続けなければその在り処はわからない。


そこには失敗することも必要になってくるであろう。


それが生きる事のひとつの意味だ。ニコニコ