小野不由美さんの『屍鬼』が好きです。
大学時代、夏休みに読んだものですが、作品にのめり込みすぎて、読んでいる当時の季節がいつなのか分からなくなるほどでした。

ちょうど、今日のように暑い日に、数日かけて読みましたが、作中の季節であるように錯覚したことは、後にも先にも、この作品しかありません。

ホラーに分類される作品ですが、私はホラーだと感じたことはありません(と言ってしまうと、失礼なのかもしれませんが)。

『屍鬼』は、ただひたすら、外場村という村の日常を綴ったものです。
その日常が、少しずつ非日常に蝕まれていく様は、とても秀逸です。

「屍鬼」とは、所謂アンデッドとかウォーキングデッドなどと呼ばれるような存在と似た性質を持つ存在です。

体は死を迎えているにも関わらず、日が落ちた夜は動き回ることができ、生前と同じように思考もするし、感情もあります。
ただ、食事をすると、内蔵は機能していないため、体内で食物はただ腐ってゆくのみです。

では、食物から栄養を摂ることなく、「屍鬼」はどうやって「生きて」いるのか?

「屍鬼」は、食欲はなくとも、「渇き」は覚えます。
渇して渇して、いくら水分をとっても、その「渇き」は癒えません。
その「渇き」を癒し得るものは、人間の血液のみです。

「屍鬼」は人を襲い、牙で人血を啜ります。その際、牙から出されるある種の毒で、被害者はぼーっとなって、襲われたことは夢だと思う。亡くした大切な友人や家族と出会う夢を見た……そのようにぼんやりと思い出す程度。

「屍鬼」の胃の容量を考慮すると、一回で失血死させるほどの血液を摂取することはできません。

こうして、数回に分けて血液を摂取し、襲われた側の死因は、極度の貧血……失血死となります。
そして、そのまま死を迎える者もいれば、「屍鬼」として蘇る者もおり、その違いは、遺伝的な要素もあるようです。

「屍鬼」は悪い存在なのか。
確かに、生きている人間を死に至らしめるわけですから、そうなのかも知れません。

でも一方で、「生きる」ために唯一の方法をとるしかない弱者でもあります。

もちろん中には、このままどんなに渇しても、人は絶対に襲わないと決意する者もいます。

『屍鬼』は、ホラーというより、こうした人間の心理や、人としての生き方、在り方を描いた、「人間とは」「生きる」とは、そうしたことを我々に問うている作品であると感じます。