私は樹木が好きです。

どこかに出かけた際に、大きな樹木を見かけると
木の肌に手をあてて心の中で挨拶がしたくなります。

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何かを語るでもなく、道で出会った犬同士が互いに鼻を近づけて
お互いの臭いをたしかめるのと似ているかもしれません。

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思うに、樹木は地球上で最長寿の生命体であり、
あらゆる生命体が生態系を構成してそれぞれに存在意義を持つ中でも、
存在意義の点で頂点にあるのが樹木ではないか?その次は微生物か?

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地球上の生態系の保全につながる行為を善とすれば、
破壊につながる悪の行為を我々人類はずっとしてきたのではないか?

ネイティブアメリカンであるとか、かつての日本のように、
その悪なる行為を最小化して自然との調和を大切にしてきた
地域や時代もあったのだろうと思います。

しかし、現代においてもなお善なる行為は途絶はしていないとはいえ、
それよりも圧倒的に多くの悪を重ねるようになってしまったのではないか?

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全ての生命体に意志があって、地球上の全生命体の代表による評議会
のようなものがあったとしたら、人類のしでかしたことを次々に
指摘され、史上最悪の鼻つまみ者として結論づけられることが確実
なのではないか?

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あるいは、もしもこの世界か別の世界かはわからないけれども、
どこかに神仏が存在して、その神仏が一切の寛容さを持たない
厳格な存在だったなら、人類は連帯責任として極めて重い罰を
受けていてもおかしくないのではないか?

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樹木は地球上で最長寿の生命体であって、多くの他の生命体に対して
いろいろな恩恵を与えてくれている。

人類がどんなに樹木を都合よく利用しあるいは、邪魔者扱いにして
容赦なく簡単に切り倒したとしても、だからといって怒ることも
なければ、仕返しすることもない。

考えてみれば、そのような性質を持つのはじつは樹木だけでなく
大部分の生命体が同じなのではないか?
その中で唯一の例外が人類なのではないか?

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強欲さから生まれた自分勝手な理論で他の種の存在を脅かすだけでは
飽き足らず、同じ人類同士ですら自分と異なる他者、あるいは自分の
強欲さを満足するうえで都合の悪い他者の存在を脅かす。

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地球上の一般の生命体は、それぞれが多様な環境に適応することで、
住み分けたり、互いの存在を侵さないようにしている。
あるいは、意識的にそうしているというよりも結果的にそうなっているのか。

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しかし人類は、自らの強欲さのために「グローバル化=善」などという
理屈を持ち出して、平穏な住み分けの状態をぶち壊すような方向性であっても
力が強いことを背景にして自分たちの理屈を押し付けたりして。

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でも、人類の歴史をひも解いたとき、あるいは、全生命体の進化の歴史を
ひも解いても、おそらくは、他者との共存を心がけてこなかった人や組織や国や
あるいは生命体の種は存在し続けることができなかったのではないか?
つまり、自らの業により滅亡する道を辿ったのではないか?



人類が直接的であれ間接的であれ、地球上の生命体に対して行ってきた
自分勝手なひどい仕打ちは、人類が生存するうえで必要最小限度に
押さえるべきであるけれども、自然の生命体のように完全調和するような
野生の姿に戻ることはできない以上は、文明社会で生存し続ける以上は
自然の調和に対して何らかの悪影響を及ぼしてしまう。

そのせめてもの罪滅ぼしに、樹木を植えたらどうだろうか?

再生可能エネルギーを除く、化石燃料系のエネルギー利用は、
その使用量を全て樹木(薪)に換算して、人類一人一人が
使う分だけの樹木を、新たに植えたらどうか?

全ては無理としても、せめて1%とか。