時間が経過するにつれて大震災の被災地の現状がより詳しい映像で
報道されるようになってきました。

地震による津波が全てを飲みこんで押しつぶし、廃墟となった現場を
普通の人の目の高さから撮った映像は極めてインパクトが大きいです。

ついさっきまでそこにあったハズの人々の生命や大切にしてきたものなどが、
消えてしまったということは、こいうことなのだとわかりました。

これまでに報道で見てきた遠くからの映像からでは今一つピンと
こなかったものが

じゃあ、これならどうだ!

という具合に目の前に突き付けられたような感じです。

被災地から遠く離れ、十分暖かく安全な場所にいてテレビを通じて見るとき
上空のヘリコプターなどからの映像が、いかに現実の感覚から遠いか
がよくわかりました。

思うにそれは、災害映画などを変に見慣れてしまっていることも影響
しているのではないか?と思います。

つまり、現実の出来事ではない作り物の映像(災害映画など)では
視聴者にどうやったらインパクトを与えられるかをつきつめて
作り込んだ映像であるわけで、自然の驚異の前で人々の命が簡単に
踏みにじられる衝撃シーンを次から次へと見せ付けられるのでしょう。

それに対して、現実の災害においてたまたま撮影される映像は、
作り物の映像と比較すると、絵的にはもっとずっと淡々としており、
表面に見えていないところで人々の生命や財産など大切なものを
ゆっくりと、しかし容赦なく飲みこんでいるのであろうと思われます。

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小さな災害が起ったとき、日ごろから災害対策に当たっている
行政機関などがあり、その対応にもまだ余力があるうちはまだ
それでも救いがあるように思うのですが、今回のように行政機関
そのものが消えてしまったような被災地の街では、いったいどうなる
のでしょうか?

遠く離れて暮らす家族などが、被災地の身内の安否を知ろうとしても
問い合わせる先が無いのでは、確認のしようがないのではないか?

それはおそらくは、海外からの旅行者などが自由なプランでたまたま
被災地を訪れていたような場合、さらに確認のしようがないと思います。

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ごく小さな災害であれば
「自分が何か動かなくても公的な備えがあるから大丈夫だろう」
と考えることもできると思いますが、今回のように超大型の災害の場合
そういう考え方は当てはまりにくいような気がします。

いつか本当に大変な時が訪れたら、自分も手を貸せば良い

なんとなくそのように考えていましたが

今がそのときなのではないか?

という気もします。

明日から仕事ですが、いつも通り普通に職場に出勤して
普通に仕事していて良いのでしょうか。