『 楊家将 』の上下巻を読み終わりました。

まさに

誇り高き一族の戦の美学

現実社会できないとか、すべきでないとか、いろいろ議論はあるかと思いますが、
読み物の中では楽しめますね。それで良いのだと思います。
現実離れしているからこその面白さでしょうか。

現実の世の中では好むと好まざるとにかかわらず、
圧倒的多数の人間が「潘仁美将軍」的な振る舞いをしてしまう
ことが多いのではないか?と思います。

名誉よりも生活を維持することが大切なのであって
そのためには社会的な立場を維持しなければならず、
結果的に保身を優先せざるを得ない。

命を投げ出すことは「尊いこと」ではなくて、
その真逆の「愚かなこと」ということになる。

しかしそれは、平和が当たり前になった社会では言えることですが、
「平和な世の中」というものは不可逆なものであるという保証はない。

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国と国との争いが起きない状況があるとすれば、それは言いかえれば
現時点での序列の上位にある国が、その地位を維持するのに有利なように
作ったしくみやルールを序列の下位にある国が受け入れている状況
と言えるのではないか?

そして下位の国がそのような態度をとらざるを得ないのは、
そのルールに一定の合理性や公正さがあり、なおかつ、上位の国に
いざというときの実力(≒武力)が備わっているからではないか?

しかしながら、下位にある国が既存のルールの中で力をつけることにより
上位の国の地位が危うくなると、何かと理由をつけて自国にとって
都合のよいルールに変更しようとする。
そのとき、ややもすれば国益という名の元に国際的な合理性や公正さが失われる。

そうなると論争となり、話会いで決着がつかない時は
ルールからの脱退が発生し枠組みの安定が失われる。

はたして、上位にある国は自国の序列が下がることで生じる自国社内の停滞や
個々人の生活水準の低下を受け入れることができるか?
そして、別な部分に幸福や満足を見出すことができるか?

それとも、世界平和の基礎がどこにあるのかの検証を割愛したまま、
自分たちの主張のほうが正しいとみなして実力で勝負に出るか。

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世の中で現実に武力を担う役割の人々(軍事部門)は歴史的に悪者に
されがちですが、いざ平和と安定を維持する段階になると、文民全体の
一人ひとりが世界的視野での見識をどれだけ有しているかがカギに
なるのではないか?と思います。

そのとき、「誇り高き一族」は「自らの判断で勝手に戦いを始めない」
のと同様に「自らの判断で勝手に戦いを停止することもしない」
のでしょう。

文民全体の一人ひとりが世界的視野での見識が低かった場合、
現実を思い知った段階で「いったんは掛けた梯子を外しにかかる」のではないか?

そのときに「一族」が誇りを守れるか?それとも「馬鹿げたことである」という
思いに駆られて、自らの意思で動くようになるのか?


『 楊家将 』を読んでそんなことを考えました。