さて、前回からの続きを書きます
前回はこちら👇
前回までは、おとんがお店を始めたけど閉めることになり
そこからの、慢性骨髄性白血病の発覚でした
まだ思春期の子供を3人抱える家庭はどのようになっていったのでしょうか?
では書きます✨
病気が発覚して、オカンもびっくりです
どうやって、生活していけばいいのか状態ですよね
3人のよく食べる子供がいて、オトンは入院
収入はオカンのパート代と、恐らく何か国の制度で色々申請していたはずです、確か
中学生にもなれば、大体この状況が把握出来るので
なんとか頑張らなきゃなとは思っていたんだと思います
勉強はそれなりにやっていたし、部活も今まで通り頑張ってやってた
この時、簡単に出来るチャーハンなどの料理を覚えたんだと思います
やらなければ食べれないから
担任の先生も、心配してくれ、周りの知り合いが色々と氣を使ってくれたのを覚えています
そんな中、ひもじいながらも何とか毎日ご飯は食べれていました🍚
中学3年になり受験生になります
この時、進研ゼミは継続していましたが他は特別やらず、夏までは部活も続けていた
バスケが割と強い学年として顧問の先生にも期待されていたけど、夏で負けてしまい引退
その後だったかは忘れてしまいましたが
オカンのパート先の専務の計らいもあり
肩書きの上では、高校生ということにして
中学3年生でアルバイトをします
オカンに頼まれたか、自分からやると言ったかはわからないけど、すんなり受け入れてやってました
一定期間ではあったものの2週間か3週間は働いて
暑い時期に13.4万程、稼いだ記憶があります
そして、自身の髪の毛の癖が一番強かったのはこの中学生かなと思っています
部活で乱れまくった癖の出まくった頭では誰にも空いたくないと思っていたし、とにかくくせ毛を氣にしていました
それが、より美容師になる決意を深めたのかもしれません
だから、くせ毛のお客様の氣持ちがよくわかります
進路は、まだ定かではなかったですが
美容師を意識はしていたので担任から
【もし、美容師になると決めてるんなら普通科でなくてもいいと思うけど、大学にもし行こうと思うんなら普通科の方がいいかもね】と言われました
まだ決め切れてなかったのもあって最終的には普通科を選択しました
公立推薦というのを少しは意識していたので
勉強もそれなりにしていたし、部活も頑張って
クラスの室長《学級委員》もやっていたのもあり
担任から公立推薦の話をもらえた時は嬉しかったです✨
学力やスポーツではなく、家庭環境が少し厳しい人向けの枠の推薦でした
でも、公立推薦は受かったらラッキーくらいに考えとけよーと言われていたので、勉強はぼちぼちやってました
なんだかんだ、家庭環境がそんなんでしたが
周りの友達にも恵まれ毎日を過ごしていきました
オトンの白血病は、移植というものが必要でした
オトンの型に合うドナーがいるかどうかです
血の繋がった妹さんはダメでした
病院は愛知県がんセンター
平和公園の近くにあります
病棟では、他にも同じような症状の人がいて
ドナーが見つからず1年以上もいる人もいました
ある日を境に帰ってこなくなる人もいたといいます
そこで、【死】を日常に感じていたようです
そんな中、オトンはたった半年超くらいの期間でドナーが見つかり手術をし、成功
ドナーの人とは会えないルールで、その人からの手紙を読んだ記憶があります
血液型も変わり、不思議とその人が好きな食べ物を、オトンも食べるようになったとオカンから聞きました
不思議な事もありますね
オトンは無事退院し、勤めで仕事を再開します
僕の公立推薦は、無事合格💮
凄く嬉しかったです!
頑張ってやってきて良かったー!と思いました
そして、晴れて中学卒業🎓
その後、自転車でいける進学校へと進み
中学で、色々と我慢していたのもあり、高校は少し弾けます😆
高校からの話はまた続きで書きます
さらに、続く、、、、、、