しばらく放浪してみるブログ★パラレルフィクション  -16ページ目

しばらく放浪してみるブログ★パラレルフィクション 

■2009年7月1日⇒2010年3月31日まで会社はお休み!プチニートの無法地帯なブログです。



                   ■興味範囲:ソーシャルビジネスを中心とした有象無象。そして社会と自分の謎を追求。

今日は2名の友人(親友)ガールズと話をした。



仕事やその他、うまく行っていたりそうじゃなかったり。。

やっぱりとにかく話すだけでも他人と話すのは勉強になります。



ところで、この友人に限ったことじゃないのですが


私が一度仕事をストップする的な話をすると、


友人や他私の周りの人が「実は私も云々」という話をしてくれることが多々起こった。

というか起こっている。


やっぱりみんないろいろあるんですよね。

詳しくは書きませんが、、

よかれと思ってつき進んだらそうじゃなかったっぽいとか、

とりあえずということでやってみたらなんか間違えたっぽいけどもう引き返せなかったり

なんだか自分では選択肢が作れなかったり。。




うーーーーーーーん・・・・。


でも、正解ってないし、

というか選んで進んでみたらそれがすなわち事実というか正解になっちゃうんだろうな。

不正解だったって言いたくないからね。


でも、その選択をしたのが自分自身の意思だ!ということなら

その選択がどれであっても、その決断や判断自体を恥じることはないと思います。


私はみんなが話してくれる本音の部分を、

忘れずに記憶にとどめたいと思います。




この記事を書いててなんとなく自由という言葉を思い出した。

イマヌエル・カント氏のお言葉であります。





カントは、デカルトと同じく「人間にはふたつの面がある」と考えた。


「人間は身体と精神をもつ二重の存在だ」と。


しかし、そのいっぽうで、感覚的な存在としての私達が何を感じ取るかは、自分では決められないとも考えた。


感覚は、苦しさもつらさも、どうしようもなくつれてきて、望もうと望むまいと私達にそれを押しつける。


人はどんな奴隷にもなれる。


それこそ自分のエゴイズムの奴隷にだってなれる。


しかし、私達は感覚的存在であるだけではない。もういっぽうで理性的存在でもあるのだ。


私達は、感覚的存在としてはがんじがらめにとらわれている。


そこには自由意志もない。


しかし、理性的存在としての私達は「世界そのもの」、つまり私達の感覚から独立した世界の一員なのだ。


私達は、実践理性にしたがって道徳上正しい選択ができたときだけ、自由でいられる。


例えば、「ほかの人にズルはいけない、と言っているのは自分か、自分のなかのなにか」と感じたとき、


たとえ自分の損になってもズルはよそうと自分で決めたのなら、その人は間違いなく自由意志で行動したのだ。




WEB引用:構想「実存」







ということで、

感覚的に生きないためにとりあえず生活リズムを決めよう。

自由意思による緊縛☆



そうそう、前に面談してもらったとき、上司に言われたのは


「~べき」じゃなくって「~したい」って言いなおしてみなよ。





・朝は7時に起床

・新聞1社+WEBニュース を読む

・朝食をとる

・体操&軽く運動

・机に向かう(読書orノート)

・昼をとる

・机に向かう(読書orノート)

・ジム?

・夕食をとる



という基本行動を頭において、予定を入れながら

外出して用事をすませたり・友人や未知の方と会うなどしていこう。

ブログ・パラレルフィクション-090705_2345~01.jpg
Rグループの会社説明会でもらったてるてる坊主。(全長10センチ弱かな)


「あなたの就職活動が晴れますように」

って書いてある札がついてた。


半年間位かな、電気のオンオフを司る紐につけてたんですが、

なんと
私が今の会社から内定をいただいた日、夜遅くに帰って電気をつけた、途端!!

このてるてる坊主、ぽろっと落ちたのでした。

……鳥肌たったなー


結構迷信とか縁起とか信じちゃうほうです。



とりあえず、もう一度電気の紐に吊るさせて戴きましたw



大物ないいこと起こるといいなあ。

以下ノート転載。

テンションがちょっとアッパーなモードなのは今日の私仕様ということでしょうがないです。

・・・とにかく下がらないことを祈る。



長ぇー・・・。





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ひとつわかったこと。

やりたいことを、やればいいんだってこと。

比較じゃなくてできそうかじゃなくて、ブレーキを外すっていうこと。
すべてを外すこと。


やりたくないこと、目指さないものは、とりあえずいらない。

成長意欲がないなら、それはそれでいい。
仕事スキルが低い。別にそれでいい。
とにかく働いてる人が偉い、って思えない。
それもそれでOK。



何かしたい。とは思ってる。

「何かしたい」なら、その何かを追及してみればいい。


それが具体化していないからとりあえず目の前のことをやるべきで・・・・
というのは、嘘だ。


それこそ逃げてるんじゃないか?


その何かに照準を定めるのが大変、って、いうけど、
その大変さこそが自分がとったリスクなんじゃないの?

別に、何かやりたいなら、やればいいんじゃない?


その手段とかもまずはどうでもいい。
プランのブラッシュアップなんて後でやればいい。
最初から入口を狭めてしまったら、通れるとことも通れなくなる。
私の行動は消去法では解決しないらしい。


何か、新しくて人のやらないことをやりたい。
何か、本当に困っている箇所に注力したい。
その感覚だけは本当。
それが具体化していない場合は行動せず、やりたいことがはっきりするまで待つというのが妥当、

順当なのだろうか。




NOだと思う。
そんなことをしていたら、目の前の課題に追われていつまでもそこを抜けられない。
いや、目の前の課題解決をしているうちに何かしらの経路が見つかるとは思うけど、
今のこの感覚はきっと逃して捕まえられなくなる気がする。

で、私はこの感覚を放棄したくない。

「何をやるか、まだノープランなんですよね」ってもう言わないことにする。
何をやるかを今決めるために●●をしている。そのくらいは言える状態を。(笑)


何をやるか、に関しては自分の中でトップダウンで考えたい。
もちろん結局は今ある自分のリソースを活用することになるんだけど、
その選択も行動候補が上がってからで。



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また、ビジネス的な部分じゃないところでも、まずは自分の現状を受け入れてみる。



ダメな自分がいるのは仕方ない。今はダメでもいい。
寂しいって思うときがあるのも仕方ない。
今までしてきた人間関係の失敗もしょうがない。
ただの過去の事実であってそれが未来に影響を及ぼすわけじゃない。

面白いと思うことも否定しなくていい。
たとえば踊るのがやっぱり楽しいならやればいい、
今まで出来てこなかったけど、今できてるんだからそれでいい。
もっと人と仲良くしたいならもっと挨拶すればいい。
何か感じることがあれば、その反応は無視しないこと。
インプットアウトプットをしていないとその通路はふさがってしまう。
何かを感じることは悪いことじゃない。
自分に意義を見いだせないとかっていうのは、いろんなことを自分から遠ざけてるから。
自分で自分と世界の間に壁を作っているから。
その壁がなければ、世界で起こっている問題は私の問題になる。
他の人がもう取り組んでるとか、
私が入る余地がないとか、
それは嘘だ。
自分で勝手なジャッジを入れて自己防御してるだけ。
思ったことは隠さなくていい。特に自分自身に。


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謎なことに、
今日は受信するものに素直に頷ける。
心から納得できる。

今までは思えてなかった?
なんで思えてなかった?

振り返ると、
アドバイスされると、ありがたいって口ではいいながら自分の一部を否定されてる感じがして、
頭ではそうじゃないってわかってるんだけど、心の中は敗北感に満ちていた気がする。
その状態の自分を受け入れない、っていう構え方でずっといたからかなって思います。




ていうか、ぅわー、自分自己啓発された人みていでうざいーーーー


とはいえ、しょうがない。



自己啓発された人みたいな状態になってること自体、認めるしかないっすね。


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あとは実際どの部分にやりたいことがあるのか、
ということのブレストを。





ECサイトあるいはe-ファンドで社会貢献 (toC)





ちょう、ざっくりというとそんなことをジャンルで考えてました。

手段は未明です。

将来的に、なのかもしれないし、急がないといけない気もしています。


直接お会いする機会がある方には、ぜひ一緒にブレスティング&バッチンバッチン叩いて 

頂く予定です♪


発想の仕方からスタンスまでぶん殴っていただけると幸い。

SかMかという部分でいうと、30%くらいはMです。