6月。
早、数か月前のことになってしまったけれど、梅雨のど真ん中の、予想だにしない晴れ間。
夏の近づく晴れ空の下、ずっとずっと行きたかった美術館へ。
初めて降りる平塚駅。
駅前は繁華街でありながら、どこかゆったりした空気が流れているのは、やっぱり海が近いせいかもしれない。
初夏の午前中だというのにすでになかなか高めの気温に圧倒されながら、目的の美術館を目指す。
数字上の気温ではちょっと寒かったかなと思ったリゾートライクなノースリーブワンピは、この強い日差しのもとではぴったりすぎるほどで、さらりと軽いリヨセル素材の裾が、時折風にたなびくのが心地よい。
夏が来るのだなぁと、湘南の土地柄もあいまって実感した。
今回は、湘南Artripとして 平塚市美術館をご紹介させてください…*
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保養地、転地療養の地として、昔から多くの芸術家が集まった湘南エリア。
平塚市美術館は、その湘南の地に1991年3月に開館した。
メインテーマの「湘南の美術・光」に沿う形で、地域ゆかりの作家作品を中心に約1,700件(登録件数)、約12,000点(作品数)のコレクションを擁する。
駅前から、徒歩なら20分、タクシーなら5分の距離(路線バスもあります)。
繁華街を抜けてほどよく落ち着いた街中に同館はある。
半円形のガラス窓が目をひくシンプルな建物。
エントランス、受付を抜けて展示室のほうへ向かうと、ざぁっと縦横に視界が開けた吹き抜け空間が広がる。
※館内(展示室以外)の撮影は彫刻作品を映さないよう配慮し、受付の方の許可を得て行っております。
外からも見えた特徴的なガラス窓や天井の採光部から、溢れんばかりの陽光が燦々と注がれる。
柔らかなオフホワイトに包まれた空間がその光を反射し膨らませ、一層明るい空間を生む。
湘南らしく、晴れた日がとてもよく似合う建物だ。
展示室は2階のため、明るい光に向かう白い階段を上る。
この時期の展示は以下の2つ。
●企画展「アーティストin湘南1 萬鉄五郎×岸田劉生 その仲間たち」(会期終了)
●企画展「北海道立近代美術館所蔵名品展 華麗なるガラス工芸の世界 ―ヴェネツィアから現代まで」(会期終了)
まずは前者の企画展「アーティストin湘南1 萬鉄五郎×岸田劉生 その仲間たち」から鑑賞することに。
大正期に湘南の地で療養生活を過ごした萬鉄五郎と岸田劉生。
彼らの作品やこの”湘南”という土地柄を活かした展示は、今はなき神奈川県立近代美術館 鎌倉(2016年1月閉館。建物は現存)の展示でも目にしたことが記憶に新しい(記事はこちら)。
今回は平塚市美術館の所蔵品を中心に、彼らと彼らを慕って集まった画家たちの作品で構成された展覧会。
劉生にとって、この湘南の鵠沼で過ごした時期が最も画家として充実していたとはよく耳にするが、そこからほど近い平塚市美術館で、その時期の作品を含め鑑賞できるのはなんとも感慨深い。
また、それぞれの画家・人としてのつながりや画風の影響関係が如実に現れた作品たちはとても興味深く、同時に劉生の思っていた以上の慕われ具合というかカリスマ性もかなり面白味があった。
日本の近代洋画壇、その流れをざっと知るうえでも勉強になる展示だったように思う。
印象に残った作品をいくつか…*
●木村荘八「祖母と子猫」1912年、東京都現代美術館蔵
展示の序盤、潔いほどのド直球なゴッホ感!
この作品が描かれたのは、明治期の穏健な洋画の流れが変わり、ポスト印象派やフォーヴィズムの影響を強く受けたフュウザン会が結成された大正元年(この木村荘八も参加している)。
時代の変化が如実に現れた作品に、なんだかわくわくさせられる。
●萬鉄五郎「ガス灯」1914年、横須賀美術館蔵
以前、横須賀美術館の所蔵品展示で目にした際に印象的だった作品。
抑制的な色彩で描かれた風景の中に、ぽつんと佇む一本のガス灯。
不安や寂寥感の渦に観るものを巻き込まんとする空気を纏った本作は、簡単にぐにゃりとゆがみそうなガス灯が、孤独におびえる1人の人間のようにも見えてくる。
個人的な感想だけれど、この言い知れない不安を呼び起こす色味と構図、空気感は、寂しげな道の真ん中で迷い立ち尽くす自身を描いた佐伯祐三の「立てる自画像」(1924年)を彷彿とさせた(記事はこちら)。
(作成年には10年の隔たりがあるが、ともにフォーヴィズムの影響を受けた時期があったことを思えば(佐伯に至ってはヴラマンクから直接喝を入れられている)、近いものがあってもおかしくはないのかも…?)
けれどじっと眺めていると、ガス灯の存在が、ほっとするような、温かみがあるものにも見えてくる。画面のなかでの唯一のよすがというか。
それは暗めのグレーや藍色に覆われた景色の中で、ガス灯の一部が暖色で描かれているからかもしれない。
どちらにせよ、メインモチーフのガス灯を擬人化してしまうような、ただの「風景画」としては捉えがたい不思議な魅力を持った作品だった。
●岸田劉生「初夏の麦畑と石垣」1920年、神奈川県立近代美術館蔵
東京国立近代美術館の所蔵品展示で、たぶん私が毎度最も長く絵の前に立つ作品は、岸田劉生の「道路と土手と塀(切通之写生)」(1915年頃)だと思う。
塀と道と空。
歩く人も描かれていなければ、これといった建造物もないその絵が、どうしてこうも魅力を持つのか。
強い遠近感、視点の妙、狂ったパースはもちろん、赤みを帯びた土の道路に落ちる濃い影が、「道に落ちた影」フェチ(?)の私にはなんとも堪らなく、いつまでも眺めていられる。
そんな劉生の風景画のよさが、この作品でも十分に発揮されていた。
若干画面から浮くほどにはっきり描かれた石垣、土に落ちる影、遠くに民家が見える奥行・遠近感。
(少々変わった気性ながら)同時代の画家たちに慕われ、のちの日本近代洋画に大きな影響を与えたことにも合点がいくというか、納得せざるを得ないような、そんな身に迫るオーラが彼の風景画からは感じられる。
この作品を含め、フュウザン会が短命に終わった後、細密描写に傾倒していった岸田劉生が転地療養のため移り住んだ鵠沼で描いた作品たちは、著名な「麗子像」をはじめとして、後世に大きな影響を与えた。
この展示では、自分がこれまで思っていた以上に、岸田劉生の存在感を強く実感させられることとなる。
●岸田劉生「石垣のある道(鵠沼風景)」1921年、平塚市美術館蔵
平塚から程近い鵠沼の地。
吸い込まれそうな奥行を感じさせる道に差し込む木々の影。
長年海風を受けたせいか右手の木々は曲がっていて、白みを帯びた地面は、強烈な日差しを受けて白飛びしてみえるのか、それともスモーキーな曇り空の天候を反映しているのかと、情景の想像をあちこちにめぐらせてくれて楽しい。
抑制的な色味と、空、木、地面、という三つの層が順に配置されたどこまでもシンプルな風景画。それでも、ずっと眺めていられる気がした。
●椿貞雄「菊子座像」1922年、平塚市美術館蔵
自身も鵠沼に移住するほど、岸田劉生を慕っていた椿貞雄。
まさにこの作品も、その細密な描写、ほの暗い画面、子供や衣服の雰囲気や明暗の付け方など、劉生の「麗子像」と重ね合わせずにはいられない。
画像で見る以上に、実物を間近で見た際の細かでリアルな筆致に驚かされる。
強烈な明暗表現とそのリアリティから、ともするとホラータッチにすら見えてしまう画面は、テネブリズムの面白味にも通じると思う。
(昨年、山梨県立美術館で鑑賞した「夜の画家たち ~蝋燭の光とテネブリズム~」の記事はこちら。個人的に、昨年鑑賞した展覧会の中でベスト3に入る素晴らしい展示だった)
この作品の微細な描きこみへの感激は、実物を至近距離で見てこそ!
またこの作品に会いに、平塚市美術館を訪れたい。
●椿 貞雄「朝子像」1927年、平塚市美術館蔵
前掲の作品に比べると、えらくポップでキュートな作品。
丁寧につけられた陰影による絶妙な立体感はあるが、レトロなお菓子のパッケージやポスターのような印象を受ける、いい意味での緩さ。
「菊子座像」のリアリティとの振れ幅がとても面白かった。
●木村荘八「青いガラス瓶」1917年、横須賀美術館蔵
無類の静物画好きとしては外せない作品。
画面に漂う静けさと、ガラス瓶の透明感による緊張感、そしてなんとも言えない距離感で配置されたモチーフが生み出す所在なさ。
寒色でまとめられたひんやりとした質感と寒々しさが、妙に心に刺さる作品。
木村荘八といえば、三重県立美術館で鑑賞した「戯画ダンスホール」(1930年)のような東京の風俗画のイメージも強かったため、人々の雑踏や喧騒を描いた画面と、この作品の静けさのギャップがまた楽しい。
(三重Artripの記事はこちら)
これらの作品以外でも、萬、劉生に私淑した鳥海青児の作品の存在感には圧倒された。
日本近代洋画の流れをダイジェストのようにわかりやすく概観できる展示で、決して規模は大きくはないが、とてもためになる展覧会だったと思う。
…そうしてひとつの展示を見終えたら、休憩がてら外に出る。
日差しは強いが、ほどよい風が吹いていて、見下ろす芝生広場の緑も鮮やかで気持ちがいい。
芝生が見える場所にある併設レストラン「ラ・パレット」でお昼ご飯を。
レストランから見えるのは、買ってきたお昼をベンチで食べる人たち、暑いなか歩いてきて、美術館へ入っていく人たち、芝生に変幻自在な影を落とす、ゆっくり動くオブジェ。
都心から少しだけ離れたゆったりした時間。
日時計のように美しい影を落とすシルバーのオブジェ(ホセ・デ・リベラ「コンストラクション #115」)は、以前、静岡Artripの際に資生堂アートハウス(記事はこちら)で見た作品(伊藤隆道「5月のリング」1978年)を彷彿とさせた。
静岡を訪れたあの時も、確か快晴の空のもと、芝生の上を動く影と、オブジェが日に当たってきらきらと反射する様子をじっと眺めたものだった。その時はその時なりに悩みもあったのだろうけれど、今思い出せば、なんとも穏やかで綺麗な思い出しか浮かんでこない。
こうした何気ない作品の相似性に、ふっと過去に時や感覚を戻されることもあるものだ。
そんなことを考えながら、食後は芝生のベンチでぼーっとしてから、もうひとつの展覧会へ。
北海道立近代美術館の所蔵品から、17 世紀ヴェネツィア~19 世紀のアール・ヌーヴォー~20世紀前半のアール・デコ~現代に至るまでの約120 点が並ぶ展覧会。
ガラス工芸の流れを比較的コンパクトに、ざっと概観できる良質な展示で、産業としての制作と芸術としての制作、そのあり方や見方の変化も感じ取りやすい内容だったと思う。
また、ガレやラリックなど、アール・ヌーヴォー~アール・デコ期の作品については、今までも多くの美術館・展覧会で目にする機会があった(ヴェネツィアの繊細な作品もしかり)。
(関連して、●箱根ラリック美術館の記事はこちら、●一誠堂美術館の記事はこちら、●飛騨高山美術館の記事はこちら)
…けれど、現代のガラス工芸作品となると、ほとんどその知識も、鑑賞した経験もないことに気づく。
そういった意味で、個人的には終盤の現代のガラス工芸作品の展示が、意外性も新鮮味もあったうえに勉強にもなって、非常に印象深かった。
湘南という土地を生かした所蔵品展と、それとはまたガラリと変わるガラス工芸の企画展。
まったく毛色の違う展覧会をじっくり鑑賞できた平塚市美術館。
屋外の作品を見ながら広場で過ごすのも、都心とは違った穏やかな時間を過ごせて心地よかった。
そんな同館をあとにしたら、この日は江の島方面へ移動。
約1年ぶりに、新江ノ島水族館を訪れた。
イルカやペンギン、幻想的なクラゲ、巨大なエイ、ウミガメたちに癒されて。
水族館の眼前にはきらきらと光を反射する海。
ペンキの香りをぷんぷんさせながら鋭意建設中の海の家を見るにつけ、もうすぐ本格的に夏がやってくるのだなぁと、わくわくした気持ちにさせられる(…という記事を書いている今は既に9月の頭で秋の気配を感じている。なんだか変な気分だ)。
おおらかな湘南の空気の中で、日本近代洋画、時代を超えたガラス工芸、そして海を眺められた1日。
ぜひ皆様も、湘南の地でゆったりアートに触れる時間を過ごされてみてください…*
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いつも、美術館巡り―Artripをご覧頂き有難うございます♩
このブログでご紹介している美術館一覧はこちら*