山あいののどかな場所に、かつて子供たちの声が響いていたであろうその木造校舎はあった。
広がる校庭、いつかの時刻をさしたまま止まった時計、隅っこの遊具に、掲示板。
控えめに咲く花は、遅咲きの梅か、早咲きの桜か。
初めて訪れる場所なのに、懐かしい。
初めて訪れる場所なのに、どこか切ない。
なんともいえないノスタルジーを感じながら、扉の奥へ。
今もそこかしこに息をひそめた子供たちが隠れて居そうな気配に包まれて、そこには変幻自在なアートの世界が広がっていた。
今回は、栃木Artrip②として、廃校跡を利用した「もうひとつの美術館」をご紹介させてください…*
(栃木Artrip① 那珂川町馬頭広重美術館の記事はこちら)
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那珂川町馬頭広重美術館から、タクシーに乗ること15分ほど。
この「もうひとつの美術館」は、那珂川町の山間部に建つ旧小口小学校の校舎(東校舎は1906年、西校舎は1914年建造)を再利用し、2001年に開設された。
木造のレトロな校舎は明治大正期の面影を随所に残し、来訪者を学生時代の記憶へと引き戻す。
(鉄筋コンクリート造の校舎で育った世代ではありますが、木造校舎にはどこか憧れがあり、建物を見ただけでわくわく…!)
この美術館のコンセプトは[みんながアーティスト、すべてはアート]。
アールブリュット、オルタナティヴ・アートを主なテーマとし、年齢、国籍、障がいの有無、専門家であるかないか、地域や街を越えたアートのあり方を提案する国内初(開館当時)の美術館だ。
※「アールブリュット」
…画家ジャン・デュビュッフェが作ったフランス語「生(未加工)の芸術」。正式或いは伝統的な芸術教育を受けず、既成の流派や傾向に捉われることなく独自に、自然に表現された芸術全般を指す。
この日はちょうどワークショップが開催されていたようで、校舎に入るとまず楽しげな声が聞こえてきた。
両サイドの壁では、早速カラフルな絵が迎えてくれる。
受付への可愛らしい案内を頼りに管理棟(元 東校舎)の奥へ進む。
作品があちこちで顔を出すその廊下は、まるで文化祭前夜のような雰囲気。
ギャラリー、カフェスペースを越えて、受付へ。
ここで、企画展のチケットを購入する。
この時期の展示は「宇宙(そら)のむこうへ」(平成28年2月27日(土)~5月22日(日))。
短い渡り廊下を越えた先の展示棟(元 西校舎)へ、受付の方が案内してくださった。
渡り廊下の風情も、なんとも「学校」らしさが漂う。
扉を開けると、はっと息をのむ。
静寂に包まれた真っ直ぐな廊下に、簾の隙間から差し込む午後の陽射しが、美しい影を落とす。
遠くのライトの明かりのせいか、陽光のせいか、木造の床、天井、教室のドアは橙がかった色に染まり、濃茶の影とのコントラストに幻想性さえ感じる。
私以外誰もいないその空間にぽつりと佇む気持ちは、小学生の頃の放課後遅く、気づけば皆下校していて自分だけが校舎に取り残されていたような、普段の賑やかな校舎との違いに新鮮さを感じながら、ほんの少し怖くもなるような、そんな記憶を甦らせた。
手前の展示室から、順に鑑賞していく。
※今期、展示室内は撮影禁止(展示によるそうなので、要確認)
お世辞にも建て付けが良いとは言えないその古ぼけたドアを、ガタガタとスライドさせて入室。
この木造のドアも、新築の頃はもっとスムーズに動いたのだろうか。
100年以上前に建ったこの建物の歴史に、小さな興味が湧く。
元教室の面影を残したその展示室には、展示タイトルどおり「宇宙(そら)」をイメージさせる抽象的な作品が並んでいた。
「…きれい」
真っ先に、純粋に、そう呟いていた。
美術鑑賞の際、安易に「きれい」とか「すごい」と口にしないように、というのが自分なりのルールであり、変なこだわりでもあったのだが、それが一瞬で崩された瞬間だった。
その校舎に私しかいなかったから、つい独り言を言ってしまったというのではない。
たぶん、「きれい」という思いが自分のなかに留めておけないほど、強烈なものだったのだと思う。
何がどう、何故、どの部分が具体的に「きれい」なのかさえよくわからないほどに、目に飛び込んだ作品全体から、ダイレクトに「きれい」な何かが伝わって、そうそう感動で涙しない自分の涙腺がすっかり緩んでいるのがわかった。
…個人的に、「アールブリュット」メインの展示を観るのは初めてだったけれど、直訳で「生(未加工)の芸術」とされるその作品の数々は、その名の通り「生」のエネルギーに満ちていて、どんなフィルターも通さずに伝わってくるようで。
難しい理屈など何もなしに、ひたすら美しかった。
なかでも個人的に心惹かれた作家さんは、
●尾々井保秋さん(1956年生)
カンバスに塗り重ねられた絵の具の色彩と筆跡がとにかく美しくて、ふっと目に飛び込んできたときの印象が、しばらく拭えない。
何かモチーフが描かれているというよりは、置かれた色を純粋に楽しむという感覚で、その深淵な色味に吸いこまれそう。
以前、チューリヒ美術館展(記事はこちら)で、アウグスト・ジャコメッティ「色彩のファンタジー」(1914年)にものすごい衝撃を受け、その色彩の妙にしばらく絵の前で固まった経験は今でも忘れられないのだけれど、”色”というものの凄味に、この日再び気付かされた。
あらゆる感情が、色の前で洪水のようにぐるぐると巡る。
そんな風に心を動かされる絵を生む作家さんだった。
●齋藤裕一さん(1983年生、工房集所属)→他作品はこちらで観られます。
その日作者が楽しみにしている番組名が細いペンで何度も書き重ねられるうち、幻想的なもやもやした物体がカンバスに立ち現れる。
その不思議な形態に目を奪われて、細い線一本一本の繊細さと、その重なりによってできあがる全体像との間で、ふわふわとした感覚を得た。
パッと目にした瞬間に、反射的に「好き」と思った画面。
そうした作品の美しさの衝撃にいい意味で打ちのめされながら、展示棟をあとにする。
校舎の裏庭はこんな風情。
管理棟に戻ると、カフェスペースでお茶する人、ワークショップを楽しむ人の声が聞こえてきて、ふっと現実の感覚を取り戻す。
展示棟の静かな時間の流れは、それほどに特別だった。
ショップに並ぶ作家さんの商品も、どれもポップで、キッチュでお洒落。
文房具からアクセサリー、バッグなどのファッション雑貨、ポストカードまで様々な品揃え。
尾々井保秋さんの「日の出」(2002年)のポストカードを購入し、いざ帰途へ。
最寄のバス停までは、徒歩で約30分(!)。
最寄りが全然最寄っていない、というのは昨年訪れた大地の芸術祭でだいぶ慣れていたので、気合いを入れて山あいの道路を歩き出す。
この日は天気も良く、山々の間を抜ける風が気持ちいい。
途中、馬頭温泉郷への入口にも出くわした。
(泊まりで来ていればぜひとも立ち寄りたかった!)
人っ子一人歩いていない長い長い坂を下りきると川の見える平野部に出て、車通りも増えた。
そのまま歩を進め、ようやくバス停近くの「道の駅」に到着。
次のバスまで2時間(!)あるので、ここでのんびり過ごすことに。
地域の特産品コーナーやレストラン、ジェラートやさんなどがあったのだけれど、この手作りジェラートやさん「武茂の里」が大人気!
結局私は2時間、このお店そばの待合スペースで美術検定のテキストを眺めて過ごした訳なのだけれど、その間、大行列とはいかないまでも、常にお客さんの列が途切れることはなく、老若男女が笑顔でこのジェラートを味わっていた。
バニラやチョコ系などの定番モノから、栃木らしい苺などのフルーツ系、野菜系、期間限定モノ、ごまや小倉など全部で20種類ほどある(暇すぎて数えてしまった)。
万年胃弱の私は冷たい食べ物を極力避けているため食べられなかったので、ぜひどなたか訪れられた際はチャレンジしてみてください~^^*
そうこうするうち2時間が経ち、バスに乗り込み帰途へ。
アールブリュットを通し、改めて芸術・美術との関わり方を考えさせられたこの日。
「生の芸術」がダイレクトに視覚に、心に飛び込んできた感覚は、かなりの衝撃と余韻を私に残した。
先に訪れた「那珂川町馬頭広重美術館」と、「もうひとつの美術館」。
洗練された和の魅力が引き立つ建築と、ノスタルジックな廃校跡…それぞれに印象的な旅。
朝から電車を乗り継ぎ、バスに乗りかえ、沢山歩いてでも訪れられて良かったと改めて思う。
最近バタバタしていて丸々1日利用してのArtripができずにいたので、久々に日常を忘れてリフレッシュできた気がする。
近いうち、また別のどこかへ、Artripしたいなぁ…*
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いつも、美術館巡り―Artripをご覧頂き有難うございます♩
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