*菊池寛実記念 智美術館 | 美術館巡りの小さな旅

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神谷町の駅を出て、緩やかなカーブの坂を登る。

 

以前、ホテルオークラを訪れた際に通った坂道。

この中腹に出てくるのが、以前から足を運びたいと思っていた場所だった。

 

12月に入り、いよいよ本格的な冬を迎えようとしている空気に頬が触れ、その冷たさに思わず新調したばかりのアウターのポケットに両手を入れる。

 

「この時期ってこんなに寒かった…?」

 

毎年同じ時期に同じようなことを呟いている感は否めないなと思いながら、外気の寒さとはまた違う、落ち着いた照明の灯る館内へ足を踏み入れ、会期終了間際の展示に滑り込む。

 

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今回は、虎ノ門にある 菊池寛実記念 智美術館(きくちかんじつきねん ともびじゅつかん)について、ご紹介させてください…*

 

 

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同美術館は、現代陶芸コレクターである菊池智さんのコレクションをもとに、陶芸専門の美術館として2003年に開館。

 

 
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シュッと空に伸びた西久保ビルの1階及び地下1階部分が美術館となっているが、敷地内には国の登録有形文化財の西洋館(大正時代に建立)が鎮座し、そのシンプルながら上品な佇まいに目を奪われる。

 

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この西洋館は現在でも迎賓館として使用されており、1~2か月に1回、一般向けの限定公開がなされている(予約制。詳細はこちら)。 

 

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ぜひその時に訪れたいと思っていたけれど、今回は企画展の会期終了が迫っていたのでそうは言っていられず断念。

 

いつかタイミングが合えばぜひ公開日に再訪したい…!

(ちなみに次回は3月5日です^^*)

 

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その西洋館の隣に目をやると、今度は和風の小さな庭が目に入る。

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こちらは、同館の名前にもある、智さんの父で実業家・菊池寛実氏のための持仏堂。

 

(菊池寛実氏は、戦前より炭鉱業で活躍。一時は日本三大億万長者(!)に数えられたそう。茨城県に、同館と同様に彼の名を冠する菊池寛実記念高萩炭礦資料館があります)

  

そしていざ、美術館へ入館。 

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※館内、受付より先は撮影不可。よって受付手前の箇所のみ撮影しています。

 

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上品な照明が落ち着いた雰囲気を醸す廊下を進むと、右手にはレストラン「ヴォワ・ラクテ」の入口が。

美術館の庭を眺めながらランチやティー、ディナーをいただける素敵なレストラン。

(今回は1人だったこともあり、また誰かと来た際のお楽しみにすることに*)

 

奥の受付を越えると、現れるのはミステリアスな螺旋階段ホール。

美しい弧を描く壁とその照明の演出にもどきりとする。

 

外観のシンプルなビルの様子からは想像もつかない神秘的な空気に、階段を一歩、また一歩と下るごとに魅せられていく。

 

地下1階へ降り立つと、ほのかな照明の空間に、すっと背筋が伸びる。

 

この時期の企画展は「夢つむぐ人 藤平伸の世界」展(会期終了)。

 

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藤平伸(1922-2012年)は京都の五条坂に生まれ、父・政一が1916年に興した藤平陶器所(現・藤平陶芸)を中心に京都で製作を続けた陶芸家。 

 

(なんと伸(しん)の名は、お父様と親交のあったあの河井寛次郎に名付けられたとか…!)

 

青年期は戦争や結核に見舞われ、本格的に陶芸作品の発表を始めたのは30代以降というやや遅咲きながら、高い評価を受けて数々の賞を受賞。

 

(なかでも日展には31歳での初入選以来40年以上(77歳まで)出品を続けたそうで、その長きに渡る活躍には頭が下がります…!)

 

その深い抒情性から「陶の詩人」と呼ばれた彼の作品には、一目見て心がほぐれるような温かみ(特に80年代以降の作品)があって、陶芸に関する知識も理解もまだまだな私でも、展覧会チラシを見て一瞬でその佇まいに惹きつけられ、こうして足を運んでしまう魅力に満ちている。

 

陶芸のみなならず書や水彩、ガラス絵も手掛けたという彼の、初期~晩年の作風の変化も含めてじっくり鑑賞できる没後初の回顧展。

 

印象に残った作品をいくつか…*

 

 

藤平伸「雨の日」


いびつな形の陶片に、雨の中傘をさす男のシルエットを線で刻むように描いた作品。

 

雨の鬱陶しさ、煩わしさ、その中に見える男の孤独感のようなものが、雨の湿気と裏腹にドライに表現されている作品。

 

その孤独な佇まいが心の奥底までずん、と沈み込むようでいて、意外とさらりと見ることができたのは、そのタッチのシャープさと、モノトーンの非現実性ゆえだろうか。

 

 

藤平伸「春遠からじ」

 

陶器でできた三角屋根のミニチュアのような家。

豆腐を立てたような、少し平べったい建物である。

 

そこには小さな入口と窓がひとつずつあるのみで、その他の装飾や窓は一切なく、壁はただただのっぺりと広がっている。

 

採光部がほぼなく外からは内部の様子が窺い知れないので、どんな建物なのか、誰が住んでいるのか…そんな想像が膨らむ。

 

入口からすぐに細い階段が建物内部へ続いており、右上の窓からは少年が外を眺めているが、階段の先は暗くてわからず、男性の表情はいまいち読み取れない。

 

そんな不思議な空気が漂う建物ではあるが、なぜかほっこりするような温かみがある。

それは陶器の質感や、作品がまとう素朴で穏やかな空気感のおかげだろうか。

 

前向きなタイトル「春遠からじ」も、その一因かもしれない。

 

窓から外を眺める男性は春を待ち焦がれているのか。

或いは、たまたま外を見たらふいに春の気配が迫っていることを感じ取ったのか。

 

その、目の前の小さな家、小さな世界への春の訪れを、とても微笑ましい気持ちで見つめることができた作品。

 

 

藤平伸「太郎の雪」1998年

 

一番、対面を楽しみにしていた作品。

 

土灰釉に白マット釉を合わせたという雪の表現。

クッキーにかかったアイシングのようでもあるが、それは、「本物の雪より”雪”だった」とでも言えばいいのか。

 

私たちの心象風景の中にある雪は、現実世界の雪よりも、この作品で表現された雪なのではないかとすら思う。

 

積もった雪の中に佇む少年。

 

雪と同じ、白の帽子と白の服にすっぽり包まれた彼は、なんともいちゃけというか、おぼこい表情でこちらを見つめている。

 

そうそう使わない「いちゃけ」「おぼこい」なんて言葉が突然頭に浮かぶほどに、その表情はあまりに詩情に満ちているというか、いい意味でローカルな懐かしさ、素朴さを備えていた。

 

(余談ですが、「おぼこい」は関西、「いちゃけ」は石川県の方言ということが今調べて発覚。普段意識しないのに、実家が大阪、田舎が能登という自分の属性が知らぬ間に発揮されていて少しびっくり…笑)

 

そして、この作品の雪は、”白銀の世界”と言われて思い浮かべるきらきらとした雪景色ではなく、豪雪地帯の古い民家や木々を覆いながら、重くしんしんと降る牡丹雪の世界…そんな印象を受けた。

 

もったりと積もった水分を多く含んだ雪、それが白釉の色味と質感によって見事に形になって、目の前に小さく静かな情景を生んでいる。

 

笠地蔵のようにじっと、何かを耐え忍ぶかのように雪の中に佇む少年。

 

温かく懐かしい、そしてどこか寂寥感を感じさせるような、不思議な魅力に包まれた作品。

 

ちなみに、藤平伸は三好達治の次の詩から着想を得てこの作品を制作されたそう。

 

「太郎をねむらせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。

 二郎をねむらせ、二郎の屋根に雪ふりつむ。」

 (三好達治「雪」)

 ※著作権失効を確認の上掲載しております。

 

それを読んで、やんわりと合点がいくような気持ちがした。

 

(冒頭に展示されていた「白童子」も本作と同様、マットな白釉が活かされた雪と子供の姿がなんとも抒情的で印象に残った。)

 

 

藤平伸「蓋をあければ」

 

尾形乾山に影響を受けたとされる作品。

 

丸みを帯びた蓋付き・陶製の箱のなかには、なにやらこまごました不思議なものたちがわらわらと入っている。

 

確かにその箱の角のとれた形状、キッチュで遊び心のある空気感は乾山の焼き物を彷彿とさせる。

 

同時に、綺麗なお重やお弁当箱を開ける瞬間のようなわくわく感が、この作品には詰まっている。

 

中に入っているものは、パッと見はポップで可愛らしい。

けれど、よくよく見るとちょっと不気味だったり、その正体が見当もつかない不思議な形のものばかり。

 

花?生き物?なにかの部品…?

 

なんだろう、とついまじまじと見つめてしまい、そこに込められた遊び心、いたずら心にうまく翻弄されてしまう作品だった。

 

 

そして、同時に展示を観ていて面白いなと思ったのが、藤平伸の言葉たち。

 

陶器の根底にあるのは絵画であるとか、

どしったとしたのは好きではなく、ふわっと軽やかがいい、とか

いがんでいてもまがっていてもいい、とか

ずぼらさ、というワードなど…

彼の作品と照らしてみるとその柔軟な考え方や美学がばっちり伝わってくる。

 

中でも印象的だったのは、陶器も絵も即興だけれど、陶器は窯というどんでん返しがあるのが違いだという旨を仰っていたこと。

 

どんなに計算してどんなに考え抜いて作り上げても、ひとたび窯に入れてしまえば、どう仕上がってくるのか(もちろん計算通りにいくことも多いだろうけれど)はわからない。

 

それを「どんでん返し」と捉えて楽しめるのが陶器の面白味であるということが、恥ずかしながら焼き物初心者の私にはなんとも興味深かった。

 

(思えば、昨年静嘉堂文庫美術館(記事はこちら)で目にした「耀変天目茶碗」も、偶発的だった思われる”窯変”が生んだ賜物。なるほど窯のどんでん返しはものすごく面白い。)

 

また、展示全体を通して初期の鋭さやスマートな発想を持ち合わせた作風も、後期の詩的で温かな作風も、それぞれ鑑賞できたのがとても良かった。

 

これから訪れる冬が、精神面で少しあたたかく感じられる展示で、幾分か穏やかな気持ちで美術館をあとにすることができたように思う。

 

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美術館から入口の先に目をやると、まさに本館建替工事に入って間もないホテルオークラ東京が見えた。

 
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建替前の夏になんとか、谷口吉郎氏が手がけたロビーの見納めに行っておけてよかった、としみじみ。

 

名モダニズム建築がこうして姿を変えていくのは寂しいけれど、4年後にお目見えする新本館は、息子の谷口吉生氏の手によるとのこと。

 

豊田市美術館や京都国立博物館の平成知新館はじめ、吉生氏の建築には毎度きゅんきゅんさせられるので、新しい本館も楽しみ…!

なにより、そうして親子で引き継がれていくのもなんとも嬉しい…*

 

この建替の様子を横目に見ながら、4年後までに何度、智美術館を訪れられるだろう。

その間に、焼き物の知識ももう少し身につけていけたらいいな…!

 

 

ちなみに現在、菊池寛実記念 智美術館では陶芸の公募展「第6回 菊池ビエンナーレ 現代陶芸の<今>」を開催中。

 

現代陶芸を知るのにきっと役立つ展示。

私も時間を作って足を運べたらいいなと思っています…^^*

 

 

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「第6回 菊池ビエンナーレ 現代陶芸の<今>」

 菊池寛実記念 智美術館

 2016.12.19(土)~2016.3.21(祝)

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いつも、美術館めぐり―Artripをご覧頂き有難うございます♪

 

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