先日、『世界の駐妻が考える★子どもの幼稚園・学校選び』の交流会イベントを開催させて頂きました。

なぜ、学校選びが重要だと感じるのか、
実体験をもとに感じたことをお話しさせて頂こうと思います😊


私が人生で一番つらかったことは、
スイスから帰国後、小6の2学期に転入した小学校でのことです。

帰国後は社宅に住んだので、通う小学校も決まっていました。

私は、インターでの学校生活が大好きだったので、
久しぶりの日本で、また新しい友達できるの楽しみだな~とワクワクして学校へ行きました。

担任の先生の最初の「スイスから来た、〇〇しおりさんです。」の紹介の一言がきっかけで、
クラスの反応は「え~~~~~!?!?」と大騒ぎw
もう周りの子からは
「スイスってどこ?」
「英語喋れるの?」
「外人なの?」
の質問攻め。
「英語喋ってみて」の振り。笑

スイスのインターでは、みんなが色んな国から来ていて、それが当たり前だったので、
自分が「帰国子女」という扱いを受けた初めての経験でした。
同じ日本人なのに。


転校して早々、上履きを隠されたときは本当にショックでした。
何も悪いことしていないのに・・・!
ただ、「異質」というだけで、そんなことされるんだ!と。


受け入れる環境と
海外で得た能力を活かせる環境
が整った学校、あるいは習い事などでもいいからそういう環境

スイスでハイジのようにのんびり育ち、
フランクフルトで病んだハイジの気持ちが誰よりもわかります。笑
いや、まだフランクフルトの方がいいよ・・・w

帰国子女の友達で、目黒区の公立小に行った友達は、
帰国子女が多いから、特別視されなかったと言っていましたし、
公立小でも環境によって全然違うんだな!と思ったのです。

もし学校が選べるのであれば、
選びたかった!!というのがの想いです。

というくらい、
あまりにも違いすぎる環境や雰囲気、

まだ、半年間だったので良かったと思いますが、
そのまま公立中学校に上がっていたら・・・と思うと、苦しかったかなと思います。

学校に行きたくないと感じたのは初めてで、
そんなの自分らしくない・・・と思って、
頑張らなきゃ!となんとか友達を作ろうと必死に頑張りました(´;ω;`)
今となれば、人に合わせるくらいだったら、
一人で過ごせばよかった~そんな人生の中の半年間、友達がいなくても大丈夫だよ!って言いたいですが、
当時の私は「友達がいない」状況なんて耐えられなかった。

クラスのリーダー(かつヤンキーw)的存在の女子2人にアプローチして、
放課後一緒に遊ぶ約束をしてみました。
遊ぶ場所はゲーセンとカラオケで、(私は公園で健全に遊びたい人w)
平気で人の自転車のかごとかに食べたお菓子のごみとかを捨てているのとか見るのがつらかったです!
だって、スイスでは街中の数メートル置きにゴミ箱が設置してあって、
町全体で環境に対する意識が高くて、そういうところが大好きだったから。
自分の価値観に反することをしている人たちと、仲良くしなければいけない状況・・・!
これがつらかったです!!!!(´;ω;`)

しかも、親にもなかなか話せないのです・・・
やっぱり親を悲しませたくないという気持ちが大きかったです。

少女漫画やドラマを観て、
逆境でも頑張る明るい主人公みたいにモチベーションを保ちながら、

このときのことがトラウマで、
帰国子女であること(=自分を開示すること)への恐怖心はあります。
だからまず、相手や環境をよく観察してから、どこまで自分自身を出すかを決めます。
とてもジャパニーズな雰囲気の環境(例えば飲食店のバイト。笑)であれば、帰国子女ということは絶対に言いません。
せっかく素晴らしい体験をしたのに、それを話すと「自慢している」とか「異なっている」とかネガティブになることがある
と知ったのがとても悲しいことでした。

だから、その後も
「海外に行き来するのが当たり前」な環境が自分には合っていると思うのですが、
そういう環境ってやたらお金がかかるのが悩みです。。。

次の問題として、
子どもの特性や能力を活かしたいけど、
その環境を用意するのにお金が必要ということ。

「海外で経験したことや得た能力を活かす場」がないともったいない!

学校選びに関して、私は2度、選べなかったという経験があって、
一つは、小6の苦い経験から、インターへ転校したい!と言っても、経済的理由で無理だと言われたときと
スイスの高校に通いたい!と言っても生活を支えられないという経済的理由で親に無理だと言われたことです。

最終的には自分で高校を選んでいるものの・・・
枠組み自体は決められていたので、
その中から選んだ・・・という感じて、
本当に行きたいところは別にあったのに・という感覚は残っています。

結果、中学も高校も楽しかったし、
自分の知らない世界を知ることができたという意味では、
世界や可能性はある意味広がったのかもしれませんが、
広げすぎて、就活のときには何がしたいかわからなくなっていた・・・!

大学で、念願叶ってやっと自分の入りたい大学に入ったわけですが、
そもそもその大学も、たぶん決められた枠組み(=都内の大学)の中から選んだように思います。
自分がいいなと思ったのも事実ですが、ここだったら親も納得してくれるだろうという中だったのだろうと思います。


もっと世界を知った方がいいとか、
進路を早く決めたらもったいないとか、
大人たちは言いますが、
結局、子どもなりにやってみたい!をやってみないと、
自分のやりたいことは見つからないのでは・・・と思います。
失敗したらしたで、次の道を考えてやってみる!その繰り返し・・・
に親がどこまでサポートできるでしょうか!?
親のサポートなしに、全部自分でできたらいいのですが、、、

私は、親に反対されたことで諦めてしまったのですが、
それでも奨学金制度について調べたり、親を説得するまで貫けたらよかったなと今では思います。
でもその当時の私は、自分のやりたいことを分析・分解して日本語で親を説得できるほど言語化できなかったことと、親以外に相談する大人もいなかったのです。。。

という経験があるから、
安易に息子をインターに通わせること選択ができなかったのです。
まず第一に、私にとって楽しい環境だったけど、それが息子にとって楽しい環境かはわからなかったこと。
英語で勉強することを続けたい!という選択を持ったときに、日本でもずっとインター、海外の大学まで行かせてあげる経済的余裕に自信がなかったこと。

自ら英語が勉強したい!と思ってくれる分には、
どうぞどうぞ、自分の責任で!!と思いますが、
親が英語を勉強させた場合は、先を見越してそれなりの責任も持たねば、と思います。
日本で、その環境を準備するにはお金がかかるから・・・・!!


家庭事情で自分の好きな道に進めない人はいると思う(というかよっぽどお金持ちでないと大半がそう・・・?)ので、帰国子女に限った話ではありませんが、
こんな視点もあるよ!と一つ参考になればなと思います😊

最近は起業家さんの話を聞いたりしていると、
恵まれた環境でなくても、自分の力でどうにか道を切り開いている方が多い印象なので、
きっと、環境のせい!にしてはいけない、、、のだと思いますが、
子どもの学校が選べるのであれば・・・向き、不向き、やりたいことを踏まえて選択できたらいいですよね!




【余談】
学校選びの一つの基準として、
校則の厳しさについて。

わりと「自由」な環境が好きな帰国子女。
校則が厳しい学校ほど、合わない子が多い気がします。

アメリカで耳に穴を開けていた子、髪染めていた子は、

学校環境としては、
個性を受け入れてくれる環境
グローバルな視点を持っている環境
が自分には心地よかったなと感じます。

人によって、好きな環境は異なると思うから、
その人に合う環境を探してあげたい!
それを提示したうえで、自分で決めてほしい!



次回は具体的に、帰国後に感じたギャップについて書いていきたいと思います♪