早いもので、GWも3日目が終了。
初日はゆっくり起きて、実家に帰省。
昨日は父親と、母方の祖父母のお墓参りに行き。
そして今日。
水戸…といえば、偕楽園だけど。
ほかにもお散策スポットって結構あって。
今日は「水戸のロマンチック・ゾーン」と呼ばれるところに行ってきた。
ロマンチック・ゾーンって…
なんだか意味深なネーミングだけど、多分、地元の人だって、知らない人多いと思う。
うちの実家なんて、まさに地元中の地元なのに、母親も妹もよく知らなかったし…
誰がつけたんだか分からないんだけど、
とにかく、万葉の時代から江戸時代までのいろいろな遺跡とかが集まっていて、
古の世界にロマンチックに思いを馳せる…ということらしい。
ちなみに、市内にある茨城百景の6か所のうち、3か所がここに含まれます。
まずは、水戸八幡宮。
私が毎年初詣に行く、実家から1番近い神社。
まだ秋になってません!
が、すごいきれいでした。
烈公御涼所
烈公は、徳川斉昭(徳川慶喜の実父)のこと。
那珂川を望み、昔は八溝山や日光も見ることができたらしい。
朝日のご来迎の聖地でもあるんだとか。
八幡宮はもともと、関ヶ原の合戦で徳川方につかなかったことから秋田に転封となった佐竹氏が、
水戸城主となったばかりの頃に開いた神社。
本殿は国指定重要文化財、拝殿は市の重要文化財になってるんだけど、拝殿は工事中。
う~ん、光の角度があまり…だけど、重要文化財の本殿。
御神木の御葉付公孫樹(おはつきいちょう)
たまに、葉先に実がなることがあることから、この名前がついたんだそう。
お正月限定で、これに由来した、はねつきの羽に竹の棒を差したようなお守りがいただけます。
国の天然記念物。
さて、水戸八幡宮の次は、祗園寺。
徳川光圀の招へいで水戸にやってきた明の僧、心越禅師が開山した、曹洞宗のお寺。
観光寺院じゃないからか、曹洞宗のお寺って基本そんなものなのか、
お賽銭入れてお祈りするような本堂とか観音堂とかが見当たらず。
ここには詩人・山村暮鳥のお墓があります。
次は桂岸寺&保和苑。
私が小学生の時の遊び場の1つ。
真言宗豊山派のお寺、大悲山保和院。
保和院、という名前は、徳川光圀がつけたそうです。
でも、私には保和院だの桂岸寺というのはあまりなじみがなく、
いつも「三夜さん(三夜尊)」と呼んでました。
お墓の入り口にある鐘。
鐘をつく…なんてそうそうできることではなかったので、
遊びに来るたびにいつもついてました…今思うとうるさかっただろうなぁ…。
桂岸寺に隣接しているお庭、保和苑。
もともと桂岸寺のお庭だったけれど、今は市が管理。
徳川光圀お気に入りのお庭だったらしい。
私が子供の頃は、ここに紙芝居屋さんがくるのでそれを見に行ったり。
今はなくなってしまったけど、小さなプールがあって、そこにアザラシだかがいて、それを見に行ったり。
今も児童公園の遊具があったりするけど、結構きれいに整備された感じ。
でも、これは昔から変わらずあった!
クジャクの鳥小屋。
羽を広げさせるために怒らせたりしたなぁ…。
保和苑は市内屈指のあじさいの名所。
で、今も秋には菊祭りとかやってるのかな?
保和苑を出て右手に進むと、常磐共有墓地という案内板が。
これは、徳川光圀が作った水戸藩士のための共同墓地。
ここには、水戸黄門の格さんのモデルと言われている安積澹泊や、藤田幽谷などのお墓が。
で、その入口に立つのが、このニシン蔵。
この隣には回天神社という、幕末に殉死した水戸藩士を中心とした志士を祀る神社があるんだけど、
この蔵の名前も、回天館。
水戸は徳川御三家の1つながら、
ここで発展した水戸学という学問の中で「尊王攘夷」も重視するということもあり、
幕末には思惑がいろいろ複雑に絡み合って混沌としていたようで。
(会津出身の父親は、会津藩士は最後まで幕府のために戦ったのに、水戸は裏切り者だと言っていた。)
その尊王攘夷派でも過激派だった天狗党(水戸学そのものは過激ではないので)が最期、
処刑されるまで閉じ込められていたニシン蔵を移築し、資料館としたものがここ。
昔は常盤神社(偕楽園に隣接している神社)の境内にあったんだけど、
20年ぐらい前に、こちらに移築されたらしい。
この日は休館日だったので、中には入れなかった。
小学生の頃に、社会科見学か何かで初めて入った時の印象が、まだ頭の中に残ってる。
それは、壁に書かれた、血の文字。
なんだかすごく怖くて、それでも悲しくて…。
また行きたいと思いつつ、足が遠のいていて。
休み中に、また行ってみよう。
共有墓地を出て路地を進むと、住宅街の中に突然鳥居が。
ここをまっすぐ進むと、小高い、丘らしいものが。
愛宕神社。
階段を上っていくと、小さいけど立派なお社があります。
このあたりは普通に住宅地。
なんでここだけ丘になっているのかというと…。
実はこれ、古墳なの。
愛宕山古墳と言われている前方後円墳。
上にあがると、本当に形が分かるのよ。
神社が建っている部分が、ちょうど後円のあたり。
で、最後は坂を下ったところにある、曝井の泉。
万葉集の中に、
「三栗の 那賀に向へる 曝井の 絶えず通はむ そこにも妻もが」
という歌があるんだけど、その舞台となったのがこの泉だという。
曝井というのは、調として朝廷に納めた布を洗い曝した井戸のこと。
実際のところ、この歌の舞台となったと言われているところは、ほかにもたくさんあるので、
真相は分からず…といったところなんだけど。
小学生のころ、よくウォークラリー何かで歩いた、私にとってはすごく懐かしい場所。
のんびり歩いても2・3時間歩いても十分。
偕楽園にお越しの際は、ちょっと足を延ばしてこちらにも!