同じ職場で働いている人で、よく、
「あんなやつ死んじまえ」とか、
「自殺すればいいんだ」とか言う人がいて。
その言葉を耳にするたびに、すごく嫌な気分になる。
私はそういう言葉を誰かに対して言うのは嫌いと言っても、直らないのは、
本当に無意識で発しているからで、
そのことにすごく悲しくなる。
たとえ冗談であっても、
誰にもそんなことを口にできる権利はないと思う。
どんな権利があって、人を傷つける言葉を口にできるんだろうか。
私は小さい頃いじめられっ子で、そんな言葉をよく浴びせられてた。
子供って純粋で、それが仇になって残酷になるんだよね。
何度も死のうと思っていたし、実際に手首を切ったこともある。
それでも頑張れたのは、数人の友達と家族がいたから。
それから、身体的な欠点を悪口として言う人も信じられない。
チビ、とか、デブ、とかね。
背が小さいのは、その人の責任じゃないし、
もともと肥満体質で痩せられない人もいる(私の妹がそうだから。)
気にしてないからいいだろうといくら他人が思っていても、
当の本人は精神的にダメージを受けてるってこと、少なくない。
努力できれば克服できることと、努力しても克服できないことって絶対にあるのよ。
どうして、その人の気持ちに立つってことができない人が多いのかな。
それは少なからず、親の責任もあると思うのよね、私は。
私は結婚願望がないけれど、子供が欲しいとも思わない。
それは、きちんとした大人に育てられる自信がないから。
いくら今が少子化でも、
キチンと子育てできなければ、産む権利はないと思ってるから。
子供を産むからには、そういうことも含めてちゃんとした大人に育てて欲しい。
いじめやら、それを苦に自殺を選んでしまう人のニュースを目にすると、すごく悲しくなる。
何気なく口にした言葉が、その人の一生を変えてしまう、終わらせてしまうという結果になった時、
責任をとることができる人がいるんだろうか。
その人は一生、負い目を感じて生きていかないといけない。
そんなことも考えず、人を傷つけて平気な人がいるってこと、私には信じられない。
私だって聖人君子じゃないけど。
嫌いな人がいたら、どうせその人には嫌われたっていいから、
どうして嫌いなのか、どの点がいやなのかを本人を目の前にして言ってしまう。
もちろん、言葉には気をつけるけど、陰で言ってたって何も変わらないし、その人のためにもならない。
いつも同じことを書いているけど、
人それぞれ、100人いれば100通りの個性がある。
そのことを念頭に生きていかなければいけないと思ってる。
個性を尊重した社会っていうのは、そういうことだと思ってる。