ちゃお~~~~みなさん
今日は、トスカーナの有名な観光地・シエナで、7/2日、パーリオという夏の伝統行事が開催されたので、それにちょっとスポットを当てたいと思います。
個人的にも、シエナの街に深い思い入れがある私・・・。というのも、この街に在る外国人大学に留学するために、16年前一人でこのお国にやってきたので・・・。毎日通学し、イタリア語を学んだシエナの街には、懐かしいいろんな思い出が溢れるところ......であります。
シエナの街を熱く盛り上げる伝統の行事・・パーリオ。既にご存知の方もいらっしゃるのでは・・と思います。
すっかり世界的に有名なので、これを直に見たいがために、多くの国々から観光客がやってくる昨今。
公式の記録に残っている最古のものは、13世紀までさかのぼるという・・・れっきとしたストーリーを背景に持つ行事なのであります。
第2次世界大戦中の1940~1945年を除き毎年2回開催されていて、その開催日は、7/2(聖母マリーアがシエナに現れたとされる日)と8/16(聖母マリーアの被昇天の翌日)。
シエナにある17の「コントラ―ダ」という行政地区による馬の競争で、対抗戦形式をとっています。
ちなみに、コントラ―ダ名前は、ワシ・ケムシ・カタツムリ・フクロウ・ドラゴン・キリン・ヤマアラシ・レオコーン・雌狼・貝殻・ガチョウ・波・ヒョウ・木・カメ・塔・ヒツジ・・・・・と、ちょっとユニークな名前。
毎年10地区(前年不出場の7地区+残りは抽選で当たった3地区)が出場する形式をとります。
そして、かんじんな開催場所・・・は、あの有名な貝殻の形をした美しいシエナの中心広場「カンポ広場」。
この広場の石畳に砂を敷いて作った馬場を走って優勝を競うのですが、距離は、1000m(馬場3周する距離)。
また、騎乗者は、鞍や鎧を使わず、手綱のみで騎乗・・・・するので、マンマミーアですよ馬が走る動きを自分が落ちないようにコントロールするのが、超難しそう.........
スタートの仕方も、独特で、その地点にロープが張られ、まず馬がそこに一列に並びます。
10頭の出走馬のうち1頭のみが数メートル後ろに位置し、その馬が走り出した時をもってスタートとなるんです。
これが・・・なんともすんなり1回で行かないので、その都度やりなおし・・・。スタートできるまで、ヘタしたら30~1時間近くかかることもあったりするらしく・・・・待ちきれなくてヤキモキさせられるのよぉ~
で、ちなみに、パーリオ開催前に、各地区のメンバーが、中世の時代衣装に身を包み、それぞれの地区のシンボルの旗を持って華麗にパレードを行うので、それも、観る者の眼を惹き付けるんです。
さてさて・・・・そんなパーリオ・・。昨日行われたレースを制し、見事勝利の栄冠を手にしたのは・・・
ゴ~~~~ル(なんだか最近この叫びばかりのような気もしないでもないけど・・・!?)した瞬間。
見ずらい写真で申し訳ありません・・・。
そう・・・このコントラ―ダでした.........
「オンダ」(波)コントラ―ダ
なんでも、17年ぶりに勝ったのだとか...........
勝った瞬間、固唾をのんで見守っていた、波コントラ―ダのコントラダイオーリ(自分のコントラ―ダをこよなく愛する熱烈ファン)達が、騎手と馬のそばにわぁーっと駆け寄ってきて・・後はすごい状態に....
見事レースを制した勝利の馬のそばにあつまってきた様子。
どこにその馬がいるか見分けつかないくらい・・・・・マンマ・ミーア(すぐ見つけれた方エライ!!)
カンポ広場で勝利のパレードをしているところ・・・
カンポ広場を後にし、彼らの地区まで凱旋パレードが続く様子。
すぐ見える大きな旗(人手によって直に描かれ、デザインも毎回異なる)が、そもそも「パーリオ」を意味するものなんです。
つまり、パーリオ=(勝者に贈られる)旗。
聞くところによると、歓喜の嵐が吹き荒れるフェスタは、以後2週間くらい続くんだとか・・・。
ここで、ちょっとオマケ話をひとつ・・・。
セネーゼ(シエナ生まれの生粋シエナ人)達は、生まれながらにして、各自コントラ―ダを持ち、
それは、その人の生涯を通じて変わらず背負っていくものだとか。
また、全コントラ―ダは、それぞれ、親密な関係にあるところと、そうでない・・・どちらかといえば
敵対関係にあるところに分かれているので、例えば、セネーゼ同士で結婚すると、パーリオが
開かれる頃になると、そのカップル・・・お互いが持つコントラ―ダが、親密関係にあれば何も問題ないけど、もし敵対関係にあると、夫婦関係までマズイ方向に行きがちになり、一時的に夫婦危機になるってこともあるんだそう・・・・
マンマ・ミーア.......
次は8/16日開催。
どこが輝く勝利の「パーリオ」の大旗をてにするのかなぁ~