映画には、銀幕ファンと言われる根強い愛好者が存在します。
テレビが発明され広く一般に普及するまで、シネマは世界のニュースを広く知らせるための報道媒体であり、映像や音声による庶民の数少ない娯楽産業でした。
時は流れて現代になり、映像技術が格段に進歩し、報道媒体や娯楽の質量ともに豊富に発達しても、銀幕に対して特別な思い入れを持つ愛好者は少なくありません。
これは単なる懐古趣味によるものではなく、映画には特別の魅力と影響力があるためです。
どれだけ映像技術が発達しても、家庭で鑑賞できる映像娯楽は、広い劇場で鑑賞する時と比べると、規模や迫力がこじんまりとコンパクトにまとまってしまいます。
私もあるホラー作品を劇場公開で鑑賞したのですが、その迫力や臨場感はすさまじくリアルで、思わず劇場から逃げ出したくなるほどでした。
公開後にその作品のDVDを購入して家庭でも鑑賞したのですが、自宅のモニターだとやはり劇場ほど映像や音声に迫力は出せませんでした。
そういった臨場感を味わうために、劇場に足繁く通う銀幕ファンも少なくありません。
大画面スクリーンにサラウンド音響で劇場の中が1つの世界となり、観客たちを巻き込んで作品の中に引き込みます。
観客はシネマ作品を鑑賞すると言うより、まさにスクリーンの中に引き込まれ、俳優たちと共に同じ空気を吸いながら同じ体験をして、彼らと共に喜怒哀楽を体験するのです。
シネマ作品の中で、観客は古今東西さまざまな世界に入り込み、そこでたくさんの人生を経験します。
その世界では、生来の性別は男であっても女になって出産や育児をしたり、逆に女が男の立場で男性の気持ちを理解したり、若者が人生の黄昏を迎えた老人になったり、熟年の者が子供に戻ったり、時空を超えて古代の闘技場の剣闘士になって命を賭けて戦ったり、中世に神への信仰を悩む宗教家になったり、近代に戦争に巻き込まれて苦しむ庶民になったりという風に、日常をごく平凡に生きている人生以外の様々な人生を疑似体験できるのです。
それを一時の夢と表現する人もいますが、シネマ作品の中での観客の体験は、現実世界にも影響力を持ちます。
それまで気づかなかった違う立場の人たちの気持ちを知り、映画の中で感じた思いを忘れないでいれば、現実でも他の人の立場になって考えて行動できるようになり、他人に対して優しくなれます。
人生は1回きりですが、シネマ作品の中でたくさんの人生を経験することによって、何回もの人生を生きたのと変わらない体験ができます。
その魅力と影響力がある限り、映画はこれからも多くの人たちに愛されていきます。
それだけ、映像には力があるのです。