(睦)······

遺書は今夜書くの?



(幻)······

夜は眠ってしまうと思う。 どうせ下書きみたいなものにしかならないから、明日になって殆ど書き直すことになります。



・夜の方が集中するでしょう?



【真夜中のラヴレター】と同じ作用が働きます。 情熱過ぎるラヴレターならそれもいいと思いますが、内容的にインクの濃い遺書は、他人様が読んでも言いたいことが正確に伝わらないと思います。



・遺書とは別に、お電話を差し上げて、自分の声と言葉でこれまでの謝罪とお礼をするのよ。



それだけだと意味が分からないと思います。



・例えばだけど、女性の場合は、10年も20年もご無沙汰していても、母親に電話を掛けたりするんだって。



何かあったことが筒抜けでしょう?



・はい、電話がなくても勘で分かることもあるらしいわ。 虫の知らせというあれかしらね。



チャチャのおかあさまも、チャチャが亡くなる1週間くらい前だったか、心配して京都まで来られて泊まっていっておられるのです。



・態々、西那須野から?



そうです。 チャチャはね、家族と絶縁宣言していたのです。 でも、遠い実家から来られたお母さまに会って、さすがに帰れとは言えないでしょう? 甘えさせてもらったみたいです。 ふたりで河原町の商店街を歩いて、靴やワンピースを買ってもらっているのです。 チャチャがそのことを全くお節介には思っていなかった証拠に、彼女が死んだ時に、そのワンピースや、靴もかな、それらを身に着けていたんです。 嬉しかったんですよ。 闘争なんてやめて帰りたいと思ったり、西那須野の家族やペットのことを思い出して、涙したりしたかも分からないですよね?



1969年の6月、大学闘争もいちばん激しかった頃、チャチャはジーンズにスニーカーが普段着だったと思うのです。でも、お母さまはワンピースとそれに合わせられる靴を買ってあげたんです。 その親の思いをチャチャは十分気付いていた筈です。



・そっか。 

げんちゃんも、また別の意味で、ずっと突っ張って生きてきてるけど、ひとの気持ちに甘えたことはないの?



勿論あります。

でも、甘えることが恥ずかしくて苦手です。 その根本には、甘えることは人として恥ずかしいことだと教わってきた経緯があります。



・長子教育?



そうです。 ここでは詳しく明かしませんが、祖母は明治の人でしたし、両親は太平洋戦争より前の人です。



・筋金入りじゃん?



いえ、決してそうではなかったです。 色々ありましたが、親として立派に育てていたただいたと思っています。 祖母も親戚の人もめちゃくちゃ優しかったです。



確かに長男なんだからとは屡々言われました。 反発しましたけど。



・もうご両親はお亡くなりだったわね?



はい。



・お母さまとお父さまのご結婚は、良縁だったと思う?



めちゃくちゃ思います。 写真でしか見てないですけど。



・森ノ宮のピロティーホールのとこの会館で挙げられたのよね?



はい。



・以前尋ねたと思うけど、今のげんちゃんは、当時のお母さまを恋人にできる?



できますよ。笑




(⁠◡⁠ ⁠ω⁠ ⁠◡⁠)






✻ Mikki u. Gentschi ✻