わたくしです、むつみです。
今や、ダイヤグラムの面、車両の面、その他から、にいにいは魅力をあまり感じなくなったと言っている京阪電車。
わたくしが、にいにいが過去、なぜ京阪電車に惚れ込んだのか、それをわたくしなりに、少しずつ解き明かしてみたいと思います。


昔の京阪電車についての知識は、わたくしが逆立ちしてもにいにいには勝てませんから。


写真は、にいにいが好きだった頃の京阪電車の写真を沢山公開されいます、
『京阪懐かし写真館』というブログからお借りしました。加工はしていません。







お正月の多客期など、初代3000系が足りなくなっときは、態々、先代の1900系を使って、7連の臨時特急を走らせました。
この割りきった運用は、にいにいにとって、現在の8000系と新3000系の二本立てで運用されている特急より、潔くて好きだったそうです。


1900系の特急だと分かると、外れだと思う人も多かったはずですが、電車を好きなにいにいには、大当たりだったそうです。
勿論、1900系はオールロングシートですし、非冷房ですし、よく揺れたそう。


にいにいには、カーヴのきついプラットフォームを持つ中書島(ちゅうしょじま)駅を、1900系の臨時特急が高速で通過した景色は、夢で見るほどに衝撃的だったそうです。







朝のラッシュ時も含め、吊り掛け駆動の木造車1700系と、鋼鉄の内装になった1810系の混血の7連は、準急(←淀屋橋行きのみだったでしょうか?)から普通にまで、広く運用されていました。
1700系の内装は木ですし、シートの色は赤です。モーターからは吊り掛け駆動の唸り音が聞けます。
1810系に乗ると、ピンクみたいな色の内装と、青いシート、吊り掛け駆動とは違うモーター音です。


にいにいは、この編成が消える直前に、晴れた日の夕方、淀屋橋行きのこの7連の普通に乗りました。
お客さんが殆んど乗っておられなくて、にいにいは後ろから前まで車内を歩いたそうです。
車内には夕陽が差し込んで、特に1700系の車内は、燃えるように朱かったんだって。
にいにいは京橋で下車して、この編成を見送りましたが、最後尾の標識灯が、いつもの倍くらい赤く感じたそうです。


それが、この編成とにいにいのお別れでした。


部品市で買った1700系のヘッドライトとその頃のマスターコントローラーは、長くにいにいの部屋にあったそうです。
カメラを持っていたら、正確な記録は保存できますが、情緒的な、そして時間とともに美化されていく思い出は作れなかった、とにいにいは言います。


規格を統一すること、デザインを揃えること、それが必要なことはにいにいも分かっています。サーヴィスもですが、安全性の面からも、省ける手間は省き、必要や箇所や部所へ回す必要もあります。
しかし、そうでなかった時代がまったく暗黒かと言えばそうでもない。


にいにいは、それを伝えたいらしいです。


京阪電車の架線電圧が1500ボルトに上げられた日、その日を知らずににいにいは京阪電車に乗りにいきました。
京橋のプラットフォームに上がった途端、にいにいは遅かったと気配で感じたんだって。
電車に乗ってみて、乗り心地がもう京阪電車じゃなくなっていて、がっかりして涙が出そうだったそうです。


ダイヤグラムに関しては、昼間の快速急行がなくなった時点で、興味は失せたそうです。


考えてもどうしようもないので、京阪電車のことは、乗るとき以外思い出すこともないそうです(笑)。