「意見の相違」

考え方が違うからと攻撃するんじゃないです。「クリスチャン=キリストを信じる者」という定義を私は正確な表現とは思っていません。もしそれが本当だとしても、そう言いきってしまうとキリスト教が社会に開かれていく可能性は下がります。


先ず、同じキリスト教でも、宗派によってまるで同じキリスト教とは思えないくらい (お互いの) 距離が離れているのは、別にキリスト教に限ったことではなく、多くの宗教も変わらないと思います。また宗教は人を救ってきたというより、政治に利用されたり、戦争の原因のひとつになったりもしてきました (現在進行形でもあります) 。


大切なのは教義から学んだことを、自分の生き方にどう反映させるかです。しかし、仮に教義自体があまりに反社会的に偏っていたとき、それを修正するために、その教えが反面教師として所属する個人の判断材料にならなければ、それは「宗教=反社会カルト集団」になると思います。


宗教はステキなことをたくさん教えてくれます。しかし、それを社会に受け入れてもらうためには、工夫がいると思います。


イメージ戦略だけでは、こと日本に限って申せば、特殊な世界の人たちと見る人々はなかなか減らないと思います。








 (クリスチャンだけが選別されて天国に招かれると私は思っていません。仮にそれが真実なら、人々の行いを神さまは見ていてくださっていないということだと私は思います)