とあるチャレンジを 
続けてみていた。









やったって、
なにも変わらないかもしれない。

 



そう知りながらも
やってみずにはいられなかった。












話を聴かせてくれた人たちの、
丁寧に選んでくれた言葉の


その向こう側に透ける
葛藤や迷い、苦しみは



あの日の
わたし自身の苦しみでもあったから。









なにかに衝き動かされるように、

これはきちんと伝えなければいけない、
そう感じて、動いた。 



















偽善かもしれない。




自己満足かもしれない。




動いても、
何も変わらないかもしれない。







頭はいつも、
そんなことを言いがちだ。








でも

偽善か自己満足か、
ムダかどうか
わたし如きが…とか 
立場が…とか 

そんなことはどうでもよくて






やるかどうか。







やらなければ。と自分が感じた
その直感を、大事にあつかわなければいけない。







これは、今までの経験を通して
わたしが繰り返し痛感してきたこと。







妙に勘が良いところがあるのか、



やっぱり思ったとおりだった。
気になってたあれ、
きちんとやっておくべきだった。



そう悔やんでも
悔やみきれない経験がいくつか、
今でも明確に思い浮かぶ。








ほんとうに大事にしたいことなら、

伝わるか?
理解されるか?を超えて

まずはきちんと伝えてみること。








そこから先は、
動きながら考えていけばいいのだ。











もっともっと若いころは、
一人で動いてしまったことで

逆に悔しい思いや
窮屈な思いをすることもあった。







ちょっぴり大人になったわたしは、

他の人に頼り、つながりあうこと 
異なる立場の誰かの意見を聞くことも、

ほんのちょっと学んだみたい。








話しても、やっぱり
わかりあえない部分や
伝わりきらない部分ももちろんある。






でも、わかちあえること自体が
とてもありがたくって

そうして語りあえること自体が
ほんとうに貴重な時間で



わたしが声をあげることで、
思ってもみなかった方向からのつながりや、
アイディアが生まれていった。










ダメもとでも話してみることで


相手の心のなかで
さらさらと流れていたところに、
小さな石が置かれたような


そんな変化があったかもしれない。








どの車も通り過ぎてしまう、
そんな横断歩道で歩行者をみつけて
きっかり止まってみたときのように。
















そして
それはお互いさまで、
わたしの心にも、頭にも


つながってくださった方々から受けとった
小さな、たくさんの石がまた増えました。











すぐには変わらないことが
あまりにも多いように思う日でも





わたしたちの
みている世界 みている景色は
日々変わっていく。




知らないうちに、
気づかないうちに。






そして、次に
ふと立ち止まって気づけたとき



歩んできた道のりや
積み重ねてきた時間の尊さを知るんだろうな。

















どんなかたちであれ



わたしの人生を
この世界でのいのちの旅を


一緒に歩んでくれる人たち 存在たちに
かぎりない感謝と敬意をこめて。