先の記事↓にも
通じることだけど
手放すこと
が、どんどん流行って
わたしも
そのスタイルをある程度
自分のなかに取り込んでいって
人間関係も
クローゼットも
心の在りようも、
シンプルで
削ぎ落とされた
スマートな状態を求めてきたけれど
ここに来て、
わたしのなかで
じわじわと変化が起こっていました。
たとえば
―クローゼットには、もう要らないな。
と感じた服を
袋に入れたとしても、
―やっぱり。
と迷って取り出す自分のことを、
カッコわるいとは思わなくなってきた。

すこし前までは
えいや!と
思い切って処分できる自分のこと、
正直、なんだかすこし
カッコいいつもりで居ました。
やっぱり…
と迷う自分のことは、
なんだか煮え切らず、
カッコわるい気がしてた。
もちろん
シンプルを求める気もちは
まだまだ変わらずに在る。
それでも、
やっぱり。
と思う自分のことを
手放すばかりでいいのかな??
やっぱり。
の葛藤のなかに、
どんな豊かな経験が
あったかなあ、と
思いを馳せるだけかもしれない
それで納得して
やっぱりのやっぱり笑、で
処分するのかもしれない
それでもいいじゃない。

服の喩えと
同じようにね
大切だけど
なんだかニガテ、と感じてしまって
わたしから気もちを伝えて
離れさせてもらった友だちがいて
でも
やっぱり大事なのね。
いつもじゃないけれど
時々思い出しては、
元気にしてるかなあ?
とか
ああ、
そんなことがあったんだ
良かったなあ〜
とか
すごくすごく気になったり
すごくすごく応援したり
している自分がやっぱり居てね。
あの頃は
違和感を感じて
手放せる自分、をカッコよく感じて
それはその時の自分にとっては
きっと必要なことだったけれど
いまのわたしには
離れてしまったままで居ることが、
違和感になってしまっていたのです。
それで
また友だちになってください。
と、わたしなりに伝えてみました。
正直、告白よりも
ずっとドキドキしたかも。笑笑
でもね
伝えてみて
もしお返事がなかったとしても、
それはそれでいいと思えた。
「やっぱり友だちになって」
って伝えることが、
わたしのなかでもう
恥ずかしいことや情けないこと
カッコわるいことではなくなっていた、
と知れたから。
そういう
自分のなかの気もちを
ごまかして、見て見ぬふりをして
気づかなかったふりで
そのまま日々を送っていくことのほうが
いまのわたしには
とてもカッコわるい、というか
気もちがわるい生き方になっていたのだ。
だからって
何でもかんでも
誰にでも伝えたらオールオッケー!
というものではない、笑
と思うけれど
人間関係について、
心の持ちようについて
一緒に学んだ仲間だったからこそ
離れるときも
またよろしくのときも
信頼して伝えることができたのだし
その深い深い懐を
思い切って借りることができたのだなあ、
ありがたすぎるなあ、泣
と思いました。

伝えさせてもらった相手の
お友だちからは
きっときっと、
すごくザワザワしただろうけれど
心のこもったお返事を頂いて、
ほんとうにありがたすぎました。
いつだって同じように、
陽の光はそこに降り注いでいるのに
わたしが縮こまって
部屋の隅に居たのでは、
光が届かないのだね。
部屋の隅で
縮こまっていた自分を知ることも、
また
陽の光のもとへ
出て行こうとすることも、
いつからでも、
出来ること。
そして
どちらもカッコわるいことでも
何でもなかったのだ。
書き尽くすことのできない
イロイロなご縁や経験に。
ここまで読んでくださったあなたに。
心からの愛と感謝を込めて🌟