きのうの朝、
もうひとつ思ったこと。







家族みんなで出かける前、
わたしは実はすっごくモヤモヤしていました。













夫はいつから
こんなに笑わなくなったのだろう。


















付き合っていた当時は
ほんとうによく笑う人だった。









すっごく人見知りだけど、

親戚や友人知人たちにも
とても柔和な笑顔をする人だった。












結婚して、
しばらく経ったあとは、



親戚たちに会っても、
必要最低限のことしか話さなくなった。









そのうちに
わたしの友人たちが遊びに来るときも、
夫は家に居なくて出かけることも多くなった。









わたしにも、以前ほどは笑わない。















そうだ。





わたしたちは
恋人じゃなくて、




いまは家族になったのだった。














家族としての
日々を重ねるなかで、



夫の笑顔の仮面は
どこかに行ったのだ。













そういえば結婚する前に、
ある夫の友だちを紹介されたとき。



わたしと夫のやりとりを見て、
その友だちが


「…なに、その優しさ!?!」


と絶句していたのを思い出した。







恋人だった当時のわたしは、まだまだ、
夫にもてなされる側の人間だったのだろう。





そんな特別扱いはうれしかったけれど、


夫が安心して悪態をつくことのできる
古くからの友人のことを、
ほんのすこし羨ましく感じた。
















以前ほど笑わなくなった夫は、
かわりに怒るようになったわけじゃない。










興味のない場面や、
本来は笑うはずのない場面で、
笑うことにエネルギーを使うのをやめたのだ。













焦るとき。
困ったとき。


葛藤しているとき。
逡巡しているとき。


余裕のないとき。
ほんとうは怒っているとき。









そんなときに
しばしば張り付いていた


夫の笑顔の仮面は、
すっかりどこかへ行ってしまった。












夫が無理に笑わなくなったことを



ともすれば


なんだか
とてもよくないことのように、


なんだか
とても不健康な兆しのように、



わたしは勝手に
また解釈してしまうところだった。










けれども、
それはちがう。










夫は、
笑顔の仮面を脱いで
わが家で暮らしているだけなのだ。








だって、
じぶんの家なのだから。














そのままの
じぶんの表情を、
つくろわないままで居る。










それは夫が
じぶんの気もちを
大事にしていることの証だし、






大事じゃないはずの場面で
無理をしてムダに疲れないことで

わたしたち家族を
あまりにも誠実に誠実に、
大事にしようとしていることの証だった。













無理をしてまで
笑顔であれこれ対応して、


キャパオーバーして、


いちばん大切なはずの家族に
つい、八つ当たりする。







これは
わたしがやりがちなやつだけど ^^;






そんなパターンに比べたら、
(まあ比べる必要もないのだけど)

  




いまの夫の在り方は、
なんと誠実なのだろう。


  















そんな夫のことを
けっきょく勝手に解釈してるけど 笑







きっと、
笑顔の仮面は外されたのだ。









仮面の下にあった
さまざまな心の機微を



ありとあらゆる生の表情を



この家で夫が夫のままで
生き生きと暮らしている事実を






笑顔の仮面にとらわれずに、
わたしは尊重したい。











夫が夫のままで、
わたしがわたしのままで、


子どもたちが子どもたちのままで、


この先も等身大で、
生きていくことが出来るように。